日本政府は、ミャンマーの民衆の側に立って、実効性のある国軍批判の措置をとれ。

(2021年4月11日)
戦慄すべきミャンマーの事態である。連日の犠牲者の報道に胸が痛む。軍事クーデターだけでも衝撃だが、クーデターを批判する民衆に対する理不尽な弾圧には言葉もない。これは、軍事組織による人民の大量虐殺である。世界中からの批判の集中が求められている。

このような局面では、もっとも尊敬すべき勇敢な人物が、最前線の最も危険な場に踏みとどまって犠牲になる。多くの犠牲者に哀悼の意を表するとともに、この深刻な事態に抵抗を継続するミャンマーの人々に最大限の敬意を禁じえない。

他方、一片の大義もない軍事「政権」を、殺人者集団として強く非難する。同時に、実質的にこの殺戮を擁護し利用しようとしている、軍政の背後にある中国やロシアも批判しなければならない。「内政不干渉」という言葉に怯んではならない。

街中で、暴漢が誰かを殴っていたら、知らぬ顔を決めこんではならない。理不尽な暴力を見て見ぬふりをしてはいけない。暴力を批判し、暴力を受けている市民を救う手立てを講じなければならない。国際関係においても同様である。

理不尽な国家の暴力行使に対しては、国際社会がこれを許さないとする、断乎たる意思を表明しなければならない。「内政不干渉」が、理不尽な国家の暴力に対する他国の批判を許さないとする理屈として使われる事態を容認してはならない。

人権の尊重は普遍的な理念である。人権蹂躙の極致としての集団虐殺は、国際世論において最大限の厳しさで非難されなければならない。「内政不干渉」を防壁として国軍批判を封じ込もうというのは、倒錯も甚だしい。

国連安保理はミャンマー情勢に関して、デモ参加者にたいする国軍の暴力を非難する声明は発した。しかし、実効性のある制裁措置は執ることができないし、軍の実権掌握をクーデターとして非難する声明さえ、発することができていない。中国、ロシア、インド、ベトナムの反対があるからだという。

ミャンマーの抵抗運動はこれに失望し、軍事政権の背後にチラつく中国・ロシアを批判し始めた。デモ隊は、国連安全保障理事会での中国の姿勢に抗議するとして、デモ参加者が中国の国旗に火をつけている。中国はこの事態を重く受けとめるであろうか。あるいは、軍政支援の口実を得たとするだろうか。

国際世論の批判不十分な状況で、軍事政権は弾圧をエスカレートしている。民主的に構成された政府を武力で転覆させた軍事政権は「違法」な存在である。これに対する人民の批判・抵抗は、本質的な正当性をもっている。ところが、軍政は戒厳令を敷き、人民の抵抗を「犯罪行為」として制圧しようとしているのだ。

ミャンマー国営テレビは一昨日(4月9日)の夜、ヤンゴンで国軍関係者2人を死傷させたとして、19人が軍法会議で死刑判決を言い渡されたと伝えた。事件は3月27日の国軍記念日のデモの中で起きたという。この日、国軍はデモ隊に発砲して100人を越す人々を殺戮している。殺人者集団が、被害者側を起訴して、死刑判決を下したのだ。

戒厳とは、一定の地域を定めて、その地域内での立法・行政・司法の権限を軍に集中することである。憲法の停止であり、民主主義の凍結と言ってもよい。19人に死刑判決を言い渡したのは、軍法会議である。うち、17人は在廷しないままの判決で、以後、死刑判決の受刑者として当局から追われる身になる。当然のことながら、この軍法会議は信用されていない。予てから、恣意的な判決が出るのではないかと懸念されていた。市民のSNSには、デモ活動を封じ込めるために虚偽の犯罪をでっち上げたとの批判が噴出しているという。

人権団体「政治犯支援協会」によると、4月9日時点で、2931人が国軍側に拘束されており、520人に逮捕状が出ている。デモ弾圧などによる死者は618人に上っているという。

問題は日本政府の姿勢である。実は、「日本はミャンマーに対する最大の援助国で、2019年度はヤンゴンとマンダレーを結ぶ鉄道やヤンゴンの下水道などの大型インフラ事業を含め1893億円の供与が決まった。累計でいえば、有償、無償、技術協力合わせて2兆円近い支出をしている。」(柴田直治・近畿大学教授)という。その日本に、ミャンマーに対する影響力がないはずはない。
https://toyokeizai.net/articles/-/420565

同教授の以下の提言に賛成する。

「非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか、日本政府の選択肢は2つに1つしかない。しかも、速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。
とすれば日本政府は一刻も早くミャンマー国民、中でも危険を冒して抗議する若者らに伝わる明確な意思表示をするべきだ。現況、「日本はミャンマー国民の側に立っている」とは受け止められていないと感じるからだ。」
ではどうするか。やれることはある。
それは、継続案件も含めたODAの全面停止のほか、日本企業に国軍関連企業との取引停止を要請すること、さらに踏み込めば、国民民主連盟(NLD)の当選議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)の正統性を認めることだ。口先だけではない姿勢をミャンマー国民にも国軍にも直接的に示すことが肝心だ。
こうした意思表示は同時に日本国民に対するメッセージにもなる。2011年の民政移管後に5000億円にのぼる過去の延滞債権も放棄した。債権放棄は民主化の進展が前提条件だったはずだが、国軍の暴挙で日本国民の善意が完膚なきまでに蔑ろにされているいま、日本政府は納税者に対しても毅然とした姿勢をみせる必要がある。」

まったく、そのとおりではないか。日本政府は、ミャンマーの民衆の立場に立つことを鮮明にしたうえ、実効性ある国軍批判の諸措置を採らねばならない。そして、もはや一刻の猶予も許されない。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.4.11より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=16646

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion10726:210411〕