(2021年1月16日)
早朝の散歩コースは、ときに変わる。特に理由はなく、まったく気まぐれに。いつもは本郷三丁目交差点を左折して、湯島から不忍池に向かうのだが、今日はなんとなく交差点を直進して神田明神の境内を覗いてみた。信心のカケラも持ち合わせていないこの身のこと、決して詣でたわけではない。失礼にはならないようには気をつけながら眺めてきただけ。
まだ、ここの境内は正月モード。昇殿参拝を受け付けていた。個人コースは、1万円、2万円、3万円の参拝料。会社・法人コースは、3万円、5万円、7万円、そして10万円以上と看板が掛かっており、早朝から申込みの列ができていた。
資本主義とは大したもの、信仰も習俗も経済原則に呑み込んでしまうのだ。1万円コースでは1万円相当の御利益があり、3万円コースではその3倍の御利益があるに違いない。少なくとも、善男善女はそう考えざるを得ない。商売繁盛・社運興隆・心願成就・除災厄除・学業成就・良縁祈願…、ご利益の有無も対価の金額次第。
私は神社めぐりの際には、参詣者が奉納するミニ絵馬を眺める。庶民のささやかな、しかし切実な願いに、心が和んだり痛んだり、共感したり反発したり。そして、必ず日付に注目する。西暦表示か元号かが関心事。最近は、どこの神社の奉納絵馬も、西暦表示派が圧倒している。本日の神田明神は、「2021年」の表示がほぼ8割。「令和3年」は2割に満たない。
ここに祭神として祀られている平将門とは、ときの朱雀天皇に敵対して自ら「新皇」と称し、坂東の独立を宣言した人物。今の世なら内乱罪の首謀者である。当然に、朝敵となって討伐されたが、民衆の人気故に、死して平将門命となり祭神として祀られている。
天皇に対する反逆者として死亡した「平将門の命(みこと)」が一世一元の元号使用を快しとするはずはない。果たして、「令和3年」表示派に、御利益を与える寛容さがあるだろうか。
改めて考える。この国では長く朝廷こそが「正統」であった。しかし、朝廷に深い怨みを抱く菅原道真や平将門が民衆に人気を博していることは興味深い。朝敵という「異端」を祀ろうという庶民の心意気に敬意を表したい。
正統に対峙する「異論」こそが、民主主義に死活に重要なのだ。朝敵という「異端」を神として祀るなどは、「異論」表明の最たるもの。とすれば、湯島天神も、神田明神も、「民主主義神社」であったか。賽銭を投じる気持ちまでにはならないが、明治神宮には背を向けても神田明神には一礼くらいはしてもよいのかもしれない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.1.16より許可を得て転載
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