2012年11月20 日 国際法市民研究会
<世話人>安藤博、河野道夫(事務局担当)、白崎順子、筑紫建彦、宮井洋子(五十音順)
<連絡先>Eメール=international_michio@yahoo.co.jp
研究会の紹介 2001.9.11後の「対テロ戦争」の背景には、パレスチナ問題があると考えた市民40人が、2002年、イスラエルとパレスチナを訪問した。帰国後、そのうち数名が首都圏で国際法の月例研究会を呼びかけ、人民自決権、国連の集団安全保障、国際人権、国際司法裁判所などに関わる諸問題を10数名で研究している。
提案の要旨 いま「領土と主権」への関心が高まっているが、「主権」の及ばない駐留米軍基地は、沖縄本島の2割近い「領土」を占め、中部4町村では領域の1/2以上、とくに嘉手納町は82.5%が米軍基地である。そのことに言及されないのは、政府の関心が「領土と主権」よりも沖縄へのオスプレイ配備や自衛隊の展開、つまり“日米同盟の深化”にあるからだろう。私たちはこのような世論の動向を見逃すことができず、ここに日米安保体制に関する見解を示すとともに、以下の提案をする。
(1)日米安保条約を廃止し、国連憲章と日本国憲法に共通した「武力による威嚇または武力行使の禁止」「国際紛争の平和的解決の義務」などの原則を基本とする「日米平和友好条約」の締結をめざす。(関連本文I, II, IV)
(2)日米安保体制[1] に代えて、武力による問題解決と軍事同盟を否定する相互協力のシステムとして「東アジア平和機構条約」(仮称)を結ぶ。このため、諸国民との間に市民レベルで信頼と協働の重層的な関係を構築する。(IV, V)
(3)沖縄差別を解消するため、何よりもまず米軍基地を沖縄から全面撤去する。(III, V)
(4)日本と世界から、非人道性と危険性が明らかな核兵器と原発の廃絶をめざす。とくに核兵器の廃絶については、国際法上の違法化に努めるとともに、国内法においても非核三原則の法制化に努める。(III,V)
(5)自衛隊を段階的に縮小し、領域警備を担当する「警察力」として、また大規模災害対策、人命救助、環境保全などの専門技術者集団として、国際的にも活動する組織に再編成する。これを円滑に進めるためにも、(1)(2)の重層的平和システムをめざす。(IV)
はじめに―歴史的不正義の継続
安保体制の変質 日米安保体制は、東西冷戦下で日本が独立するためのやむをえない選択といわれてきた。しかし「思いやり予算」は地位協定の経費負担原則から逸脱し、またベトナム戦争・湾岸戦争・対テロ戦争における在日米軍の出撃は安保条約の極東条項から逸脱している。そして、日米の軍事一体化と対テロ戦争における自衛隊派兵は憲法9条に反し、最近のオスプレイ配備は、国民の生命や生活よりも米国と軍事を優先する国であることを証明した。このように安保体制は大きく変質し、いま日本は米国の“一流[2]”の軍事パートナーとなる道を歩んでいる。ただ一貫して変わらないのは、沖縄差別を基盤にしていることである。しかし、歴史的不正義の継続によって得られる国益は、国民の幸せに結実するとは考えられない。
琉球民族の権利 国連総会は「先住民族の権利宣言」を決議し、国連機関は琉球民族を「先住民族」とした[3]。「宣言」は、「先住民族が、とりわけ植民地化およびその土地、領域及び資源の剥奪により…歴史的不正義に苦しんでいる」とし、また「軍事活動は先住民族の土地・領域において行われてはならない」、ただし「公共の利益により正当化される場合または関係先住民族により自由に同意され、もしくは要請される場合」は、その限りでないとした[4]。
政府は、沖縄の米軍は必要不可欠だからその撤退は「公共の利益」に反すると主張するだろうが、私たちは、沖縄の意思と人権を尊重することこそ「公共の利益」と考える。また米国防総省の機動力優先の統合戦略[5](2005年)と同太平洋軍司令部のグアム統合軍事開発計画(06年)は、在沖米軍の必要性低下を示すともいわれている[6]。そうだとすると、問題はいよいよ日本の決断にかかっている。
I. 根本的矛盾を抱え込む体制
