共産主義 コミュニズム には昔から二つの考え方がある―― 「理想的な共同体」とする説と、有害な資本主義を乗り越えた「脱資本主義社会」という説である。
「共同体」説は、「原始共産制」という言葉もあるように、階級のなかった古き良き共同体への復帰、というイメージがつきまとう。 それに対して「脱資本主義社会」は、文字どおり、資本主義を経たのちの理想社会である。この二つはどういう関係にあるのか。そこがわからなかった。
斎藤幸平は、晩年のマルクスの思索に依拠して「共同体」を再定義することによって、 二つのコミュニズム――「共同体」コミュニズムと「脱資本主義」コミュニズム――を 結びつけて、「資本主義を超えた共同体」を21世紀の コミュニズムとして提案した。 この提案がこれまでコミュニズムとは無縁であった人々、特に若い人たちに広く歓迎されていることは、本書がベストセラーになっていることからも窺える。
◇コモンとは
斎藤 コミュニズム論の キーワードは「コモン」である。したがって我々は、 斎藤の、「コモン」に連なるいくつかの基本用語の使い方を確認するところから始めよう。
労働とは、人間が自然との物質代謝を規制し制御する行為である。
人間だけが [単に本能に従うのではなく、循環的・持続可能な、ということも含む]明確な目的を持ち、意識的な労働を介して自然との物質代謝を行っている。
人間が自然との物質代謝によって作り出す、生活に必要な物が冨である。
かつて、社会の富は、みんなの共有財産[コモン]だった。
富が、資本主義社会では商品となる。自然の富が商品売買の対象になり収奪される。
資本とは、絶えず価値を増やしながら自己増殖する運動 G-W―G’である。
資本主義社会では、人間の欲求を満たすということよりも、資本を増やすこと自体が目的になっている。
資本主義のもとでは、使用価値はないがしろにされ、 (商品の)価値を実現するための手段に貶(おとし)められる
労働者は、労働力に対する処分権[労働力を売る自由]は持つが、労働に対する処分権[いかに労働するか]は、もっていない。
その結果、労働者は、資本主義的生産によって搾取される。
人間は、意識的かつ合目的的な労働を介して、自然との物質代謝を営んできたが、資本主義的労働においては、構想(精神労働)と実行(肉体労働)の分離が強いられる。
◇ 労働疎外からの回復論としてのコミュニズム
斎藤は社会の共有財産たるコモンが、資本主義によって商品化され、それによって労働者の労働が「富をもたらす労働」から「資本の価値増殖のための商品生産の労働」へと変化してしまう、と言う。
労働はどのように変化したか。
労働における構想(精神労働)と実行(肉体労働)の分離――労働の疎外である。
斎藤の コミュニズム論の中心は労働の疎外論であり、労働の疎外からの回復として「資本主義を超えた社会」を 構想する。
◇ 『ゼロから資本論』の説得力
『ゼロからの資本論』が説得力をもつのは、それが マルクスの思索に依拠したコミュニズムの新たな解釈というだけでなく、現在の我々、とくに給料も安く面白くもない労働を強いられている普通の労働者たちが直面している問題に対して、根本的かつ現実的な対策をわかりやすく提案しているからだ。
どのような問題に対するどのような提案か。 三つの分野に分けて、斎藤が何を問題とし、どのような解決策を提案しているか、見てみよう。
▼……▲は、マルクスからの引用。
(1) 労働の疎外からの回復へ
70頁 労働力は、人間が持っている能力で、本来は社会の富の一つです… 資本主義はこの労働力という富を、商品に閉じ込めてしまう。資本家にとって、自分で購入した労働力商品を使うにあたり、労働者の生活の質や夢、やりがいに配慮することは関心事ではありません。 彼らが執心しているのは、労働が生み出す価値の量、それを最大化するために労働を支配していくのです。こうして生きるために働いていたはずが、働くために生きているかのように本末が転倒していきます
84頁 マルクスが労働日の短縮を重視したのは、それが富を取り戻すことに直結するからです。
87頁 フィンランド首相のサンナマリンが打ち出した「週休3日、一日6時間勤務」… アイスランドでは週休3日制の社会実験が行われ、労働生産性は下がらなかったというデータも得られています。イギリスでも週休3日制の実験が始まっています。ベルギーでは、 残りの日に長く働くことを条件に、労働者は週休3日を選べるようになっています。
