本間宗究「ちきゅうブッタ斬り」(1)

証券界の鬼才、本間宗究がちきゅう座に登場です

牛のケツ
  東洋学においては、「実践なき理論」が、たいへん危険なものとされている。そして、「牛のケツ」というような言葉を使い、いろいろと、このことに対する警告が発せられているのだが、今回の「原発事故」においては、まさに、この指摘がぴったりと当てはまったようである。具体的には、「理論的に事故が起きる確率は、隕石に当たるようなものである」というような学説もあったようだが、事故が起きた後では、「今回の事故は、天災ではなく人災であり、当然、起きるべきものであった」とも考えられているのである。
  このように、今回は、多くの学者が「理論」だけに走り、「実践」や「現場」を忘れたために、これほどまでの被害が起きたようだが、このことは、単なる「反省」だけでは済まず、今後の教訓として、大いに生かされるべきものでもあるようだ。そして、決して、「牛のケツ」になってはいけないものと考えているが、このことは、「牛」が「モウ」と鳴き、その「ケツ」が「尻」を意味していることから、「モウの尻」、すなわち、単なる「物知り」ではいけないということである。
  つまり、「世の中で起きる出来事」というのは、単なる理論だけで説明が付くようなものではなく、さまざまな「想定外の事件」が起きるということであり、また、現時点の「理論」というのが、決して、完全なものではなく、現場での実践を踏まえて、「常に、進化させなければいけない」という性質のものだからである。そして、このことは、「原発」のみならず、「経済学」や「投資理論」においても、きわめて重要な意味を持っているようだが、実際には、すでに大混乱となっている「ヨーロッパの金融危機」や「先進国の財政赤字」などに関することである。
  そして、多くの学者は、「日本の財政赤字は、問題がない」とか「デフレであるから、より多くの国債を発行すればよい」とも考えているようだが、このような考え方は、「実践」や「現場」を、まったく無視した、「牛のケツのような理論」とも言えるようである。つまり、「過去数百年間に、どのような事が金融界で起きたのか?」を見れば「行き過ぎた財政赤字が、どれほど危機的なものか?」ということは簡単に理解できるのだが、不思議な事に、現在の日本では、「ほとんど、この点が議論されず、また、一般的にも理解されていない状態」とも言えるのである。つまり、本当の大事件が起き、悲惨な現実を見ない限り、多くの人が「理論」と「実践」との「壁」を乗り越える事ができないようだが、時間的な余裕は、すでになくなっており、間もなく、世界的に、「インフレの大津波」が襲ってくることが考えられるのである。
(6月27日)

砂上の楼閣となったECB
  最近、ヨーロッパで問題になっていることは、「PIIGS」と呼ばれる国々が、「きわめて危機的な状況に陥っている」ということだが、より深刻な問題としては、「ECB」という「欧州中央銀行」についても、「大量の不良債権を抱え、実質的には、破綻状態に陥っているのではないか?」という懸念が出始めていることである。つまり、「ECB」というのは、ユーロ圏17カ国の金融政策を担う「ヨーロッパの中央銀行」なのだが、過去数年間の「金融危機」により、「バランスシートが大膨張し、不良債権を大量に抱えている可能性がある」とも指摘され始めたのである。
  具体的には、「自己資本」に相当する金額が、「約810億ユーロ(約9.3兆円)」でありながら、「総資産」が「1.895兆ユーロ(約218兆円)」にも達すると見られているのである。つまり、「自己資本の23倍もの資産を保有しているのではないか?」ということだが、このことが意味することは、「資産の5%が不良債権になると、債務超過に陥ってしまう」ということである。しかも、この資産の多くが、「ギリシャ」や「ポルトガル」、あるいは、「アイルランド」などに関連したものであり、実際には、「すでに、多くの部分が不良債権化しているのではないか?」とも見られているのである。
  そして、今後の対応としては、「自己資本を強化する」ということが想定されるのだが、この時の問題点としては、「ユーロ圏で3位の大国であるイタリアや、4位のスペインなどが、危機的な状況に陥り始めている」ということである。そのために、「1位のドイツや2位のフランス」などに、「大きな負担」がかかり始めることになるようだが、かりに、これらの国々が、「資金の拠出」を拒否した時には、「ECB」が、「大量の紙幣増刷」をするしか方法が残されていないような状況になっているのである。
  そのために、「ギリシャ危機」については、できるだけ時間稼ぎをしながら、問題が「スペイン」や「イタリア」へと波及することを防ごうとしているようだが、この時に注目されるのが、「国債市場の動向」であり、具体的には、各国の「10年国債の金利」が、「どのような状況になっているのか?」ということである。つまり、「ギリシャの17%」、ポルトガルの11%」、そして、「スペインの5.5%」というように、これらの国々については、「市場からの拒否反応」が出始めているのである。そして、これらの国々を救おうとした時には、「ECB」という「ヨーロッパの中央銀行」が、より一層の、危機的な状況に陥るという「悪循環」に陥っているのだが、「王様の耳はロバの耳」という言葉のとおりに、「真実を隠す」ということは、もはや、無理な段階に差し掛かってきたようだ。
(6月16日)

