日本人留学生の見た1968年5月 -書評 西川長夫著『パリ五月革命 私論 転換点としての68年』、平凡社新書-

《日本知識人による「五月革命」体験》
 本書は「五月革命」を体験した日本の一知識人が、43年間の蓄積を一気に噴出させた革命の総括である。「五月革命」とは、1968年のパリに始まった学生と労働者の反乱である。著者西川長夫(にしかわ・ながお 1934生)の専門分野は「比較文化論、フランス研究」。著書に『フランスの解体?』、『国境の超え方』、訳書に『マルクスのために』などがある。

本書は三つの部分から成り立っている。
第一は、パリへの留学生だった著者が現場に見た「五月革命」の再現である。
第二は、知識人と革命との関わりに関する考察である。
第三は、「五月革命」とは何であったかの総括である。

第一 学生反乱は68年3月パリ大学ナンテール分校に始まりソルボンヌ大学へ飛び火し全国の大学や高校へ拡大した。権力と学生は、抑圧的な管理体制、産学協同、ベトナム戦争、ドゴールの体制、を巡って激しく対立した。参加者は労働者、知識人、農民、市民へと広がる。学生は授業ボイコット、街頭デモ、バリケードの構築、国立劇場の占拠。労働者、市民はデモとストライキでポンピドゥー政府を包囲した。ゼネストに参加した労働者は一千万人規模に達し「五月革命」は成功するかに見えた。

「五月革命」は成功したのか。「革命」を権力の奪取と定義すれば失敗だった。革命どころか、6月の総選挙においてはドゴール派が圧勝し、左翼は大幅に議席を減らした。体制側は、懐柔、恫喝、警官導入、軍隊の配備、などの全力を動員して巻き返しに成功したのである。ドゴール大統領の軍隊とメディアの活用が凄い。著者は、当時の自筆メモ、収集したビラやチラシ、撮影した写真、メディア報道の記事、再滞在による検証という手段を駆使して「五月革命」を再現する。それはパリの5月に出現した、誰もが参加でき、誰もが発言し、誰もが高揚し、誰もが祭の主人となった、解放区であった。

《5人の知識人との関わり》
 第二 5人の知識人を通して「革命とは何か」、「西洋文化と日本人との関係は何か」を考察する。5人とは森有正、加藤周一、ロラン・バルト、アンリ・ルフェーブル、ルイ・アルチュセール。
まず「三つの罠」を警戒する。特定知識人の過大評価、知識人の役割の過小評価、日仏の歴史や制度にある差異、この三つである。三つ目の事例に丸山真男を挙げる。全共闘が丸山研究室を荒らしたとき「ナチスでもやらなかった暴挙」と激怒した丸山を西川は理解しない。ソルボンヌ大学には個人の研究室がない。それは「教員による大学の私物化」だからである。しかも体制の組織である大学を否定するために教授の研究室と教授を攻撃目標とするのは当然だという。
著者の先達である森や加藤への関心は次の問題意識から生まれている。
西欧文明の圧倒的な影響下で外国語を通して知的形成をした知識人が、日本の現実のなかで創造的な活動が可能か。この問題はフランス文学に賭けようとする青年学徒に切実だった。パリで東洋語学校の教員をしていた森有正は「五月革命」をどうみていたのか。紛争当事者であり学生の糾弾の対象でもありながら、彼は学生運動を他人事のように見ていた。東大解体というラジカルな説をもつ森有正について著者は「学生たちの主張を聞かず運動の本質を全く理解していない/私はわが目を疑った」と書いている。森はドゴールの勝利を肯定していた。学生反乱の意図を汲み取った上での政治的収拾として評価していたのである。

