日本は、世界征服を企図した戦争をしたのか

岡本磐男東洋大学名誉教授の御投稿「日本は第2次世界大戦への参加を回避できなかったのか」(2015年 7月 7日)を拝見しまして、同種の疑問を抱きました。 ただ、それは、御投稿中にあるところの日本共産党の志位委員長が安倍首相を問い質した際に引用したポツダム宣言にも関わるものであり、日本の戦争目的と戦略に関するものであるところに相違があります。

私の疑問は、日本は、ポツダム宣言が言うように独伊と組み、世界征服を企図した戦争を企て、その目的に沿い戦争準備を行い、戦略を建てたのか、と云うものです。

結論から言えば、日本のみでは無く独伊にも、周辺諸国の侵略企図は兎も角も、世界征服の企図もその手段も保持しては居ず、況や米英その他諸国を侵略し占領する物的手段も保持し得ては居なかった、と云うことです。

日本が、周辺諸国、就中、朝鮮半島と中国大陸その他を植民地として占領したのは事実です。 ただ、中国との戦争では、満州国と称した傀儡国家を除き、大陸を全て占領することは出来ず、俗に云うところの点と線の占領であったことは事実であり、しかも、第二次大戦前の旧ソ連との紛争である「ノモンハン事変」では、旧ソ連の機甲師団を中核とする機械化部隊に関東軍の精鋭が蹂躙される結果となり、当時の先進諸国標準レベルでの軍装備との格差が浮き彫りになったのでした。

一体、戦車が出てくると何の防備も無く駆逐されるだけの軍隊で世界征服が可能なものでしょうか。 日清、日露の戦争時代と余り変わらない装備と戦略で先進諸国標準の軍隊と戦争して勝てるのでしょうか。 いくら何でも無謀でしょう。

しかも戦後の時代にあっても、零戦神話とも言うべきお伽話で、敗戦後の屈辱を耐え忍ぶことを学んだ日本と日本人ですが、まさか、防備零で、機体全てがガソリンタンク状態で、一旦敵弾を受けるや否や火だるまとなる運命の欠陥機を崇め奉る無知無能で戦争に勝てる、と思ったのでしょうか。 そうであるならば、想像を絶する小山の大将と言えましょう。 科学的能力の欠缺と機械製造技術の未発達とが相まって、先進諸国標準の軍装備の調達が不可能であったのですから。

戦前にあっても、世界の政治や軍事に関わって情報収集とその分析は行われていたでしょうし、同盟国のドイツからは最新の軍事技術も導入されはしました。 ただ、ドイツであっても相手国を戦略的に爆撃出来得る大型爆撃機は開発出来ていませんでしたし、洋上での戦略に必要な航空母艦を基幹とする海軍機動部隊を保有出来得てはいませんでした。 イタリアは言うに及ばず、です。

反対に、日本には海軍機動部隊がありましたが、独伊と同じく戦略爆撃機は保有し得ていませんでした。 対するに、米英には、大型戦略爆撃機があり、航空母艦基幹の機動部隊もありました。

この差は、想像以上に大きくて、日本が開戦に踏み切る以前の欧州にあって、ナチス・ドイツが英国空軍との所謂「英国の戦い」(Battle of Britain)に敗北した結果、第二次大戦の趨勢が反転したと指摘されてもいるほどです。 即ち、戦略爆撃機を保有しないドイツは、英国への空爆を満足に出来ずに、逆に、自国の爆撃機を英国空軍の迎撃機に散々に撃墜されたからです。 更に、航空母艦基幹の艦隊を保有しないドイツ海軍では、米国からの補給を断つことも出来ず、これまた逆に、英国海軍の航空母艦基幹の護衛艦隊からの空襲でUボートの撃沈が相次ぎ、英国への補給を断つ作戦は失敗したのです。

この様に簡単に観ただけでも、世界征服の物理的保障が無かったことが分かります。

であれば、戦争を始めて、どうしようと考えていたのでしょうか。 米英を爆撃もせずに、占領もせずに、戦争に勝てる、と思ったのでしょうか。

基本国策要綱(昭和15年)、情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱(昭和16)、帝国国策遂行要領(昭和16年)、等々の真珠湾爆撃までの日本政府の各種文書を一瞥して思うのは、手前勝手な情勢分析と自己都合の戦略を書き連ねているだけで、客観的な仮想敵国情勢分析も仮想敵国軍事戦略分析も無く、自国に不利な情勢の惹起には無関心であることです。 これで、戦争を始めたのなら無知無能と云われても仕方が無いでしょう。

しかしながら、当時の国柄、政治の有り様を観れば、そうした客観的な批判なり自省なりが出来る筈が無かったことに思い至るのです。 国家を「最高の道徳」と観る憲法学説(上杉慎吉)が最高学府で罷り通る世の中で、何事にも神の国として奉る他には遇し様の無い国家権力の発動、更には、その発動の一形態である戦争の実態に対して批判が出来る筈がありません。

どういうことか、と云えば、敵味方の戦力の客観的分析が出来無い環境の中で、戦争をするのです。 例えば、連合艦隊でミッドウェー侵攻作戦の机上演習(シミュレーションゲームと似たもの)を行った際の参加者に依る記録では、一度、撃沈された連合艦隊艦船が、「米軍の砲撃は正確では無い」とされて復活したそうです。 即ち、米軍を軽視・蔑視していたのです。

実態は、同作戦では、日本側の情報が解読されていて、連合艦隊の侵攻作戦の全体像が米軍には理解されていた反面、日本側には、米軍の動向と迎撃の詳細が不明のままであったのでした。 結果は、南雲機動部隊基幹の空母が全艦(4隻)を撃沈される、と云う近代海戦史上に稀に見る大敗北でした。 私には、日本が敗戦を迎えた実質的な起点になったと思われるものです。

元々、新興帝国主義国家として発足した日本が、旧来の帝国主義諸国と衝突するのは、当初から明らかであり、国家の成立ちを、憲法上、第一条では、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、第三条では、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めた神権主義国家にあっては、その帝国主義政策の実施を批判し、修正することは何人にも許されない定めであったのです。

そう観ると、長い十五年戦争を始めた日から、8月15日の到来が予期され得たのかも知れません。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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