107頁 何年働いても単純な作業しかできない労働者は、 分業システムの中でしか働けません。だから、生活していくには、資本の指揮監督命令に従うしかないのです。 分業と協業は、こうして資本主義的なやり方で再編されていき、労働者の主体性を奪っていきます。自由な裁量の余地が失われた職場こそ、労働が苦痛になる疎外の原因なのです。
121頁 介護や保育のように、一つ一つは単純そうに見えても実際には相手のニーズに合わせて細やかな要求に臨機応変に答えないといけない難しい仕事(エッセンシャルワーク)… こうした人間にしかできない仕事、しかも社会的に重要な仕事に従事するエッセンシャルワーカーたちは、長時間労働と低賃金という負荷がかけられているという現実です。
122頁 無益で高給なブルシットジョブ[クソどうでもいい仕事]がはびこる一方で、社会にとって大切なエッセンシャルワーカーが劣悪な労働条件を強いられている。これが資本主義が爛熟した現代社会の実態です。
(2) 使用価値の重視へ
資本主義は富を商品化した。商品の価値と使用価値の二つの要因のうち、使用価値ではなく価値が優先される。儲かりさえすればよいのである。その結果、人間にとって役に立たないもの有害なもの、自然を破壊するものが、大量に生産される。
42頁 使用価値のために物を作っていた時代は、文字どおり人間が物を作っていたわけですが、価値のために物を作る資本主義の下では、立場が逆転し、人間が物に振り回され支配されるようになる。この現象をマルクスは物象化と呼びます。人間が労働して作った物が商品となるやいなや、不思議な力で人間の暮らしや行動を支配するようになるというわけです。
211頁 脱商品化を進めてコモンを増やし、労働者協同組合や労働組合によって私的労働を制限していく。そして無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための使用価値を重視する社会へと転換する。
(3) コモンの回復
地球の私的所有、すなわち権力による支配・破壊から、共同体による共同所有へ。
134頁 できるだけ早くたくさん儲けたい資本による農業生産は、無茶な連作に走ります … その帰結は土壌の疲弊です。土地はやせ細り、収穫は減ってしまう… 森林の荒廃。
135頁 19世紀の産業都市が地方の農村にツケを払わせたように、先進国の放埓な生活は その代償を途上国や新興国に押し付けています。環境破壊のツケを 将来世代に押し付ける態度はまさに「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」。
147頁▼ アソシエートした生産者が、盲目的な力に支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同的な制御のもとに置くということ、つまり最小の力の消費によって 自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行うこと▲
… アソシエートするとは、共通の目的のために自発的に結びつき共同するという意味です。
184頁… 階級だけでなく、ジェンダーや環境、人種の問題に取り組む新しいアソシエーションと脱商品化の道を改めて考えなければなりません。そしてそれがコモンの再生であり、最晩年のマルクスが考えていた脱成長コミュニズムなのです。
189頁 マルクスがこのテーマ(共同体社会)に興味を持ったきっかけは、マルク共同体をはじめとするアルカイク=原古的な共同体では土地が共有物として扱われ、人々が平等に暮らしていたということでした。
191頁 アルカイク原古的な共同体において、 持続可能性と平等が両立させることができていた理由は、資本主義とは全く異なる仕方での人間と自然の物質代謝の営みがあったからです … 共同体では人口や資本、生産や消費の総量が変わらないまま推移する「定常型経済」を実現していたのです。
194頁 ベラ・ザスリッチへの手紙
マルクスによればロシアは資本主義という屈辱的な道を通ることなくミールの共同性を基礎として一気にコミュニズムへと至ることができる。
196頁 マルクスが ミールを参照しながら目指していた豊かさは、人間と自然の共存を重視し、 富の豊かさを取り戻すことを要求していたのです。
そのためには、無限の経済成長は必要ない。だから私はこれを脱成長型経済と呼んでいます。晩期マルクスの コミュニズム像は、脱成長コミュニズムになっていくわけです。 これこそが大国になることを目指したソ連や中国とは全く違うポスト資本主義社会の可能性を切り開くのです。
