《伊藤整・三好達治・高村光太郎》
詩人として出発し作家・評論家として名を残した伊藤整に『若い詩人の肖像』という作品がある。伊藤は昭和3年に小樽から上京し文学を志していた。『若い詩人の肖像』は、その頃の在京詩人たちとの交際を描いた自伝的小説である。とりわけ北川冬彦や梶井基次郎との交流が見事な筆致で描かれている。三好達治も詩人たちの一人であった。三好は伊藤と梶井の会話に一度だけ登場する。
▼「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む、か。よく出来ている」と梶井はひとりごとのように言った。それは、私が見た『青空』のバック・ナンバーに載っている三好達治の詩であった。三好は梶井の行っていた湯ヶ島で梶井と一緒にいて、まだそこに残っているのだった。
「それは三好君の傑作ですね」と私は、その韻律的な詩句の中に漂っている甘味なノスタルジアの力を羨ましく思いながら言った。私には、散文的な描写をする力はあったが、散文形式の中に韻律を生かす術は持っていなかった。自然に人の口にのぼって愛誦されるような韻律を身につけている点で、私は三好達治の中に本質的な詩人がいるように感じていた。
伊藤は高村光太郎に面会したことも作品に記している。
▼高村光太郎は含み声の、軟らかな音で、少し優しすぎると思われるような静かな話の仕方をした。顔の造作は大きかったが、その細い目つきには、不思議な甘さがあって、緊張しすぎていた私の警戒心を解いていった。この時高村光太郎は四十六歳であったのだ。
私は、自分のはるか上の方から、大きな余裕を持って軽く話しかけるこの詩人の作り出す雰囲気の中で、少しずつ気持を楽にして行った。今ここで抵抗したり緊張したりすることには全然意味がないと私は感じた。高村光太郎の話題は、雷を嫌う話や、動物の話や、茶の種類の話などで、その一つ一つが具体的で、細かく、豊富であった。
《大東亜戦争勃発時の高揚》
嫉妬と支援が、競争と助力が共存した詩人たちの青春時代から十数年を経る。
昭和16年12月8日、天皇は宣戦布告をして大日本帝国は大東亜戦争に突入した。そのとき、三人の文学者はどんな反応をしたのか。以下に伊藤整、三好達治、高村光太郎が開戦に際して残した文字を掲げる。
■伊藤整 『十二月八日の記録』から
物質と海軍力の量とを誇称する米国を相手に戦うという考えは、重っ苦しく私にのしかかっていた。このままで済む筈がない。戦争資源を絶たれた敵国に公然と援助を与えられて日本が引っ込んでいることはできない。いずれやらねばならぬ戦争だ。それは何時だろう。もう間もないこととも思われ、また幾月か将来のこととも思われた。ワシントンでの外交交渉の実相が窺い知るべくもないので、不安は大きかった。すでに知人でお召しに応じたものも幾人もおり、一層危機の切迫したのを私は身に感じていた。
ところが、この日、我海軍航空隊が大挙ハワイに決死的空襲を行なったというニュースを耳にすると同時に、私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでいい、これで大丈夫、もう決まったのだ、安堵の念の湧くのをも覚えた。この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきり与えられた喜び、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった。
■三好達治 アメリカ太平洋艦隊は全滅せり
ああその恫喝
ああその示威
ああその経済封鎖
ああそのABCD線
笑うべし 脂肪過多デモクラシー大統領が
飴よりもなお甘かりけん 昨夜の魂胆のことごとくは
アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!
荒天万里の外
激浪天を拍つの間馳駆すべかりし
ああその凡庸提督キンメル麾下の艨艟は
一夜熟睡の後
かしこ波しずかな真珠湾ふかく
軸艪相含みて沈没せり
げにや一朝有事の日
彼らの光栄のさなかにあって
ああその巨砲は
ついに彼らの黄金の沈黙をまもりつつ海底に沈み横たわれるなり
日東真男児帝国
人たび雷霆の軍を放つや
彼らの潜水艦はとこしえに潜水し
彼らの航空母艦は鞠躬如として遁走せり
而してその空軍の百千の燕雀もまた
空しく地上に格納庫中に炎上せり
笑うべし 脂肪過多デモクラシー大統領が
飴よりもなお甘かりけん 昨夜の魂胆のことごとくは
アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!
然り 無用の兵を耀かすもの 必ず滅ぶ!
速やかに彼らはその価をもて一の金言をあがないて
而して 咄 我らの海洋の外に去るべし!
《『智恵子抄』の詩人もまた》
■高村光太郎 十二月八日
記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジャパン、
渺たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治しめしたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於て否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく瘠せたり。
われらまさに其の爪牙を摧かんとす。
われら自ら養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ。
以上は三人の作品のほんの一部である。高揚している。
ジョイスに学んだ文学者も、「本質的な詩人」も、病んだ智恵子を愛した詩人・彫刻家も、戦時においてはユーフォリア(狂熱)へと飛翔したのである。戦争の渦中で人は冷静ではいられない。しかもこれらの作品は69年を経った今なお日本人の心情にある炎をかき立てないであろうか。
《歴史から学ぶことが愚行の回避へ》
日米韓の合同演習にだれも懸念も危険も感じない今、私は人々が大東亜戦争開戦に至る四半世紀の歴史を、具体的な事象に即して―三人の文学者はほんの一例だ―学び直すことが肝要であると思う。歴史を勝手に書き直すことはできない。しかし歴史に意味を見いだすことはできる。愚行の再現を食い止めることもできる。
毎年12月8日に私はいつも同じことを考えている。
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〔opinion0239:101208〕