《「マチネ・ポエティク」と加藤周一》
 「マチネ・ポエティク」の窓から著者は加藤周一に言及する。「マチネ・ポエティク」とは、第二次大戦中に仏文学を読み詩を書き戦争に反発していた福永武彦、中村真一郎、加藤周一らの知識人である。戦後一気に開花した彼らに対し、戦争に行かず軽井沢にいた「現実乖離」への非難があった。著者西川も彼らの星菫派的性格に反発している。
加藤周一の小説『ある晴れた日に』について西川はこう書いている。
▼魅力的な青春小説であったが/私自身の戦時―戦後体験から見れば、全くの別世界であった。/最後の言葉、「ある晴れた日に戦争は来り、ある晴れた日に戦争は去った」を読んだとき、私は唖然とするよりも、むしろ激しい怒りにとらわれた。戦争はある晴れた日に来たわけではないし、戦死者や戦災者にとって、私にとってもまだ終わっていない。

しかし問題はその後の加藤の生き方である。加藤没後の「大知識人賛美の大合唱」に対して、68年に学生が発した知識人批判の声を想起する西川は、いくらかの違和感を示す。しかしトータルでは、「国民的な大転向」(鶴見俊輔)に抗して「自分を貫き、反戦とデモクラシーを貫き通した大きな存在であった」と加藤を高く評価している。著者が渡仏の直後に会った森有正が2時間の会話の四分の三を加藤周一批判に費やした挿話が面白い。

ロラン・バルト、アンリ・ルフェーブル、ルイ・アルチュセールの三人を語る西川の叙述は私の理解力を遙かに超える。構造主義、記号論、物語の構造分析、イデオロギー批評対講壇批評、表象、暴力といったキーワードによる考察があることだけ述べておく。彼らとの問答や感想、彼らの学問の変容と業績、「五月革命」において彼らがどう振る舞ったか。それらが難解な専門語によって語られる。

《ルイ・アルチュセールの新国家論》
 ただしアルチュセールについて私は一点だけ述べておきたい。彼の国家論を読んだことがあるからである。西川は自分が翻訳した論文(註)についてこう解説している。
▼アルチュセールの理論は、自由平等を掲げ、人権を主張する社会の中で、なぜ搾取や抑圧や不平等が存在し続けるのかという問いに、「再生産」の理論によって答えようとしていた。下部構造が上部構造を決定するというお題目に初めて理論的な説明を与え、最終審級における下部構造の決定と同時に上部構造の相対的自立性を説く。/抑圧装置としてしか考えられてこなかった国家の中に、宗教、学校、家族、法、政党、組合、文化等々の私的領域の果たす役割を認め、それを国家のイデオロギー装置と命名することによって、初めて国家装置の全体を考察の対象にすることに成功し、個々の装置の独自な機能とそこにおける独自な闘争の形の認識を可能にした。

この論文はアルチュセールの「五月革命」論であった。彼は学生反乱に批判的な仏共産党の党員だった。しかし「再生産」論文の結語部(▼以下)は、5月の学生達のシュプレッヒコール、〈これは始まりにすぎない、闘争を続けよう!〉のアルチュセール的言いかえではないだろうか」と西川は判断している。
▼何も起こらない時代というものは、国家のイデオロギー諸装置が完璧に機能しているときである。国家のイデオロギー諸装置がもはや機能しなくなるとき、つまりあらゆる主体の「意識」のなかで生産諸関係を再生産することがもはやできなくなるとき、五月のように、多少とも重大な出来事が起こる。だが五月の「出来事」は、初めての予行演習の、またそのさわりにすぎなかった。だがいつの日にか、長い歩みの果てに、「出来事」は革命を伴うものとなるだろう。

《著者の「五月革命」の総括は》
 第三 「五月革命」とは何であったか。
著者は「私は五月革命についての納得のゆく説明は結局ありえないということに思い至った」と68年に書いた。09年にはこう書いている。
▼あれは「革命」であったと言いたい。「革命ごっこ」と言った方が正確かも知れない。舗石をはがし一夜で何十というバリケードを作り上げた若者たちは、フランス革命以来繰り返された様々な革命のあとをなぞっていたのだ。既成の綱領や既成の言葉で革命を実現することができなければ、パロディで革命を行う以外にないのではないか。私の少年時代の「戦争ごっこ」がすでに戦争であったように、五月の若者たちの「革命ごっこ」もすでに革命であった、と私は思う。

