日本における共産主義政権樹立のための実践地政学(全員体制で出来うる共和制、解放区、真の自由独立の哲学的基礎から具体的実践行動の道筋)

《真  共産主義序説》その1

ちきゅう座周辺から更に、面白い連続性を担保して行くための対話的試論

今、僕自身として根幹としている主題点は、

⑴アソシエーション(自由連合)(保守から左派リベラル)と日本共産党の確執の昭和失敗学の是正

⑵共産主義理論のわかり易さのテキスト化、政権樹立論と地政学について

である。

テキスト化とは今、こちら側としての考案する立場を明確にすることであり、具体化する共同を展開する事に他ならない。

できるだけ多くの方の連名と賛同、参加を促す原初テキスト化とならねばならない。

ちきゅう座、たんぽぽ舎、ピープルズプラン研究所と連携される可能性としての具体的テキスト案を以下の様に僕が考案提案出来るものをまず、形にしてみようと思う。

既に、具体的上梓論文の展開から。

《花崎皋平、世界論文、戦後期から読み解く》

戦後の天蓋なき民主主義

https://www.iwanami.co.jp/sekai/2015/07/090.html

https://www.iwanami.co.jp/sekai/

この続きを読みたいと考えているわけであるのだが、ご高齢でもある為、引き続き何を予感され展開されるのかを問いながら。

花崎氏の述べる共和制から昭和戦後期高度成長期あたりの解放区まで、自由思想の完成としての逆説的共産主義的人間の理論と実践を踏襲しながら再び、以下の様に整理してみる次第である。

最新シンポ対話も取り入れながらわかりやすく短い言葉の冒頭として始めてみよう。

https://chikyuza.net/archives/62825

そして、次に予定されている朝鮮戦争と共産党政権樹立論まで過去の歴史学的研究として、平成の我らから見られるならほぼ同時代性の問題意識でもあり、わかり易い共通性として見る事が出来るかも知れない。

https://chikyuza.net/archives/63619

尾崎秀実の共産主義理解の語弊から不満を感じていたのは、実際の僕自身の十代でも到達されていたものとの相違であり、実は、何故、これが今だに市民権を得ていないのかの問いである。

そんなに難しい理屈もいらず簡単に手に入れられる自明性、定理的基礎をなすようにも感じられているのだが、わざわざわかりずらく遠回りしている印象に、疑念を感じていた点に他ならない。

むしろ、歴史研究者側からの外観的マルクス主義理解が、以下のようなあやまちに今だに満ちているは何故であろうかと言う素朴な疑問から始めなくてならないわけである。

即ち、尾崎秀実の共産主義理解が、①私有財産の廃止②反天皇主義であると言う喧伝は、むしろ、赤狩り側の論理であり、反共側の共産主義外観でしかないと言う訂正からである。

私有財産の廃止⇄公共財産の私物化禁止、生産手段の共産化

反天皇主義⇄カリスマ・伝統支配への異論、平たく言うと人格による支配であり世襲さえ本来、含まれているものであり、そして、スターリン批判、アベ政治による国家の私物化、憲法蹂躙無視独裁批判にもつながる根底こそが、普遍的に変わらない共産主義思想の規定であると言う理解となる主張である。

しかし、ウェーバー的社会学に照らし出してさらにわかりやすく詰めていくとするなら、カリスマ支配、伝統世襲支配を抜け出したとしても、合理的支配としての官僚主義、機械主義こそが、現在の最大の敵であり、

人間の顔をした社会主義から人格カリスマ支配、伝統世襲支配の超克、さらに、合理的支配、官僚主義の超克としての「コミュニズムの地平」とは、いかなる実現であるのか?

それを、ライフワーク的に、主題に据えて、共同主観的展開をする「理論と実践」

これこそが、日本革命の礎であり、明確なる「ちきゅう座」解放区、共和制の展開であると言うことではないだろうか?

まずは、この事をはっきりとさせてからではないと全く過去・現在・未来、存在論と時間論体系テキストとしても進まないのではないと言うことなのだ。

資料集

http://revolutio.exblog.jp/23200010/