197頁 マルクスは具体的にどんな将来社会を思い描いていたのでしょうか。
▼ 否定の否定は生産者の私的所有を再建することはせず 資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有を作り出す すなわち協業と地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有を再建するのである▲
[Erdeは従来、大土・土地と訳されてきたが、 斎藤は地球と訳した。その理由は、 マルクスがその土地に生える草木や、その土地を流れる小川、地下に眠る資源なども含めた意味で語っていたから]
198頁 否定の否定とは、資本の本源的蓄積によって否定され、生産手段と自然を略奪された労働者が資本の独占を否定し解体して、生産手段と地球をコモンとして取り戻すということです。「コモンとして」とは共有財産としてということです。
199頁 水や森林、あるいは地下資源といった根源的な富は、国や市場ではなくアソシエーションを通じて、コモンとしてみんなで持続可能な形で管理していこうということです。
… 要するにマルクスが思い描いていた将来社会は、コモンの再生にほかなりません。コモンに基づいた社会こそがコミュニズムです。わかりやすく言えば、社会の富が商品として現れないように、みんなでシェアして管理していく平等で持続可能な定常型経済社会を晩年のマルクスは構想していたのです。
204頁 [パリ・コミューンの経験]… 特権階級なきアソシエーションや協同組合が、 パリ・コミューンでは次々と芽生えていました。これこそまさに「労働の民主制」であり、コモンの再生です。 資本主義の中心であるパリに、貨幣と商品をやり取りして資本を増やすことを目的とするのではない、贈与や相互扶助にもとづいた実践が広がったのです。
213頁 コモンを基礎とするコミュニズムの原理は、資本主義社会のもとでも常に作用しています…友達の引っ越しを手伝うような損得を抜きにした助け合いもその一つです。私たちは皆日常生活においてはcommunistなのです。
221頁 世界に目を向けると、都市と農村の対立を乗り越える アソシエーションを作ろうとする動きが 21世紀に出てきています。
スペインの バルセロナ の呼びかけで始まった ミュニシパリズム(地域自治主義)の国際的ネットワーク
アムステルダム市 のドーナツ経済[ドーナツの内側の 輪郭・壁が社会的基盤で、教育・民主主義・住宅・電気など。ドーナツの外側の輪郭は地球の環境的上限。 できるだけ多くの人がドーナツの内側と外側の両方の円の間(ドーナツの身の部分)に入るような生活を実現する必要がある]
225頁 ドイツのベルリン州では、家賃の高騰に対抗して、住民投票で「3000戸以上のアパートを所有する不動産会社に対して、州がその一部を強制的に買い上げて公営住宅にする」を可決。
227頁 商品化の力を弱めて人々が参加できる民主主義の領域を経済の領域にも広げようとマルクスは言う。それこそがあらゆるものの商品化 commodificationからあらゆるもののコモン化commonification の大転換に向けたコミュニズムの戦いなのです
以上、労働の疎外からの回復、使用価値の重視、コモンの回復がわかりやすく述べられている。
◇歴史上の「社会主義」の否定
コミュニズムという言葉は、ソ連や中国と結びついている。「ソ連が崩壊したのはコミュニズムという考え方そのものが間違っていたから崩壊したのだ」―― このように 受け止められても仕方がない。
ソ連・中国と言った「歴史上の社会主義」は、マルクス・レーニン主義に主導されたコミュニズムであり、マルクス・レーニン主義は、知識人のコミュニズム理論であった[と、書評子は考える]。 知識人ではなく普通の労働者にコミュニズムを受け入れてもらうためには、マルクスレーニン主義のコミュニズムは本当のコミュニズムではない、ということを 示さなければならない。
だが、斎藤のソ連・中国批判は、もっぱら「民主主義の欠如」だ。分かりやすいが、「コモンの再生というコミュニズム」による歴史上の社会主義批判になっていない。
158頁 現存した歴史上の社会主義とマルクスのコミュニズムはどう違うのでしょうか。
