映画『ウィンストン・チャーチル』を見た。原題は“Darkest Hour”である。1940年5月10日の首相就任から6月4日の下院での、ナチスドイツに対する徹底抗戦の意思を表明するまでの約一カ月のチャーチルを描いている。チャーチル内閣には前首相のチェンバレンが加わり、外務大臣のハリファックスは対ナチス宥和派である。国王ジョージ5世からの信頼も薄く、政治基盤に不安を抱えての内閣発足であった。
しかも5月10日には、ドイツ軍がオランダとベルギーに侵攻し、6日後にはフランス首相から「フランス軍は敗北した」という報告をチャーチルは受ける。連合国軍の約35万の兵士はダンケルクに追い込まれて身動きができない状況に置かれた。さすがのチャーチルも弱気の虫にとりつかれ、イタリアの仲介による講和の可能性を探る。しかし彼は最終決断の直前、地下鉄で乗り合わせた庶民の声を聴く。そしてイギリスを守る決断をする。映画は、この濃密な時間を丁寧に描いている。
この間、繰り返される演説(この映画では、口述を秘書がタイプして清書する場面も含めて演説の場面が多くある)のなかで、クライマックスは下院での演説の予行ともなった議会ロビーでの非公式の演説である(映画はこの場面で終わる)。しかし私にとって最も印象的な演説は、宥和策を否定する理由をあげた以下の個所であった。
「対独講和をした場合、一部の者は豊かになるかもしれない。しかし我が国土の至るところにハーケンクロイツがはためき、その下で、多くのイギリス国民は貧しい暮らしを余儀なくされるだろう」
この個所で、日本の自称「愛国者」たちが政権批判をする者に対し、「反日分子」呼ばわりし、しばしば日の丸とともに星条旗を打ち振る姿の意味するものに思い当たったのである。なるほど、彼らは「星条旗のお蔭で自分たちは豊かな生活を享受している」と考えているのだ。そうでなければ、「愛国者」が何の衒いもなく、外国の国旗を振り回せるはずがないではないか。
1945年8月、時の日本政府は徹底抗戦をせずに降伏を選んだ。軍部を除いて旧支配層のほとんどは無傷で残った。それどころか東西冷戦が深刻化するにつれて、中国大陸情報に詳しいA級戦犯容疑者さえもが政治家として復活した。彼らにとって、星条旗の下で再び権力と富を追求できる条件を得たのである。イギリスではチャーチルによって、その芽を摘まれたような勢力が、皮肉なことに敗戦国である戦後の日本に出現したのだ。
さらに「ハーケンクロイツの下で貧しい生活を強いられるイギリス国民」と違って、戦後の日本は、朝鮮戦争とベトナム戦争とアメリカの中国封じ込め策という特殊な国際環境のもとで、ドイツと並ぶ「戦後の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。国民の多くは星条旗(アメリカ文化)のもとで、豊かな生活を享受することになったのである。しかし、それはあくまでも東西冷戦とアジアでの熱戦という、アメリカの世界戦略のおこぼれに与るという位置に日本があったということである。しかし、東西冷戦と局地的な戦争という環境が失われた90年代以降も、保守政治家たちと官僚機構は、アメリカへの隷従以外の選択肢を考えられないまま、ここまで来てしまった。
現政権の中枢の人々は、その必要性も怪しいアメリカ軍の基地建設のために沖縄のサンゴの海に土砂を投入するなど、アメリカへの隷従によって国土をどれほど棄損しようと、気に留める風もない。そもそも2002年段階で、在日米軍の駐留経費の75%を日本政府が負担し、経済的にはアメリカ軍は日本の傭兵に成り下がっている。しかしそのアメリカ兵やアメリカ軍用機が国民の安全を脅かしている状態も放置している。そのことに主権国家の政権担当者として恥じる気持ちもみとめられない。
一昨年末、安倍首相は大統領選に勝ったばかりのトランプの私邸を訪れてゴルフクラブをプレゼントした。その姿を見て筆者が感じたのは、ただ「恥ずかしさ」だった。まるで雑踏のなかで母親を見失い、動転し泣き叫んだ末に、母親に再会し、固く手を握って安堵の様子を見せる子どものような、といえば良いか。子どもなら「微笑ましい」で済むが、いい歳をした大人の見せる姿ではない。
当時、世界の指導者たちは、思わぬ選挙結果に戸惑い、イスラム圏に対する排外主義的な言動など、国際社会に背を向ける姿勢を示し続けてきた候補者が当選し、この人物とどのような距離をとればよいか慎重に計算している最中だった。しかし、他国の首脳に先駆けて挨拶に行ったことを、「さすが外交の安倍」と褒める論調がテレビや新聞にあった。まともな知性をもつ者であれば、到底、口にできないような言辞が、今日の日本では電波や活字として流されているのである。今の日本に必要なことは、アメリカが後退していく東アジアで、どのような立ち位置を選択するかの議論であるはずだ。しかし、政権の頭からマスメディアまで、今後の日本の針路を構想できる状態でないことだけは確かだ。
しかしつい先日、朝鮮半島の南北首脳が38°線上で会談をもち、朝鮮戦争を完全に終結させることが確認された。アメリカが極東で軍事的なプレゼンスを続ける理由は消滅していく。ソビエト連邦の崩壊やベルリンの壁の崩壊など、第二次大戦後の国際秩序の大きな変動過程を思い起こせば、いったん始まった政治的モメンタムは、勢いを増すことはあっても、停滞することは考えにくい。この事態に際し、「北朝鮮に対して対話は成り立たない。圧力を強める以外の選択肢はない」と言っていた我が国の首相は、日朝国交正常化を言い出した。「錯乱」という言葉以外の語を思いつかない。
さて天皇とアメリカの関係である。昭和天皇が講和後のアメリカ軍の駐留継続と沖縄の半永久的なアメリカへの提供に積極的に動いたことは、アメリカで公開された史料などに基づく豊下楢彦らの研究から明らかにされている。昭和天皇は、共産主義の影に怯え、共産主義革命によって自分の代で皇統が絶えるよりは、アメリカの庇護のもとで皇統が続くことを選んだと推測される。アメリカにとっても占領を容易にするうえで、天皇を利用することは初期の段階から基本方針とされていたから、天皇の姿勢は歓迎すべきものだった。
明仁陛下は皇太子時代から繰り返し沖縄の戦跡や慰霊碑を訪問し、さらには太平洋戦争において民間人も多く犠牲になった南太平洋の島々にも慰霊の旅に出られてきた。立場上、その意図するところを積極的に説明することは避けられているが、昭和天皇の果たすべきだった課題に取り組んでこられたものと推察される。そして、美智子皇后ともども、現憲法の遵守の姿勢を繰り返し強調されているのは、戦後の天皇の地位が現憲法と抱き合わせのものとして創出され、憲法の変更はどの個所であれ、天皇の地位を動揺させる可能性があることを危惧されているからだろう。現在、「星条旗のもとで権力と富を手に入れた」者たちが、無分別にも憲法に手を加えようとしている。今上天皇と現政権の間の緊張関係が顕現しつつある理由である。
なお本稿執筆の直前、白井聡の新著『国体論―菊と星条旗』を読んだ。第2次安倍政権の対米隷属姿勢について「国体」という概念を使い、戦前と戦後の国体の変遷パターンの類似性を指摘しながら、現政権の歴史的位置を的確に分析している。本稿が白井氏の著書からの間接的な示唆を受けたものであることも付け加えたい。
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