日本のマスコミに欠けているもの

半澤健市氏の「朝日新聞よ さらば! ―知的アクセサリーへの訣別―」を氏の痛恨の思いを感じ取りながら読了した後、思わずため息が出てしまいました。

私にも、若輩ながら似た経験があったからです。 私は、実父の死後、長年、朝日新聞を読んでいました。 実父は朝日が嫌いでしたので、同居している身で遠慮していたのです。 しかし、朝日の偽善に気がつき、同時に日本のマスコミの戦前からの権力への迎合に唾棄すべき本質があることを観て取り、縁切りをすることになったのです。

実父は、証券業に携わっていまして、従軍経験はあるものの、憲兵に隠れて短波放送受信をしていた者から情報を仕入れて、終戦前に戦争の趨勢を知っていたらしいのです。 その実父が、朝日新聞始め日本の新聞をよくこき下ろしていました。 「嘘ばっかり、大本営発表ばっかり書いて。」と。

私が、日本のマスコミに縁切りをしたのは、実父に倣った訳ではないのですが、同じような経験が下敷きにあるのは確かです。 第一に、ベトナム戦争の実相です。 当時、私は、特段にベトナムに肩入れしていた訳では無くて、ただ、戦争の実相と見通しを知りたかっただけなのですが、日本のマスコミからは、何の手掛かりも得ることは出来なかったのです。

米軍兵士によるソンミ村の虐殺事件は、当時購読していました「Newsweek」で知りましたし、戦争の実相や、和平交渉の帰結はBBCのWorld Serviceの短波放送で把握していました。 この頃から、日本の新聞・TVは信用ならない体質を持っているように思われました。 でも、現在のように否定すべきものとは考えなかったのです。 記者の能力や、編集部の保守的体質が影響しているように考えていたのです。 当時は、「社会主義」対「資本主義」、「革新」対「保守」の時代でしたし。

ところが、自分自身が、新たに環境関連の業務に就いたり、自然保護の活動をするようになり、この種のマスコミの持つ体質を度々経験するようになりました。

細々とした経験の記述を省きまして単刀直入に申しますと、最終的に日本のマスコミに決別を決意することになりました理由は、「地球温暖化論」です。

この「仮説」を「真理」として扱い、キャンペーンを張る悪辣さには辟易とさせられます。 具体的に、最近の事件を挙げますと、例の「Climategate」に関わる一連の出来ごとですが、極めて異例の一部報道を除けば、見事に「スル―」されました。 殆どの日本人は、何も知らされず、何も知ること無く、未だに「温暖化」キャンペーンに晒されています。 事件の渦中にある時期に、ある小さい日米の集まりで、この事件を題にジョークを話した私とともに笑ったのは、米国人のみで、後の日本人は何のことか分からず沈黙していました。 悪いのですが、同席した日本人達の呆けた顔が未だに浮かび笑ってしまいます。

ことほど左様に、中国のような言論統制の国家に住んでいるようで、不気味ですが、最近では、こう書けば中国に悪いのではないかと思うようになりました。 日本では、「自由」と「民主主義」を標榜しているだけに余計に罪が深いのです。

さて、以下に、私の敬愛する中西準子先生の論稿をご紹介いたします。 先生は、論稿の中で、「報道関係者に要望したいのは、このように仮説に基づく予測は難しいので、こういう場合には、反対の見解をもつ専門家の意見を併記して、報道して欲しいことである。素人であっても、常に両方の意見を聞く機会があれば、自分の判断を育てていくことができる。」と正しく頂門の一針とも言うべき言葉をマスコミに与えておられます。 日本のマスコミに根本的に欠けているのは、こうした報道に携わる者に期待される一般読者・聴取者への真摯な姿勢ではないのでしょうか。

http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak561_565.html#zakkan565

雑感565-2011.10.31「再び、北極のオゾンホール」

雑感564-2011.10.24「“北極にもオゾンホール“の大きな記事に根源的な疑問」

(J Nakanishi Home Page)

http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak566_570.html#zakkan566

雑感566-2011.11.8「今度は南極のオゾンホール -私が、すっかりオゾンホールに落ちてしまった-」

(J Nakanishi Home Page)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0680 :111111〕