Keywords:(評者のメモ)
地方自治、地域経済、政治学、原子力発電所(原発)、脱原発、反原発、若狭、敦賀原発、もんじゅ、美浜原発、大飯原発、高浜原発、伊方原発、原子力平和利用、原発集中立地、原発訴訟、原発避難、原子力ムラ、安全神話、必要神話、立地地元、被害地元、消費地元、熟知民主主義、差別、電源三法、福島原発、再生可能エネルギー(自然エネルギー)
著者:小野一 (おの はじめ)
書名:地方自治と脱原発 若狭湾の地域経済をめぐって
Local Autonomy and Nuclear Phase-out:
About Regional Economy in Wakasa-Bay Area
出版社:社会評論社
初版第1刷発行:2016年2月15日
文中の“太字”は、本書からの引用文。
本書は、A5版191ページからなり、目次に3ページを使い、プロローグから始まり、6つの章へとつながり、エピローグと索引で終わる。各章には複数の節があり、それぞれに主要な項目が列挙され、読者の参照の便宜を図っている。文章は、学術価値を保ちつつ、簡潔で読みやすい。
以下、各章ごとに重要な論点を紹介し、読者の興味を引きたい;
プロローグ:「3.11」から「2015年安保」まで
プロローグは“2015年9月19日未明、集団的自衛権容認などを柱とする安全保障関連法が参議院本会議で可決された。”で始まる。”原発推進の基底をなす、中央集権的政治機構と経済成長路線、戦後日本政治の常識に対する批判的検証が、全編を通じて貫かれる問題関心であるとしている。
第1章 若狭への視点
風向明媚だが過疎地である若狭湾沿岸(福井県嶺南地域)に15基の原発が集中的に建設された。明通寺住職中嶌哲演氏(当時は副住職)らによって1971年に結成された「原子力発電所設置反対小浜市民の会」は「美しい若狭を守ろう!」をスローガンに有権者の過半数の署名集めた。歴代の市長は、市民の強い意向を受け入れた。その後、小浜市は原子力関連施設の誘致をすべて拒否してきた。しかしながら、これらの経過の中で見えてきたものとして、著者は、原発関連企業の雇用者や原発と何らかの関わりをもって生計を立てている若狭湾沿岸の住民の声なき声を聞き、電源三法交付金に依存してきた自治体とその関連施設を調査してきた。若狭の住民は中央集権的な権力に支配され重層的な差別構造の中で生き抜いているが、複雑な感情を持ち続けているという問題性を明らかにしている。
第2章 原発経済と地域社会
電源三法交付金(1974年法案成立)の財源が電気使用に課せられる“目に見えない税金”であることを明らかにし、三法交付金は“日本的金権システム“であると述べている。交付金の「麻薬化」を紹介し、生計を死守するため、原発マネーに群がり再稼働を望む住民もいるが、住民の大半は脱原発を望んでいるという。
第3章 若狭の声を聞け—中嶌哲演住職との対話から示唆を得て
琵琶湖が放射性物質で汚染されることを恐れた嘉田由起子前滋賀県知事は、「被害地元」をいう造語を使って、原発の再稼働に反対した。中嶌氏は新たに「消費地元」という造語で「立地地元」との脱原発の連携を強めたいという。原発立地における重層的な差別構造が厳然と生きている中で、宗教者である中嶌氏は、即物的な恩恵を超える「自利と他利の精神」の価値を説いている。著者は、中嶌氏の哲学価値に感動し、「美しい若狭を守る」声を聞けと訴えている。
第4章 究極の差別構造としての原子力発電
原発労働者だけでなく、原発の風下に居住する住民が受ける放射性健康障害があることを、(行政側はこれを認めようとしないが) 著者は『週間プレイボーイ』が1994年に行った現地調査報告および原発労働者への聞き取りなどから、差別構造の問題をとらえている。原子力平和利用の虚構があばかれたのは、福島原発事故以降であり、脱原発世論の高揚は日本政治上特筆できるとしている。
第5章 「司法は生きていた」―大飯原発差し止め訴訟福井地裁判決の波紋
2014年5月21日、福井地方裁判所は、大飯原発3、4号機の運転を禁じる判決を下した。その新奇性と価値は、人格権が最高の価値を持つとしたことにあることを確認ししつつ、人格権の概念を議論している。また、2015年4月14日、福井地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定にも触れ,「新規制基準が緩やかに過ぎる」とした理由を明らかにしている。一方、川内原発1、2号機の運転差し止め仮処分については、鹿児島地裁が申し立てを却下したことを述べ,司法判断が分かれ混乱しているとしている。
第6章 若狭と大和の新しい絆 ―原発避難相互援助計画に見る地方自治の可能性
福島原発事故の教訓として、避難対象区域の拡大があるとして、複数の府県にまたがる避難者の受入計画が不可欠であることを指摘している。敦賀市と避難者受け入れ先の奈良県内の4市との具体的な連携についてその実効性を調査検討し、受け入れ側の負担が大きいとして、“それだけの負担をしてもなお原子力発電を続けるべきか、という問いにまで行き着く。”と述べている。
エピローグ 原子力ムラはどこにある
著者は、中嶌哲演氏の「原子力ムラはむしろ原発立地にある」という議論を踏まえ,福井県出身者として地元のことに沈黙する態度をとることを止めて、本書を出版し、政治学者としての責務を果たそうとしたと結んでいる。プロローグで述べた著者の問題関心は全編を通して明確になったと、評者は思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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