たしかにソ連においては、最低限の医療の保障、教育や保育の無償化、諸個人の最低限の生活の保障のような措置がとられていました… それでも人々がソ連や中国の社会主義について否定的な印象を持つ大きな理由の一つが、民主主義の欠如です。社会主義と呼ばれる国々では、共産党の一党支配が敷かれており、それが深刻な被害をもたらしてきました。 …大粛清として知られる1930年代の大虐殺… 中国の文化大革命や天安門事件… 香港の民主化を求める人々やウイグル人のような少数民族に対する弾圧… 民主主義なき一党独裁に目指すべき未来社会の姿はないのです。
161頁… 生産手段の国有化は労働者たちを解放しない… 資本家の代わりに官僚が生産の意思決定権を握っている。そして彼らの指令の下で労働者は働くことになるのです。…西側諸国との競争に打ち勝って社会主義を建設するという大義のもとに、官僚は労働者たちの剰余労働を吸い上げて新部門への投資を行っていく。この過程を通じて官僚は特権階級になるのです。
…要するに現存した 社会主義国家とは、資本家にとってかわって官僚が労働者の剰余価値を搾取していく経済システムにすぎません。
165頁 … ソ連や中国・アフリカの国々が目指したことは、資本主義を別のやり方で発展させて近代化と経済成長を推し進めることに他ならなかった… 実際それらの国は、商品も貨幣も資本もあって、労働者の搾取も行われていました。ですから20世紀に社会主義を掲げた国の実態は、労働者のための社会主義とは呼べないたんなる独裁体制に過ぎなかった。 それは資本家の代わりに党と官僚が経済を牛耳る国家資本主義だったのです。
167頁 そもそも生産手段の私的所有こそが 資本主義の根本問題だという考え方は、直感的にわかりやすいものの、表層的な資本主義理解に止まっています… 資本主義の本質は、商品の等価交換の裏に潜んでいる労働者の搾取による剰余価値生産にあります… 資本主義を乗り越えるために必要なのは、搾取のない自由な労働のあり方を生み出すことなのです
169頁 マルクスにとって 資本主義に抵抗する上で重要なのは、国家権力の奪取や政治体制の変革ではなく、経済の領域でこの物象化の力を抑えていくことなのです。要するに商品や貨幣に依存せずとも生きていけるように、日々の選択の余地を広げていくということです。
171頁 マルクスが目指していたのは、 ソ連のような官僚支配の社会ではなく、人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会なのです。
ソ連・中国の共産党支配体制を「民主主義の欠如」と批判するとき、その「民主主義」は資本主義社会の「民主主義」とどう違うのか。
たしかに、齋藤は、「人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会」と言うが、 そのような民主主義は、ロシアや中国においてなぜ実現 できなかったのか。 ロシア革命中国革命の総括抜きで語られると重みがない。資本主義国には民主主義があるが、ソ連中国には民主主義がなかった/ない、と聞こえてしまう。
また、ソ連・中国を貨幣経済が支配している「国家資本主義」と規定するのは、抽象的すぎる。
レーニンとボリシェビキの「10月革命」には、 第一次大戦で危機に陥った帝政ロシアの政治経済社会体制全体の変革に向かうことなく、国家権力の奪取へと矮小化したという問題がある。その結果ボルシェビキは、帝政ロシアの 諸民族集団・諸地域共同体に対する支配体制を引き継いだだけでなく、新たに、非ボルシェビキの諸政治党派と人口の多数を占める農民に対する暴力的抑圧の体系を構築するに至った。スターリン体制である。
中国「社会主義」については、 レーニン・スターリンのソ連と一緒にはできない。 中華人民共和国の建国に至る毛沢東・中国共産党の 革命闘争は積極的に評価できるが、その後の毛沢東の大躍進・文化大革命は、中国人民にとって災難以外の何物でもなかった。 スターリンの秘密警察による独裁体制の悪しき影響と毛沢東自身の観念的革命主義が、毛沢東を中国人民の災厄へと変えてしまった。
こうした 不十分不適切な記述が一部にみられるが、 労働疎外からの回復を軸として コモンの回復・共同体の構築を目指すコミュニズムの提唱は、 多くの人々、とくに高度成長後の長期不況期に社会人となった若い人たちに、勇気を与えるものであろう。
◇ 『ゼロからの資本論』に欠けているものー-国家
最後に、斎藤の資本主義論とコミュニズム論に欠けているものを指摘したい。それは、「国家」である。
資本主義の発生は15世紀・大航海時代に始まるとみてよいが、資本主義は、国家抜きの 純粋な経済過程として生成発展してきたわけではない。
