本日は、天皇制の罪悪を再確認すべき日である。

(2022年2月11日)
「建国記念の日」である。言わずと知れた旧紀元節。かつて、この日が当てずっぽうに「初代天皇即位の日」とされ、それゆえに「建国の日」とされた。天皇制の発祥と、日本の建国とは同義だった特異な時代でのこと。また、この日は大日本帝国憲法公布の日ともされた。いまどき、こんな日をめでたがってはならない。

ところが、この日を奉祝しようという一群の勢力がある。いまだに、天皇制という洗脳装置によるマインドコントロール状態を脱しきれていない哀れな人々と、この哀れな人々を利用しようとたくらむ輩と。その勢力にとっては、本日こそが「褒むべき天皇制起源の祝祭日」であり、「歴史修正主義奉祝記念日」でもある。

本日を我が国の「建国記念」の日とすることは、我が国を「フェイク国家」と貶め、明治期に急拵えされた天皇制絶対主義のチャチな欺しを容認しているという証しにほかならない。

我が国の近代は珍妙な宗教国家であった。ようやくにして1945年8月に、あるいは遅くとも1947年5月には、旧国家から断絶して国家存立の基本原理をまったく新たにする「普通の価値観国家」となった。が、この断絶にはいくつもの穴があって、往々にして戦前と戦後が相通じている局面に遭遇せざるを得ない。戦前と戦後の断絶を明確に認識する史観と、連続性を強調する史観とがせめぎあっている。本日は、そのことを意識させられる日。

本日、《「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ》なるものが官邸のホームページに掲載された。その幾つかの節を取りあげたい。

 「「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、遠く我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日です。」

典型的な連続史観の表白である。「愛すべき国の成り立ちは、連綿たる遠い過去にある」として、そのように位置づけられた国の発展を願う、という。国民主権国家、平和国家、人権尊重国家として生まれ変わったこの国の大原則を大切にしよう、とは言わないのだ。

 「長い歴史の中で、我が国は、幾度となく、大きな困難や過酷な試練に直面しましたが、その度に、先人たちは、勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や戦後高度経済成長など、幾多の奇跡を実現してきました。」

これにも驚かざるを得ない。神権天皇制を拵え上げ、その集大成としての欽定大日本帝国憲法制定に至った明治維新を「勇気と希望をもってする奇跡」と全面肯定し、戦後民主主義と日本国憲法の価値には言及しない。「建国記念の日」とは、明治政府がデッチ上げた皇国史観再確認の日のごとくである。

岸田メッセージには、わずかに「自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました」とあるが、いかにも歯切れが悪い。「自由と民主主義を守り」は、自由民主党という党名の枠内のものであろうし、「人権を尊重し、法を貴ぶ」は、大日本帝国憲法の法律の留保を連想させる。たとえば、第29条「日本臣民は法律の範圍內に於て言論著作集會及結社の自由を有す」のように。せっかく「人権を尊重し」と言いながら、これに「為政者の作った法を貴ぶ」をくっつけることによって、人権制約を強調しているのだ。

 「先人たちの足跡の重みをかみしめながら、国民の命と暮らしを守り抜き、全ての人が生きがいを感じられる社会を目指す。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、その決意を新たにしております。」

この岸田の決意の内容が、悪かろうはずはない。しかし、「建国記念の日」を迎えるに当ってのメッセージとなると、どうしても違和感を拭えないのだ。ちょうど、「靖国に詣でて平和を祈念する」「伊勢神宮で民主主義を語る」がごとくの甚だしい場違いなのだ。

言うまでもないことだが、明治政府は天皇の権威を拵えあげ、これをもって国民を統合し統治しようとの設計図を描いた。天皇は神であり、道徳・文化の源泉であり、しかも大元帥であって、それ故に統治権の総覧者とされた。神権天皇制とは、この壮大なデマとフェイクに基づくマインドコントロールの体系であった。このフィクションを国民に対して刷り込むために国家権力が総力をあげた。学問・教育とメディアを徹底して国家統制とした。そのための弾圧法体制を幾重にも整備した。理性を持つ者は、沈黙するか面従腹背を余儀なくされ、あるいは非国民として徹底して弾圧された。

紀元節とは、そのような諸悪の根源であった天皇制の起源と意味付けされた日である。言わば、「天皇制の誕生日」なのだ。とうてい穏やかには迎えられない。

赤旗が、本日の主張で「負の歴史刻んだ過去の直視を」と、紀元節問題を取りあげている。要旨以下の通り。

 「きょうは「建国記念の日」です。もともとは戦前の「紀元節」でした。明治政府が1873年、天皇の権威を国民に浸透させるため、「日本書紀」に書かれた建国神話をもとに、架空の人物である神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的・歴史的根拠はありません。

 朝鮮半島の支配をロシアと争った日露戦争の宣戦布告も1904年2月10日におこなわれ、11日に新聞発表されました。国民を侵略戦争に駆り立てるために「紀元節」を利用することは、1941年12月8日に開始されたアジア・太平洋戦争のもとでいっそう強められました。

 負の歴史を背負った「紀元節」は戦後、国民主権と思想・学問・信教の自由を定め、恒久平和を掲げた日本国憲法の制定に伴い、48年に廃止されました。ところが佐藤栄作内閣が66年、祝日法を改悪して「建国記念の日」を制定し、「紀元節」を復活させて今日に至っています。

 日本政府が侵略と植民地支配の負の歴史を認めようとしないのは、根深い歴史修正主義の考えがあるからです。登録推薦を行うのなら、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認めるべきです。

 今こそ歴史の事実と向き合い、憲法9条にたったアジアの平和外交への転換が求められています。」

ここに間違ったことは書かれていない。まったくそのとおりではある。が、教科書を読ませられるような淡々たる印象はどうしたことか。この文面には、天皇制に対する怒りのほとばしりがない。天皇制に虐殺された多くの共産党員の怨念が感じられない。社会進歩を目指した真面目な活動家たちや、その思想・信条や信仰のゆえに天皇制に弾圧された人々への、苦悩や怒りへの共感が感じられない。

そして、今なお権力の道具として危険な存在である象徴天皇制への警戒心もみられない。本来は、今日こそ天皇制の危険を訴えるべき日ではないか。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.2.11より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18538
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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