太古の昔…。暴君がいた。
暴君の行動は、思うがままだ。
あたるをさいわいなぎ倒す。
何にでも襲いかかり、噛みつき、餌食にする。
だれもその暴走を止めることはできない。
暴君に定められた道はない。
暴君のすべての歩みが暴走だ。
この暴君の名をティラノという。
ティラノの力の源泉は、その膂力と牙とであった。
古代から中世…。人間社会に暴君がいた。
戦いの勝者がティラノになった。
権力と富を肥大化させるために、
略奪し、殺戮し、焼毀し、破壊した。
だれも、これを止められない。
この暴君を専制君主という。
専制君主は、自分を美化して宣言する。
朕は、神の末裔だ。
朕は、生ける神なのだ。
朕は国家なり。
だから、やりたいことをやってよいのだ。
この暴君の力の源泉は暴力でもあり、
その暴力美化のダマシでもあった。
そして、近代…。
文明の進展とは、暴君を押さえ込むことであった。
権力は、力をもつ者にではなく、
民衆の信任を得た者に与えることになった。
ところが、これがうまく行かない。
民衆から託された権力が暴走をするのだ。
だから、権力を押さえ込むさらなる知恵が必要になった。
ティラノに鎖を。軛を足枷を。
この願いが、法となった。
法の頂点に憲法を定めた。
暴君を縛れ、暴君の暴走を止めろ。
これが、文明社会の常識となった。
ところが、まさにこの今…。
文明の常識に反抗する権力者がいる。
たとえば、アベ・シンゾー。
「憲法嫌いだ」
「憲法なんぞに縛られるのイヤだ」
「そんな不都合な憲法、オレが変えてやる」
シンゾーの親分トランプもひどい。
ティラノへの先祖返りだ。
何でもかんでもやりたい放題。
あたるをさいわいなぎ倒す。
だれもその暴走を止めることはできない。
暴君に定められた道はない。
暴君のすべての歩みが暴走だ。
この暴君の力の源泉をポピュリズムという。
さあ、このティラノを躾けなくてはならない。
まずは、鎖だ。
手枷だ、足枷だ。
法の支配、権力の分立、司法権の優越。
あらゆる手立てが必要だ。
何よりも、民衆自身の抗議の声を大きくしなければならない。
文明史が、大きな試練のときにある。
民主主義が凶暴なティラノを生み落とした。
民主主義の子として育った専制を克服しなければならない。
暴君に勝手なことをさせてはならない。
暴君の暴走を許すな。
ポピュリズムではない、デモクラシーを取り戻そう。
(2017年2月1日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.02.01より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=8069
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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