危機の時代における「治安維持法」と「特定秘密保護法」

書評:来栖宗孝著『治安維持法 断想―─徳田球一上申書に寄せて―─社会的・思想的視点から』(社会批評社2014.9.15発行 1500円+税)

栗栖

著者来栖宗孝先生は、1920年の生まれ、御年94歳になる。確か、名古屋大学名誉教授(イギリスを中心にした近代西洋思想史の大家)の水田洋先生と同じ御歳である。お二人とも大変お元気で、いまだに学問的な、また社会変革への情熱にもいささかの衰えも感じさせない。まことに慶賀に堪えない、とともに、私ごとき後進にとっては大いに励ましとなる。

その来栖先生が昨年上梓されたのが本書である。とはいっても、実際には「あとがき」にあるように、「徳田上申書」に刺激されて1984年に大方執筆されていたものという。それを出版しようと思い立たせた直接の動機は、2013年9月3日に公表された「特定秘密保護法案」であった(2013年12月6日法案成立、2014年12月10日施行)。

先生はこの「法案」の中に、戦前、戦中のあの恐るべき「治安維持法」の暴戻を読み取り、ご自身の体験に照らし合わせながらこの警世の書を世に問うたのである。

「ただ、学生時代、治安維持法の脅威を知る者として、それから逃避し韜晦していたことに対する痛切な反省として、本稿を記述せざるを得なかったことを御了承いただきたい。」

(「あとがき」p.210)

 

1.「治安維持法」と「特高警察」

一昨年ある講演会で、元外務省国際情報局長・孫崎享氏は、この「特定秘密保護法案」は明らかに公安警察当局のヘゲモニーで作成されたものに違いないと話していた。

現在の公安警察といえば、かつての「特高」や「憲兵」である。

私などは当時の体験はないにもかかわらず、「治安維持法」というとすぐに「特高警察」の名前が、その苛烈きわまる取調べ、拷問とともに、二重写し的に思い浮かぶ。

日本近代史上にあの悪名高い「特別高等警察」(特高)が登場するのは、1910年〈明治43年〉の「大逆事件」の翌年1911年8月21日である。警視庁の官制改正によって、それまで警視庁高等課の中にあった「特別高等係」と「検閲係」が、高等課から分離され、「特別高等課」が新設されたことによる。

特高課は発足当初は小さな部署で、警察行政の中では「比較的等閑視されて」いたという。それがあのような醜悪な怪物に育っていく過程は、国内での治安維持という名の思想、言論弾圧、自由の抑圧の進捗と完全に合致している。

「治安維持法が1925年〈大正14年法律第46号〉に制定されてから、とめどもなく拡充強化の道を大手を振って突き進んだ思想・宗教・学問・藝術さらに広く文化取締法であり、国民生活の監視・弾圧法に堕落していったことは周知の事実である。」(本書p.5)

「治安維持法」は当初あくまで「日本共産党」(1922年結成)を中心とした国内の左翼的運動の取り締まり、思想の弾圧を目指したものであったが、1941年のいわゆる「大東亜戦争」突入前夜からその適用、取り締まりの範囲は大幅に拡張され(41年3月法改正)、左翼的人士のみならず、自由主義的思想家、学者、宗教者などにも累が及ぶようになる。

そして、「治安維持法の適用を受けた者は、1943年4月末までで、検挙6万7223名、起訴6024名とされている。45年10月15日に廃棄されるまでの20年の歴史において、検挙者は優に7万名を超え、実際はそれ以上に10万名に達するであろう。」(本書p.162)という空前の大弾圧になるのである。

 

2.「治安維持法」の膨張と「特高」の暴走を許したものは何か?

