木村草太氏への疑問:戦後の「夫婦同氏制度」をめぐって  ― 「結婚」という制度への問い

前回、いろいろな問題含みの「離婚に伴う共同親権」を取り上げながら、私は「共同親権」問題をひとまず迂回して、それ以前に、日本における「親権」の制度・実態の問題性に着目しようと試みた。
 だが、読者や友人からは、「タイトル違反?」「はぐらかし?」というクレームも頂戴した。もちろん、「共同親権」についても、もう少しじっくりと考えていきたいと思っているが、やはり、その前に「日本の結婚制度」(およびそれに付随する「親権」制度)そのものへの批判・違和感を放置しておくわけにはいかないのだ。すでに、さまざまに批判され問題にされてきた「日本の結婚制度」ではあるが、いま少し、その問題性にしつこく拘り続けたいと思っている。

木村草太氏への疑問(1)・・・「夫婦同氏」制度の戦前・戦後
 『婦人公論』(中央公論社)2024年7月号は、「結婚って何?」という特集を組んでいる。中に、憲法学者・木村草太氏に聞く―「選択的夫婦別姓」「同性婚」の現在地(・ ・ ・)・・・という記事がある。「聞き役」はエッセイストの酒井順子さんだ。
 この特集記事の木村草太氏の発言の中で、私は2、3カ所ほど疑問を抱いたのだが、その前に、まずは「日本の婚姻制度の使いやすさ」についての二人のやりとりを紹介しておこう。

木村 日本は生まれてくる子どもの97%が婚内子ですから、先進国としては婚姻制度が崩壊していない珍しい国でしょうね。ヨーロッパだと約4割が婚外子です。
酒井 欧米で制度が崩壊しつつあるのは、婚姻が面倒だから?
木村 そうだと思います。日本で婚姻制度の利用率が高いのは、端的に言えば使いやすいからなんですよ。たとえば裁判所を通さないと離婚できない仕組みの場合、互いに弁護士費用が100万円単位でかかってしまう。それに比べれば日本の離婚は簡単なほうだし、争うことがなければ紙1枚で済む。結婚も離婚も紙1枚で済んで、届に不備がなければ本人でなく代理人が提出してもいい。相続権などの権利も得られる。かなり便利に作られているとは思いますね。
酒井 日本での「結婚」は面倒だとずっと思ってきました。でも面倒に感じていたのは、結婚によって社会的に課される柵(しがらみ)に対してなのかもしれませんね。世界と比べると日本の結婚は意外にもライト。
木村 民法752条に「夫婦は同居し」と同居義務規定がありますが、別に同居しなくたって誰にも叱られませんしね。では日本の制度で外せないのは何かというと、夫婦の「同氏」。つまり戸籍上の姓が同一であることが求められる点くらいなんです(p.43-44)。

 この後、木村草太氏は、日本の「夫婦同氏」制度について、次のように述べている。

木村 ・・・ただ日本における夫婦同氏制は、男女平等の理念に沿った、むしろ女性の権利保護のための制度であった点は忘れないでほしいと思います。
酒井 明治より前の平民に姓の概念はないですし、明治民法で家制度が導入されたんですよね。
木村 当時の妻は夫の家には入れてもらえず、明治民法が成立する1898年まで制度的には夫婦別姓でした(p.45)。

 確かに、明治民法成立以前と以後とを比較すると、「女性は‟他家の人間”だから元の姓のまま」という時代を経て、「家制度」を確立した明治民法以降では、「嫁に貰われて来た女」もまた「家の女=嫁」として「家の氏=同姓」を認められたのは事実である。現近代にまで続いてきた韓国の「夫婦別姓」が「日本よりも遅れている」と蔑まれたのも、その一つの事例ではある。(しかし逆に、「夫婦同氏」の日本よりも、「夫婦別氏」の韓国の方が、その後の、結婚をめぐる「男女平等」がより容易く浸透していったのは皮肉ではある)。
 ところで日本に話を戻すが、家制度下に「嫁」として繰り込まれた女の立場、さらにそこでの「同氏・同姓」は、木村氏の語るような「男女平等」の理念に沿ったもの、と単純に理解されるようなものではない。今さら述べるまでもなく、「家」の相続=男子出産を当然のように期待された「嫁取り」は、「子なきは去る」から始まる離縁の条件=「七去」を中心とした「女=子産み器」という身も蓋もない位置づけ、さらにまた、ひたすら「良妻賢母」を要求される「家制度の支え手」でしかなかったことは、あえて言うまでもないだろう。
 もっとも、戦後民法は、戦前の「家制度」を否定した上で確立されたもの・・・と木村氏は考えているのだろう。
 しかし、戦後、確かに「民主主義」が移入され、「男女平等」が表向き声高く主張されたのは事実であるが、日本国憲法における天皇条項を初め、日本の「戦後民主主義」それ自体が、未だ多くの課題を背負っていることは言うまでもない。と同時に戦後まもなく制定された「民法」に、いかに多くの「家制度」、というよりも「家制度」下で醸成された「家」という意識・感覚、さらに言えば、夫婦・家族の中に浸透する「〝家”を引きずる共同体意識」が残存していることか・・・木村草太氏こそ知悉しているはずである(731条:婚姻年齢、733条:女性の再婚禁止期間、772条:婚姻中の子どもは夫の子、離婚後300日以内の子どもは元夫を父とする、等々)。
 以上のような経緯を辿る時、戦後民法による「夫婦同氏制度」が、なぜ「同氏」でなければならないのか、という疑問すら想定されえない、ある意味「家」制度下で身体化された国民的「常識」に下支えされたものだった、ことが分かる。だとすれば、それが「男女平等の理念に沿った」「女性の権利保障のための制度であった」と何の留保もためらいもなく断言することは、やはりそのままやり過ごす訳にはいかない、と私は思う。
 「結婚」という制度は、人が生まれてからの幼少期を過ごす生活の基盤を、日々、無意識のうちに規定し規制するものである。日々の生活の中で、本人も自覚なく身につけた「感覚」を、改めて相対化し、それを客観的に問題にすることが、いかに困難なことか・・・戦後の女の人たちによる、「民法の不都合」の指摘や是正にどれだけの時間がかかったか・・・それは決して忘れてもらっては困る事実である。