国連憲章は加盟国に国際紛争の平和的解決義務を課し、武力による威嚇と武力の行使を禁じたため、自衛権の行使は「武力攻撃が発生した場合」に「安保理が必要な措置をとるまでの間」に限られる。したがって、専守防衛を謳い核兵器の廃絶をめざす日本が、先制攻撃を多用し核兵器の先制使用も辞さない国に依存することは、根本的な矛盾を抱え込む結果となっている。
米国は、これまで「武力攻撃の発生」を拡大解釈し、恣意的に自衛権を行使することが多かった。実際、国際司法裁判所(ICJ)は、米国の軍事行動についてたびたび国連憲章違反としてきた[7]。アフガニスタンやイラクへの攻撃も、ICJに提訴されたら違法とされるだろう。このように国際法を無視しがちな米国と軍事面で「一体化」を進めることは、法と正義に反している。これが、日米安保体制を一日も早く撤廃すべき第一の理由である。
II. 合憲とはいえない安保条約・協定
1959年の最高裁判決[8] は、安保条約を「違憲とはいえない」としたが、合憲ともしなかった。戦力を放棄したはずの国に駐留軍を事実上の代替常備戦力として存在させる状態は、合憲といえるはずがない。これが、この体制を撤廃すべき第二の理由である。
日米地位協定(16条)は、日本法令を「尊重」するとしたが、適用・遵守すべきものとはしていない。外務省も、駐留米軍に対しては「わが国の法令の適用はない[9]」とする。一方、在独駐留米軍にはドイツ国内法が適用され、隣接自治体や市民に影響ある場合は例外がない[10]。そもそも、諸外国に嘉手納・普天間両飛行場のような過密地域の基地がないのも、住民の生存権が侵されるのを地位協定の段階で各国が主権をかけて防いでいるからである。ところが日米地位協定とその運用は、沖縄差別に立脚するとともにそれを拡大し、憲法の「法の下の平等」に反している。
このように、安保条約ばかりか地位協定も合憲とはいえない内容であるうえに、その改定は実際上、ごく部分的にしか期待できないことが、日米安保体制自体を撤廃すべきだとする第三の理由である。
III. 屈辱的な密約群
条約に付随する密約が露呈したことによって、日本の対米従属がより赤裸々になった。米公文書館の文書や、元担当官の証言などによって明らかになったのは、(1)1953年行政協定17条の改定時、米軍構成員等に対する刑事裁判権の放棄、(2)60年条約改定時の核持込みの許容、(3)同、朝鮮半島有事の際の事前協議なしの作戦行動の容認、(4)69年沖縄返還交渉時、有事沖縄への核再持込みの許容、(5)同、沖縄返還費用総額5億1700万ドルの日本側負担、(6)71年沖縄返還交渉時、軍用地復元補償費400万ドル負担、(7)同、沖縄VOA施設海外移転費1800万ドル負担[11]。これらは、非核三原則や財政法に違反するだけでなく、沖縄差別を決定的にするものだった。
IV. 憲章と憲法の共通原則
まず日本に必要なのは、国際紛争の平和的解決に徹するとともに、東アジアにおける人道・環境・資源などの分野における相互協力と信頼醸成のシステムを追求し、そのため市民レベルから信頼と協働の関係を構築すること。
すでに世界はその足掛かりを提供している。たとえば、日中共同声明(1972年)と同平和友好条約(78年)は「相互の関係においてすべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないこと」を確認し、日ソ共同宣言にも同じ趣旨が謳われている。また、日朝間には平壌宣言があるうえ「六ヵ国協議」の場が設置されている。これらが基本とするのは、国連憲章と日本国憲法に共通する「武力による威嚇または武力行使の禁止」「国際紛争の平和的解決の義務」という大原則である。
私たちはこの大原則を基本とし、日米間においては安保条約の廃止とともに「日米平和友好条約」締結に努める。また自衛隊については、段階的に縮小し国境警備を担当する「警察力」として、また大規模災害対策、人命救助、環境保全などの専門技術者集団として、国際的にも活動する組織への再編成をめざす。以上を円滑に進めるためにも、武力による問題解決と軍事同盟を否定した「東アジア平和機構条約」(仮称)が重要である。
V. 日本の道義的・政治的責任
