日本山妙法寺の藤井日達山主の33回忌法要が1月9日、千葉県鴨川市の同寺清澄山道場であった。「恩師行勝院日達聖人第三十三回忌」と題された法要には、厳しい寒さの中、同寺の僧侶、信徒をはじめ日蓮宗各宗派代表、インド、スリランカなど各国代表、海外の平和団体関係者ら約400人が参列したが、参列者たちは口々に山主の業績をたたえ、「山主の遺志を継ぎ、戦争への道を阻止するために平和運動を一層推進しよう」と誓い合った。
「千葉県鴨川市の日本山妙法寺道場で行われた藤井日達山主の第33回忌法要」
第2次世界大戦後が終わって70年余になるが、この間、日本をはじめ世界各地で「反戦平和」「核兵器反対」を掲げる運動があるところでは、黄色の僧衣を着て、「南無妙法蓮華経」と唱えながら、うちわ太鼓をうち鳴らす僧侶の集団があった。日本山妙法寺の僧侶たちである。
日本山妙法寺の僧侶たちが参加した運動は、日本国内に限ってみても、東京・立川の米軍基地拡張反対運動、原水爆禁止運動、被爆者救援運動、日米安保条約改定阻止運動、ベトナム反戦運動、沖縄返還運動、成田空港建設反対闘争(三里塚闘争)、イラク戦争反対運動……と数え切れないくらいだ。 最近では、脱原発運動、憲法9条擁護運動、安保法制廃止運動などの現場で僧侶たちの姿をみかける。
もちろん、その活動は地球全域に及ぶ。今でも、戦火が絶えないところ、紛争が続くところには、必ずといってよいほど同寺の僧侶の姿がある。
藤井日達山主は、その日本山妙法寺の開創者である。1918年(大正7年)に日蓮系の一宗派として最初の日本山妙法寺を中国・遼陽に開創、1924年(大正13年)には静岡県内に日本最初の妙法寺を建立、以後、全国各地に同様の寺を建立し続けた。
日達山主はその生涯を通じて膨大な法話を残しているが、その中で一貫して説いたのは、釈尊の教えの核心は「不殺生戒(ふせっしょうかい)」にあるという点だ。一言で要約すれば、「人を殺すな」ということだという。
最大の殺生は人が人を殺す戦争である。そこから、日達山主は絶えず「世界平和」「核兵器廃絶」「軍備全廃」を訴え続けた。しかも、「絶えず行動を起こすこと」を説き、自ら平和運動の先頭に立った。老齢で歩行が困難になると、車イスで平和行進の先頭を歩んだ。
世界各国の平和団体、宗教団体、先住民団体との交流・連帯にも力を注いだ。
1982年は反核、軍縮を求める運動が世界的に高揚した年だった。同年6月にニューヨークの国連本部で国連主催の第2回国連軍縮特別総会が開かれたためだ。日達山主は、この総会に向けて米国大陸を横断する平和行進を提唱、日本山妙法寺の僧や信者が西海岸からニューヨークまで歩いた。車イスの山主はニューヨークで行進団を出迎え、さらにニューヨークのセントラルパークで開かれた国際NGO主催の100万人反核集会に参加して演壇から核兵器廃絶を訴えた。この時、山主は96歳だった。
日本山妙法寺の平和運動は徹底した非暴力を基本としているが、それは、徹底的な非暴力運動でインドを英国からの独立に導いたマハトマ・ガンジーから学んだ。日達山主は1933年(昭和8年)10月にインドでガンジーと会見しており、山主自身、その著書『仏教と平和』の中で「ガンジーの非暴力に学んだ」と語っている。
また、共通の目的を持つすべての人々が手を取り合うことの大切さをひたすら説き続け、平和運動の大同団結のために奔走した。日本国内では、分裂していた原水爆禁止運動の統一のために力を尽くした。
日達山主の27回忌(2011年)に際し、日本山妙法寺は『報恩』という冊子を発行したが、宗教学者の山折哲雄氏は「日本山妙法寺」と題する一文を寄せ、その中でこう書いている。
「藤井日達上人は百歳の長寿を全うした人である。その足跡はインドをはじめとして全世界に及び、平和運動と伝道活動に献身した稀にみる国際的な仏教者だった」
「昭和二十年の敗戦以後、日本の仏教諸教団はこぞって平和主義を宣揚し、そして例外なく平和運動の戦列についた。しかし、そのときから今日にいたるまでの半世紀をふり返るとき、その平和運動の持続性と徹底性において、藤井日達の日本山妙法寺に及ぶものは一つもなかったといっていいだろう」
33回忌法要では僧侶らによる読経の後、来賓のあいさつがあったが、S・R・チノイ・インド大使、D・G・ディサーナーヤカ・スリランカ大使らは、日達山主が仏教普及や日本と両国との友好親善で果たした功績をたたえた。
米国から参加した平和運動家でカトリック神学者のジェイムズ・W・ダグラス氏(『ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか』)という大著があり、寺地五一・寺地正子訳で2014年に同時代社から出版された)は「私たちは1980年にワシントン州シアトル近郊のトライデント原潜基地の近くに『非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター』をつくり、トライデント核ミサイルに対する抗議活動をしたが、そこに藤井日達師が見えられ、共に祈ってくださった。おかげで、センターには希望と歓喜の明かりが灯された」と話した。
英国の著名な平和運動家、ブルース・ケントCND(核軍縮運動)元会長は、メッセージを寄せた。そこには、こうあった。「藤井聖人の素晴らしいお言葉が、今も私の家の机の前に掲げられています。それは次のようなものです。『文明とは電灯のつくことでもない。飛行機のあることでもない。原子爆弾を製造することでもない。文明とは人を殺さぬことであり、物を壊さぬことであり、戦争をしないことである。文明とは相互に親しむことであり、相互に敬うことである』」
法要では、吉田行典・日本山妙法寺大僧伽首座の「導師法話」があった。
首座はその中で、次のように述べた。
「日本政府の政策を見ていると、この国は変わり始めた。日本では、今、戦争への道が準備されている。集団的自衛権の行使、相次ぐ軍事的な立法、軍備増強、憲法改悪等を通じてだ。日本国民は再び甚大な苦難を経験することになるかもしれない。われわれは、平和憲法を守らなくてはいけない」
「われわれは、世界の紛争を解決するためには、対話を通じて平和的で友好的な関係を確立しなければならない。人類は今、絶滅の淵にいる。われわれは、藤井日逹聖人の教えを思い出し、戦争のない真に平和な世界を創造することを誓う必要がある。お題目を唱え、平和のために一層行動することを互いに誓い合おう」
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