フランス社会において「五月革命」は忘却と想記の反復を経て今日に至っているという。
「五月革命」後のフランス政治はどうなったのか。長い時間軸でみれば、それは「左翼連合政権」の時代である。80年代以降は左翼政権もグローバリゼーションに呑み込まれて経済中心の「反動の時代」に入った。2006年には、経営者の自由な解雇権を巡って大規模な労働者の闘争が起こった。フランス経済は50万人の外国人労働者を搾取する「国内植民地主義」の時代にある。

著者の「五月革命」総括の結論はなかなか出てこない。ウォーラースタインをひいて「世界システム」の総体に反対する性格を言い、今村仁司をひいて「近代批判」としての性格を言い、パリ・コミューンの経験をひいて「祝祭性」の性格を言う。
本書の最終部分にある次の言葉が著者の結論であろうと私は思った。文中のモーリス・ブランショとは学生反乱を支持した作家の名前である。
▼「未だ嘗て生きられたことのなかった共産主義の一形態がここに実現したのだと、人々は感じとることができたのだ」というブランショの証言を、私は幾分かはその場に身を置いたことのある者の一人として、承認したいと思う。それはマルクスがパリ・コミューンにかいま見た国家の死滅後の未来社会像であり、アルチュセールが五月の高揚のなかで夢想した、社会主義という過酷な移行期の果てに予見される「市場関係の不在」すなわち「階級的搾取と国家支配の不在」によって条件づけられた未来社会のイメージでもあった。

《私の読後感―「知は何のためあるのか」へ》
 いくつかの感想を述べたい。 
第一 「五月革命」の見事な記録であること。
3月22日のナンテールから敗北後の6月に咲くケシの花の写真で終わる「五月革命」の記録は本書の圧巻である。大学キャンパスと街頭から見たドキュメンタリー、オーラルヒストリー、同時代と後の時代の資料による検証、著者の精神的自画像。それらが渾然一体となりダイナミックな叙述に結実している。しかし労働者が姿を見せることはあまりない。「権力」内部について触れるところも少ない。
第二 「革命とは何か」の執拗な考察であること。
革命の理念、情熱、心情に関する考察は緻密・精細をきわめる。本書はタイトル通り「五月革命とは何であったか」の考察の書である。革命の期間、著者はその伴走者に徹していた。68年を振り返るときパリで見た文楽「曽根崎心中」の感動とデモの感動は「二重写し」になるという。その感動が日本人留学生の生き方をどう変えたのか。そういう問題の立て方が私には見えてこない。what is revolution はあるが how to live が書かれていないのである。
第三 「革命」の運命はいま
なぜ68年だったのか。なぜ世界で学生の一斉蜂起が起こったのか。なぜ「異議申し立て」と「ベトナム反戦」と「あらゆる差別への反対」だったのか。なぜその終息のあとにグローバリゼーションが世界を席捲したのか。。
全共闘世代には「革命」は幻想として記憶されている。「89年革命」以後の世代には「革命」はイメージすら湧かぬ記号であるだろう。なぜこんな惨状が生じたのか。「革命」の生体解剖に注力する著者は、革命前後の政治経済的背景にはさほど関心を示さない。

2011年3月11日に我々の世界は一変した。著者が「あとがき」にいう次の問題意識を共有し発展させること。それを私は本書から学ぶことになるだろう。
▼六八年革命と一見無縁に見える事件(「東日本大震災」)は、六八革命の意味と本質を改めて考えさせる。私は本書で六八革命の「反システム」「反近代」「反文明」的な運動としての性格を強調した。世界の諸国は、六八革命を鎮圧した四三年後に、彼らが発した根本的な問いや批判に改めて直面しているのである。

(註)アルチュセールの原論文「イデオロギーと国家のイデオロギー装置―探求のためのノート」は仏『パンセ』誌の70年6月号に発表された。西川長夫の翻訳は『思想』(岩波書店)の72年8月号、同9月号に「生産の諸条件の再生産について」、「イデオロギーについて」と題して掲載された。

■西川長夫著『パリ五月革命 私論 転換点としての68年』、平凡社新書595、2011年7月刊,平凡社、960円+税

 

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