木村草太氏への疑問(2)・・・戦後もなぜ「夫婦同氏」が要求されるのか?
 戦後の日本で、無条件に前提にされる「夫婦同氏」の規定(民法750条)について、なぜか木村氏は楽天的?である。
 「ちなみに木村さんはご結婚の際、姓をどうするかといった話し合いはされたんですか」という酒井氏の質問に応えて、木村氏は次のように語っている。

木村 私の妻は民法の研究者で、「氏にこだわる理由がない」という立場です。もともとの自分の氏にも、婚姻後の氏にもこだわりはない。・・・
木村 ・・・新憲法によって民法が改正され、家制度は廃止されたので、もはや戸主とか家といった概念は存在しないんです。戦後家族法の基本単位は核家族。夫と妻と未婚の子どもです。婚姻すると家を出て、新しい家を作る。たとえば私の姓は木村のままのようでも、婚姻前の木村と婚姻後の木村は別の木村というわけです。・・・
酒井 木村さんはご夫婦で解釈を同じくしているので問題ないですが、別の木村といっても、正直見た目は一緒じゃないですか。(笑)
木村 「木村」は記号でしかないので。マイナンバーの下2ケタと同じです。(笑)(p.45)

 この部分の木村氏の発言に限れば、妻になった人が、偶々「氏にこだわりのない人」だったようだが、それでも、木村氏は「妻の氏」になろうとは思わなかったのか。その選択肢はあったのか。
 また、「氏・姓」とその下につく「名前」は、本人のものであるだけでなく、他人からの「認証」でもある。「木村草太」氏が、「村木草太」になっただけで、すでに「同一人物」とは認められなくなる。
 さらに、木村氏は、「婚姻すると家を出て、新しい家を作る」と語っているが、次男、三男は別として、長男の場合は、戦後しばらくは親の家を継ぎ、「三世帯同居」も一定の割合で残ってきたことを忘れてもらっては困ることである。
 確かに、戦後は法的には「家」制度は廃止されたが、「世帯主」の称号は残り、ほとんどの場合、「夫」がその位置に定まっている。
 多くの人々にとって、戦前の「家」意識がなお根強く身についていたこと、いま現在でも、なおしつこく残り続けていることを、木村氏はもっと意識してもよいのではないだろうか。

木村 だから「籍を入れる」というのも誤った表現ですね。「入籍」はすでにある戸籍に誰かの籍を入れるという意味ですから。婚姻の際、夫と妻とで新しい戸籍を作っているので、籍を新設すると言ったほうが正しい(p.46)。
木村 現状の法制度では、別姓を希望する以上、法律婚をしたくてもできない状況を強制されているわけで、それは問題だと思います(p.46)。

 1996年、法務省の法制審議会が答申し、「夫婦別姓を認める法改正案」が、自民党議員の反対多数で国会提出に至らなかったことは歴史的な事実であるが、2019年の最高裁判所大法廷判決も、「夫婦同氏」制度は、基本的には「夫婦間の協議による自由選択に委ねられている」と述べており、未だ、「夫婦同氏」そのものの基本的な問題性には立ち入ってはいない。この点に関しては、木村草太氏も同様である。

木村草太氏への疑問(3)・・・「選択的夫婦別姓」に反対する人の本音?
 最後に、木村草太氏の「奇妙な確信」への疑義を述べておこう。
 2022年の内閣府の調査でも、結婚に当たって「夫の氏」に変える女性の割合が全体の95%だという。そのことについて、「壁は政治ですか」「家族の一体感が失われる」とか、そういうことですか?と問う酒井氏に対して、木村氏は次のように語っている。

木村 ・・・別姓反対論者は戸籍制度を守るとか伝統的な家族観とかもっともらしいことを言っていますが、本音は違うと思いますね。
酒井 「家族の一体感が失われる」とかそういうことですか。
木村 選択的夫婦別姓が導入されたら、自分の妻が氏を変えたいと言い出すかもしれない。単にそれが嫌なんですよ。「妻に嫌われているかもしれない」と不安を抱いている夫婦が多いから。
酒井 え、そんな理由!?(笑)
木村 そんな理由でも、男性にとっては恐怖だと思いますよ。だって夫婦同姓でなきゃいけないまともな理由なんて、一度も聞いたことがないでしょう。・・・
木村 ・・・不安を感じているのはこれから結婚する人より、すでに結婚している人たちです。
木村 ・・・自分の支配下にあるはずの妻が、氏を変えたいと言い出すのが怖い。すでに結婚していて同氏でうまくいっているなら、他人が別氏で結婚したところでどうでもいいじゃないですか。なぜあんなに頑なに反対するのか。どこかでわがこととして考えているからでしょう(p.44)。

 さて、ここまで来ると、またまた「振り出し」に戻るかのように、果たして戦後の日本の「結婚」とは何だったのか?という問いに行き着いてしまう。現在の「非婚化」の増大、そして歯止めの効かない「少子化」の進行・・・いま少し、「結婚」とは何なのか?という問いに拘り続けなければ・・・と思う。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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