「絆」の再構築
  「3・11の大震災」以来、「絆」という言葉が見直されてきたようである。つまり、本当の意味での「人間関係」や「社会関係」が再考され始め、人々は、ようやく、「人間として、本当に大切なもの」に気付き始めたようだが、基本的な事としては、「A」という人と「B」という人の間には「一本の糸」が存在し、その糸を辿っての「心の方向性」が、全ての関係を決めるものと考えている。つまり、「絆」という字は、「糸」と「半」という文字に分解されるのだが、このことが意味することは、「お互いの心」が相手に向かい合い、双方が「均等な思いやり」を持った時に、初めて、「絆」という「信頼関係」が生まれるということである。
しかし、「自己中心主義」に陥った現代人は、「心の方向性」が自分だけに向かい、また、「自分が正しく、相手が悪い」というような考えを持った結果として、「人間関係が崩壊した社会」が生まれたのである。別の言葉では、「欲」という言葉で表現されるように「自分の利益」だけを重視し、かつ、「お金が、最も大切なものだ」という考えを抱いた結果として、「信頼関係」が崩壊したということである。つまり、「お金」というのは、「信用」を形にしたものになるが、「人々の関心」が「お金」に向かい、「お金の残高」が増えれば増えるほど、反対に、「人々の信頼関係が崩れる」という結果をもたらしたのである。
しかも、今回は、「1971年のニクソン・ショック」以降、世界中の人々が「お金」を求め、「他人を犠牲にしてまでも、自分の利益を求める」というような社会が形成されたのだが、このことがもたらしたものは、反対に、「全てのことが信用できない社会」だったのである。そして、このことが極まったのが、今回の、「菅首相の辞任劇」だったようだが、「一国の首相が、国民を騙してまでも、自分の地位を保全しようとした」ということは、現在の「リビア」のように、「カダフィ大佐が、国民を殺してまでも、政権を保とうとしている姿」に重なって見えるのである。
このように、現在の状況としては、「人々の心の方向性」が、徐々に、「他人」に向き始め、「思いやり」の心が広がるとともに、「自分の利益よりも、他人の痛みを共感しよう」という行動に繋がってきたものと考えている。しかし、現時点での、最も大きな問題としては、「根の無い切り花」のように、「根本の信用」が無くなったにもかかわらず、「形」だけが依然として残っている「金融商品の存在」とも言えるのである。そして、この問題に、本当の決着が付いた時に、初めて、「人々の思いやりが行き届いた、素晴らしい社会」が形成されることになるものと考えている。
(6月9日)

戦後の日本
 「戦後の日本」を考えると、大別して、「1950年から1980年」までの「成長期」と「1980年から2010年」までの「衰退期」に分けられるようである。つまり、「戦後の焼け野原」から、人々が心を合わせ、「世界に冠たる経済大国」にまで到達したのが、「前半の30年」であり、その後の「30年」については、「バブルの発生と崩壊」に象徴されるように、「人々の心」が「お金儲け」だけに向かい、結果として、「実体経済の成長」においては、ほとんど停滞していた時期だったということである。
  より詳しく申し上げると、「1980年代の10年間」というのが、「マネー経済が大膨張した時期」であり、この間に、「GDPの内容が大きく変化した」ということである。つまり、「金融業の発展」や「金融資産の大幅な増大」からも理解できるように、「富の蓄積」が進展した結果として、多くの人が、「より多くのお金を儲けたい」と考え始めた時期だったということである。
しかし、当然のことながら、「欲望」の裏側には「恐怖心」が存在し、「多くの資産を持てば持つほど、失った時の恐怖心が大きくなる」という結果に繋がったのである。別の言葉では、「1950年当時の日本人」は、現在の「東北の被災者」のように、「財産や家屋など、全ての資産を失った」という状況でありながら、「復興に対する、強い思い」を持っていたことが考えられるのである。
つまり、「これ以上、失うものはない」という考えのもとに、「チャレンジ精神」を発揮しながら、「果敢に、新たな事業を興し始めた」という時期だったのだが、「1980年代以降の日本人」は、「蓄積された富を守ること」に専念した結果として、「チャレンジ精神」が失われてしまったのである。換言すると、「欲望」と「恐怖心」が増大したことにより、「安全な資産」を求め始めたということだが、このことが、現在、「毎月分配型のグローバル・ソブリン債」などが、大幅に増加した原因とも言えるのである。
しかし、過去の歴史を辿ると、どのような時代においても、必ず、「落とし穴」のような時期が存在し、「全ての金融資産が、大幅に価値を失う」というような時代が存在するのである。別の言葉では、「ネズミが、一斉に崖に向かい、海に飛び込む」というような状況が存在し、その後に、「新たな時代が始まる」ということの「繰り返し」が起きているのだが、今回も、そのような時期が近付いているようであり、このことが、「金融の大地震と大津波」が意味することだと考えている。
(6月9日)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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