日本列島時事史観二つの事柄から1.《植草一秀ブログと火炎瓶てつさん友情に学ぶ》2.《お年寄りを一人にしてはいけない》まで(個人的ちきゅう座入門の試み)

前回の投稿から17日までいろいろなことがありました。

昨日は、わが忍者砦、白土三平ファンの大御所様の生誕記念日でもあり、東京のマルクス生誕祭の控える大々的なものほどではないのだがささやか記念日でもあった。

 

書きだしたいものがあり過ぎたのだが、時間もなく仕上げられなかったので、簡単な二つの事柄にのみ今回は、絞って公表しておこうと思う。

 

一つは、植草一秀ブログと火炎瓶てつさんに啓発されたものであり、

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-8b10.html

てつさんの主張は、刑法改悪問題であり、夏の参議院選挙以前の問題。

https://chikyuza.net/archives/62957

(↑こちらと共通する)

そして、もう一つは、『恍惚の人』鑑賞周辺に泣く泣く絞ろう。

 

岩上安身氏、山本太郎氏、そして、福島瑞穂氏のツイキャスの使い方は、かなり手慣れたものであるが、

まだまだ思ったような連携や広報として広がりにも危ぶまれている点もある様に思う。

(技術的な側面、そして、人海戦術としての側面?)

しかし、植草一秀ブログが、その連携を表明した仕方で、引き揚げていく方法論がある様に感じているのだ。

「無名」なるツイキャス有志連携して引き上げる方法論によって、輪を広げられるのではないかと感じていた。

更に、著作も本来、一人一人ではなく、共著の方法論として、「学校」要素プラス「場」として結実していく方法論と展開が今こそ必要なのではないだろうか?

雁屋哲精神にも密かに通じていると僕自身、感じている要素だ。(本宮ひろ志・梶原一騎・雁屋哲マニア批評へススミます)

「心に届かなくては、生きた言葉ではない」(視覚言語論説)

 

それは、漫画家とアシスタントの独立過程の関係、最近他界されたの演劇家巨星と弟子の関係?

(こちらは、一度も観たことも影響も受けてもいないので定かではないが…)

または、「七人の侍」の「セリフ」

「子どもは、大人以上に働くぞ」

その共同体思想としての場こそが、植草一秀ブログの言う「共生」であり、

社会主義社会の根本としての「人間全ての可能性」の開陳であると考えられるのだ。

文化運動に参加させる、搾取と被搾取の関係を超克する「創造的」共同は、まさに、その様に、「社会参加」引き上げながら広報していく、目的と手段を一致させることではないかと考えている。

(ツイキャス派論客を多数、ちきゅう座へとお誘いしてみました。みなさん、入門者に優しくお願いします。「視覚言語論」入門として広げていく予定でいます。誰もおちこぼさない学校をここに開始ていきたい理想を!)

 

第1部《ちきゅう座的時事問題ランキング表集成+映像革命(不完全資料版)》

http://revolutio.exblog.jp/23150818/

 

第2部《お年寄りを一人にしてはいけない》

http://akiratakeda2001.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-9cdf.html

 

本来は、以下の様な「大作」を上梓しようと思ったのだが、書ききれなかった。

また、次回にします~。

 

《ちきゅう座総会前投稿》1.ちきゅう座的革新とは2.昭和博物学(その2)北一輝・尾崎秀実・靖国神社再考3.マルクス文化圏と家族人類学(トッド)について

http://revolutio.exblog.jp/23151225/

 

「民主主義ッてなんだ」「これだ」

「共闘ってなんだ」「これだ」

「連携ってなんだ」「これだ」