レヴィ=ストロースという名前は、構造主義と一体化している。20世紀後半の思想史は、構造主義の展開と不可分であり、それを考えるためにはレヴィ=ストロースの思想を知らなければならない。本書は、伝記ではあるが、レヴィ=ストロースの生活の伝記である部分よりも、彼の仕事をていねいに追跡した部分の方が多く、評伝であり、読み方によっては分厚い「レヴィ=ストロース入門」になる。著者はレヴィ=ストロースの論文・著作・インタビューなどをひとつひとつ検討し、レヴィ=ストロース自身に会って、事実関係の間違いを正したという。それは非常な労力と時間を必要とした作業であったと想像される。
しかし、その結果として、本書はレヴィ=ストロースの思想を知るための準備としても、また20世紀のフランス思想史の一面を伝えるものとしても、きわめて重要な著作であると見ることができる。もちろん、レヴィ=ストロースに考察の焦点が合わされているから、そのほかの登場人物の姿が小さくなることは当然である。しかし、そのような姿で見えている人物たちの姿もまた興味あるものである。たとえば、ボーヴォワールはレヴィ=ストロースの仕事を積極的に評価する友人として描かれているが、彼の赤ん坊に対しては「嫌なものを見る眼」で一瞥するだけである。これは、ボーヴォワールが、知性はあるが感性に欠けた女性とみられかねないシーンである。またレヴィ=ストロースは、ジャック・ラカンの運転するシトトーエンの高級車に乗って別荘を探しに行ったり、ラカンのセミネールにも一度だけ出席するが、そのセミネールは「神秘主義的セレモニー」になっているとして、それ以後はラカンと距離を置くようになる。
私が本書を読みながら感じていたのは、レヴィ=ストロースとアメリカの距離である。彼はブラジルをフィールドワークの場とし、そのあともアメリカインディアンの神話を主な材料にして研究を進めたが、アメリカに対しては、ある種のへだたりのようなものがあるように感じられる。レヴィ=ストロースは、ハーヴァード大学などからの好条件の教授就任の要請をためらいなく断っている。本書の著者は、レヴィ=ストロースが「ヨーロッパ人、そしてフランス人」であることを強調し、フランスの大学で教えることにこだわっていたと説いている。
レヴィ=ストロースが、戦後のアメリカで、アドルノやホルクハイマーなど、ドイツ系ユダヤ人知識人と交流がなかったこと、1930年代にニューギニアや、バリ島でフィールドワークを行い、その成果を『ナヴェン』や、マーガレット・ミードとの共著『バリ島人の性格』などで公にしていたグレゴリー・ベイトソンとの接触がなかったことも、私には謎である。(ラカンは、ベイトソンを読んではいないが、少なくとも関心を持っていて、アメリカ人の女性によるベイトソンについての講演を聴きに行ったりしている。)
この翻訳には、レヴィ=ストロースの活動の年譜が添えられてあり、またきわめて親切な訳注が付けられているので有り難い。(2012年1月29日)
初出:宇波 彰現代哲学研究所http://uicp.blog123.fc2.com/より許可を得て転載
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