ここではこれらの成立史、時代背景に触れることは割愛する。この書の第3章、第7章の冒頭部で「治安維持法」の成立時や拡張時の時代状況が簡要に述べられている、是非ご参照いただきたい。

ここでは以下特徴的な点をいくつかご紹介させていただくだけに留める。

先ず、「目的遂行行為」という弾圧根拠がある。例えば次のような具合である。

「コップ(日本プロレタリア文化聯盟)等の団体の活動はすべて『日本共産党』の『目的遂行ノ為ニスル行為』であり、したがってこれらの組織は日本共産党の支援団体であり『目的遂行ノ為ニスル』結社であるというのです。一口にいえば、これらの組織は、国体変革を目的とする日本共産党の『目的遂行ノ為ニスル行為』を為す結社だから非合法結社であるという(まことに手前勝手な)新解釈である。このようにもともと広範な意味内容を含む『目的遂行のための行為』の連鎖を作れば、どんな人でもどんな行為でも目的遂行罪でひっかけることが可能である。ばかばかしい詭弁はいくらでもできる。」(本書p.62)

つまり、ある共産主義者(あるいはかかる考えの持ち主)に関わるすべての人間が、「目的遂行ノ為ニスル行為」を為す者として、立派な犯罪者となりうるというのである。

かかる恣意的なでっち上げによって、容疑者(犯罪者)は「芋づる式」に膨らんでいったのである。

さらに、先述した1941年の「法改正(いつの時代も改悪でしかないが)」によって、「国体変革」を意図・実行するのではなく、ただ「国体を認めない(拒絶)」(例えば、宗教的理由などで)ということさえも犯罪になるという拡大運用がまかり通るようになる。この意味は、「実際は、官憲が『これは怪しい』と思った人をいつでも検挙・弾圧できるということである。」(本書p.124)

これは「目的遂行行為」論のだめ押しというところであろうか。要するに日本が「万世一系の天皇が治める国」であることを認め、それに「臣民」として使えること、その際、天皇は道徳的、宗教的な唯一の権威の源(国家の元首、神聖不可侵な存在=現人神)であり、このことを「国体」として信奉すべし、信奉しない者はすべて犯罪人である、ということだ。

このような全く理不尽な言いがかりで犯罪人に仕立て上げられても、碌に弁護の余地すら与えられなかった。それが「刑事手続きの特別規定」である。

詳細は本文のp.124以下に直接あたってほしいのだが、一言でいえば、裁判の有名無実化であろう。

「治安維持法にとって裁判はますます空洞化・形骸化していったのである。1941年の改正は裁判手続きをいっそう簡略化したことによって、裁判は事実上軽視された。…治安維持法運用において裁判所は、警察・検察に劣らぬ反動的役割を果たしたのであって権力追随の本質を露呈したのである。」(本書p.128)

滑稽(といっては被告人に対して失礼千万だが)なのは、当時、最高裁判所は、一般刑事事件の被告に対しては人権保障の機能を果たしていたのに、政治犯に対しては、そのような人権は全く無視してきたという事実である。(本書p.128)

もう一つ、これぞ最後の切り札として出してきたのが、「予防拘禁制度の新設」であった。

いうまでもなく「将来再び罪を犯す恐れがある」という権力側からの勝手な作り話(憶測)に基づいて、逮捕の上、未来永劫に(無期)拘禁するという制度である。

この恐るべき極悪非道な制度、中世の「魔女狩り」にも擬せられる制度について、当然ながら著者は満身の怒りを込めてこれを弾劾し告発している。こんな非人道的な、人倫に悖る法が許されるのかと。著者ご自身お書きになっているように、それ故この第7章の叙述が全体の中で「構成上バランスを失するほど」の分量になっているのである。

 

3.「治安維持法」の暴虐を許したもの―本書の特色について

本書は結章として「徳田上申書」を細かく解読している。「徳田上申書」はこの書評の最初で述べたように、著者がこの論文を書く機縁となったものである。

徳田球一が獄中で特高の熾烈な取り調べに屈することなく、非転向を貫いたばかりでなく、特高警察や検事の尋問にも実に軽妙に受け答えしてはぐらかす頭脳のよさを見せながら、しかもその節は決して曲げない(彼ら取調官の口車に乗って「自己批判書」=転向声明でも出せば、たちまち世間への宣伝材料に使われ、運動は実践的のみならず、精神的にも壊滅状態に追い込まれる恐れがあるからだ)。