日本には歴史的反省を迫られている問題が、少なくとも四つある。第一は、アジア諸国に対する侵略と植民地支配。第二は、沖縄に対し地上戦を強いたうえ1972年まで米軍占領下に置き、いまなお在日米軍基地の74%を集中させ、航空機の騒音と事故、米兵の凶悪犯罪などを防止できず、沖縄に対する“構造的差別”を続けていること。第三に、市民は非核三原則の厳守と核兵器の廃絶を訴えてきたが、政府は対米密約によって核持込みを許容したこと。第四は、国民を原発の“安全神話”で欺いてきたうえに、福島の大事故後も内外の圧力に屈し、明確な廃止政策を提示できないこと。
これらの反省を踏まえ、日本は道義的・政治的責任を果たさなければならない。このため私たちは、上記の「東アジア平和機構」、さらに広く多極化世界に対応する多角的な平和と安全のシステムを追求し、また沖縄からの米軍基地の全面撤去、危険性と非人道性が明らかな核兵器と原発の世界的廃絶に努める。とくに核兵器の廃絶については、ICJの「核兵器使用の合法性に関する勧告的意見」(1996年)が「威嚇も使用も人道上の原則・規則一般に反する」としたことを踏まえ、国際法上の違法化に努めるとともに、国内法においても非核三原則の法制化をめざす。
おわりに―憲法の復元と正義の再生
日本国憲法は、戦力と交戦権を放棄し国際紛争の平和的解決に徹することによって、軍拡競争をやめられない世界に「正義の大道[12]」を拓こうとしたものである。1946年憲法制定議会は、他国への侵略の反省と沖縄・広島・長崎に象徴される悲惨な体験に基づき、この歴史的な決定をした。それを継承することによって、憲法の復元と正義の再生が図られ、国連改革を志す地球市民としての連帯が可能となる。このようにして、日本は人間の尊厳の不可侵性を基本とした「徳は孤ならず必ず隣りあり[13]」の国になることができる。
以上。
[1] 「日米安保体制」は、「安保条約と地位協定を中核とする日本の政治システム」の意で用いている。
[2] 元国務副長官アーミテージとハーバード大教授ナイを中心とするアメリカの超党派専門家による2012年8月の報告『アジアの安定を固める日米同盟』は、「日本は一流国家a tier-one nationであり続けたいのか、二流の地位tier-two statusで満足するのか」を問うている。
[3] 国連の宣言は2007年。「先住民族」規定は2008年国際人権規約人権委員会の「対日審査報告」。
[4] 同宣言の前文および30条(土地等における軍事活動の制限)1項。
[5] Final Report for the Defence Science Board Task Force on Sea Basing, Office of the Under Secretary of Defence For Acquisition, Technology, and Logistics, August 2003. インターネット上で公表。
[6] 屋良朝博『砂上の同盟―米軍再編が明かすウソ』沖縄タイムス社、2009年7月、p52、p167など。
[7] ニカラグア事件判決(1986年6月)、オイル・プラットフォーム事件判決(2003年11月)など。
[8] 砂川事件に関する1959年3月東京地裁の伊達判決は、安保条約に基づく駐留米軍を「違憲」としたが、国側は最高裁に跳躍上告。同年12月最高裁判決は「安保条約のような高度な政治判断を伴うものは、司法審査権の範囲外」(統治行為論)とし、合憲とはしなかった。明白な「合憲」判断が可能なら、最高裁は当然そうしたはずである。
[9] 琉球新報社『外務省機密文書・日米地位協定の考え方・増補版』高文研、2004年12月p130。
[10]ドイツ駐留NATO軍地位補足協定(ボン補足協定)53条1項。国会図書館『外国の立法221』2004年8月所収、本間浩(法大名誉教授)「ドイツ駐留NATO軍地位補足協定に関する若干の考察」から。
[11] 池田龍夫「日米密約の背景:国民を欺き続けた自民党外交」―塩川喜信編集『沖縄と日米安保:問題の核心は何か』所収、社会評論社2010年4月、p28、p33、p38。
[12] 幣原総理の枢密院説明および吉田総理の衆院本会議の提案理由(前者は1946年4月22日、後者は同年6月25日)。
[13] 幣原国務大臣(吉田内閣)の貴族院帝国憲法改正案特別委員会の答弁(1946年9月13日)。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1093:121203〕