斎藤は、ソ連や中国を コミュニズムではなく「国家資本主義」だと批判するが、イギリスやドイツやアメリカを「国家資本主義」とは言わない。言わないのは、国家との結びつきが自明だからだ。
ロシアのウクライナ侵攻、日本の軍事強国化と戦後平和憲法体制からの歴史的転換 ――アメリカに代わって中国包囲体制の中核を担う。こうした国際政治と国家の問題が 『ゼロからの資本論』には一言も登場しない。
なぜか。
それは斎藤のマルクス理解が もっぱら『資本論』以前(疎外論)と『資本論』以後(共同体論)に向けられ、肝心の『資本論』がおろそかにされているからではないか。
マルクスは初期の疎外論・唯物史観に飽き足らず、資本主義の研究に向かった。『資本論』である。
資本論が明らかにしたのは 「価値増殖する運動体としての 資本」であり、そうした「資本」の運動法則であった。
マルクスの 資本主義研究は 商品の2要因(価値と使用価値)の分析からはいり、 商品から貨幣が生まれ、貨幣から資本が生まれることを明らかにした。そして「価値増殖する運動体」としての資本の運動法則を明らかにした。
マルクスの資本の運動法則の研究は、19世紀中葉のイギリスの10年ごとの循環恐慌に限られる。 時代的制約である。当時の世界経済は、イギリス中心の世界経済であり、イギリスの金本位制が世界の金本位制であった。イングランド銀行の銀行券(銀行が発行する一覧払いかつ定額の手形= 借用証書。ポンド)が、イギリス国民経済の通貨であり、 同時に 国際通貨(世界貨幣)であった。 ポンドの 価値を維持する仕組みとして金本位制があった。 ここではイングランド銀行が国家の銀行であるということは後景に退いている
19世紀末、大不況をへて、ドイツやアメリカの経済力が大きくなり、 それぞれの経済力を背景とする世界的な軍拡競争が激しくなると、 世界経済は、国民経済と国民経済の対立が前面に出てくる。各国の経済(国民経済)は、各国の国家的利害に従属するようになる。 国民経済は国家資本主義となる。
国民経済は、国民通貨によって循環している。 国民通貨はそれぞれの国家の中央銀行の銀行券である。資本主義の世界経済――世界資本主義――は それぞれの国家の利害に従属する国民経済[国家資本主義]の世界編成としてのみ存在することになる。
列強の資本主義は、軍事経済と結びつき、国家間の戦争は「外交の延長」(クラウゼヴィッツ)を超えて、相手国の国家体制の崩壊に至るまでやまない「絶滅戦争」となった。第一次世界大戦である。
第一次世界大戦は、また、 経済資源と国民を総動員する史上初の総力戦となった。それ以降、列強の総力戦体制が解除されることはなく、 第二次世界大戦を引き起こし、さらに 米ソ対立を軸とする冷戦体制に引き継がれていく。
イギリスを引き継いで覇権国家となったアメリカは、 建国の理念が唯一の国家統合のアイデンティティであり、 建国理念の実現としての(仮想敵に対する)総力戦体制の維持が、 国家統合にとって不可欠であった。ソ連「共産主義体制」が崩壊すれば、それに代わる敵(イラン、イラク、北朝鮮などの「ならず者国家」)を作り出して、総力戦体制を維持するほかなかった。今日の世界政治を規定する大前提は、こうした、アメリカにとって自らの国家としての存立に不可欠な「総力戦体制」であり、総力総力戦体制を合理化する「脅威」「敵」の存在である。
軍事力の維持再生産は、 斎藤の言う「富」の最大の浪費であり、アメリカ経済の衰退の 最大の原因でもある。
マルクスはその時代的制約によって、また列強の政治的軍事的外交的動向についての情報不足から、こうした資本主義経済の総力戦体制化まで見通すことはできなかったが、マルクスは『資本論』によって、資本主義経済の運動法則を解明するための経済学理論をつくりだした。斎藤が、『資本論』の経済学によって国家と資本主義の結合の今日的姿を明らかにし、国家との闘いを、コモン主義コミュニズムを目指す闘いに取り込むことを期待する。
蛇足だが、私の経済学の師・岩田弘は「コミュニズムはコミューン(共同体)主義だ」 と言っていた。 共同体と言われても、いかなる共同体か、不明であった。
斎藤は「コミュニズムはコモン主義、つまり共同体による富の共有だ」と言う。「共同体」に内実が与えられ、「コミュニズムはコミューン主義」もようやく進化することができた。
(2023年2月26日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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