そして何より驚かされたのは、そういう鉄の意志を持つ徳田が、山辺健太郎に言ったという「転向者」を不必要に攻めてはいけないという言葉である。

非転向者は勝ち組(神格化)、転向者は負け組の脱落者、こういう無残なレッテル張りが、戦後の日本の左翼運動をいかに惨めな貧しい状況に追いやってきたのか、いかに多くの同志や賛同者を脱落、排除する結果になったか、運動を阻害する要因になったか、こういう点に徳田は、また著者も誠実に目を向けている。

著者は、かつて(1950年)徳田球一を批判する意見書を出し、除名された経験を持つ。それでもこの章では次のように書いている。徳田がその人生最大の苦境の中で「ほとんど孤立無援のまま節を屈せず、『敵権力』から選択を迫られたときの態度、行動はいかにも生来の革命家に適しい出処進退を示したものといえるのである。」(本書p.192)

このような著者の視点の公正さこそがこの書の大きな特色である。

さらに著者によれば、1945年10月10日、府中刑務所から徳田、志賀義雄、金天海、黒木重徳、山辺健太郎などが釈放されたとき出迎えた大衆の圧倒的多数は朝鮮人であった(岩田英一、木村三郎など少数の日本人もいたが)という。

特高による「治安維持法違反」の取り調べの苛烈さ、運動の暴力的な圧殺があったにしても、これではあまりにも不甲斐ないのではないかというのが著者の憤りとして聞こえてくる。

西欧と違って、日本人はいまだに本格的な市民革命を戦った経験を持たないがゆえに、人権の何たるか、自由の何たるか、そのかけがえのない貴重さを心底では理解しえていないのだ、というのがおそらくこの憤りに結びついてくるある種の慨嘆なのであろうか。

また、運動がなかなか大衆的な広がりを持ちえない一要因として、先に示した、「非転向者=勝ち組=神格化」張りの絶対的な上から目線が確立し、上意下達の組織としての「党」が支配する構造が出来上がっているのではないか。それ故、労働組合も大衆運動(反原発、護憲運動など)も、「共産党はこれらを直轄植民地=天領にしないと気が済まないのである。これは一面は自信の欠如、他面は大衆不信の現れである。」(本書p.165)

このような手厳しい批判はただ日本共産党にだけ向けられているわけではない。日本人の持つ精神構造の中に、長いものには巻かれろ式の「事大主義」があるではないか、という。また国際共産主義運動への批判も視野に入れられている。特にスターリンや毛沢東への批判(主題的に論じた訳ではなく、脚注で触れられているにすぎないが)には、さすがにと思えるところが多々ある。

終わりに、この著書の最後におかれている「資料 特定秘密保護法案について思う」に関して少し述べたい。

この論稿が書かれた当時はまだ「法案」であったが、その後、国会内でのろくな議論もなく、しかも大衆の圧倒的な不信、危惧、反対の声すら無視して、与党の数の力だけで2013年12月6日に法案が成立、2014年12月10日から施行、そしてすかさず382事項が特定秘密事項に指定されたことはまだ記憶に新しい。

この言論封殺の法律が、同時並行的に矢継ぎ早に成立実施されている(あるいはされようとしている)「集団的自衛権」「武器輸出支援策―防衛産業への資金援助」「自衛隊海外派遣恒久法案」「日本版NSC組織」「憲法第9条廃棄」などと符牒を合わせて作られていることに注目されたい。これは、かかる急速な右傾化が国内で引き起こすであろうと予測される反対運動、政権批判の動き、などをいち早く弾圧しようとの予防線を孕んだものであり、まことに戦前の「治安維持法」に内容的にも酷似している。「法」の内容のいちいちの検討は直接本文にあたって頂きたい。

こういう危機の時代に、先生のような経験をお持ちの方が傍にいて、本書のような公正な目配りの論文を公刊されることを喜ぶとともに、我々はこの内容を大いに学び活用させて頂かなければ、実際に取り返しのつかない事態に追いやられるのではないかと思う。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5166:150206〕