日本の「戦後」をいつまでも

著者: 鈴木正 : 思想史家、名古屋経済大学名誉教授
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年末の「天声人語」に、こんな話が出ていた。戦後70年となる来年、長崎の原爆をテーマにした松竹の新作映画「母と暮らせば」で主演する吉永小百合さんの優美な言葉――

「『戦後何年』という言い方がずっと続いてほしいと願っています。」

そして途切れぬ非戦があればこそであると、しめくくっている。非戦がなければ平和は始まらない。平和の第一歩だ。敗戦の日と翌日の光景を私は今も忘れない。

 

ジャーナリズムとは何か。私流にいうと、本来野党的で、権力がこれだといえば、いやあれだという在野的性格が基本である。そういった性格をもつものでなければならないなんて規範的定義でなく、事実が命(いのち)、そういうものだ。

東浩紀が「いまの日本は、本当にロシアとか中国とかに近くなってきている」とツイートで最近語っており、その共通点は「マスコミが権力に抵抗できなくなっていることだ」と記している。

戦時中の日本(1930年代から敗戦まで)は、マスコミがこぞって軍部・官僚の指導に服し、戦争の遂行と勝利のため、敗色の濃い事実を隠して協力し国民をだました。ここで新聞記者としての戦争犯罪と責任を痛切に感じた人物のことを思い出す。むのたけじ、だ。

彼は戦中『朝日』の記者として、中国、東南アジアに特派員として戦争に協力した責任をとって1945年8月15日、敗戦のその日に退社し、翌年名古屋で『中京新聞』の編集を手伝ったあと、48年2月に秋田県横手市に移り、週刊新聞『たいまつ』を創刊する。地方の観点から平和運動と民主化運動に尽力し、見たままの事実を取材して伝え続け、正しく伝達(コミュニケーション)の理念を貫いた貴重な存在である。

最近の大新聞の社長や社主が政府高官らと意思疎通と称して、定期的に宴会をひらいて会食しているなど、もってのほかで全く情けない極みである。

 

『朝日』紙の「論壇回顧2014」(12月30日)によると、ウクライナでの衝突、東アジアでの対立といった状況下、吉永のいう非戦と平和の「戦後」ではないが、それでも総体的に安定した「冷戦後」から更に後退してしまった近年、(フォーリンから以下引用)「フォーリン・アフェアーズ・リポート誌5月号でウォルター・ラッセル・ミードは『古色蒼然たる地政学のパワープレイが国際政治の世界に復活しつつある』とし、中国、イラン、ロシアは『冷戦後の秩序を力で覆そうとしている』と訴え」ているとのこと。日本人は果たして現在どこに立っているのか、そのあやうい場所から、どのように行動してゆけば良いのか。

 

最近の日本では在日コリアンを標的にした排外運動が目立つが、それが「日本型」である理由について「戦争の歴史『帝国』から問う」という、さきの「論壇回顧」に出て来る樋口直人は(以下引用)「かつて帝国として朝鮮半島を植民地にしながらその過去の『清算』をうやむやにしてきた歴史だった。旧植民地の出身者を排斥する動機の根底には『汚辱の歴史』を抹殺したいという欲望がある、と」見ている。人間の目で日本人を見ている的確な深部に達した批評といえよう。

冒頭でふれられた「どこまでも戦後何年を続けていきたいものだ」という吉永小百合のただずまいに共感し、新しい年を迎え、この一年生きてゆきたいと思う。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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