1兆ドルのプラチナ硬貨
1月8日のマスコミ報道によると、「ノーベル経済学者のクルーグマン氏」などが、「額面が一兆ドル(約90兆円)のプラチナ硬貨を鋳造し、連邦準備制度に預ける」という案を提唱したそうである。ただし、この案については、その後、政府やFRBなどにより否定されたのだが、「なぜ、このような提案がなされたのか?」を正確に理解することにより、「今後、アメリカの国債上限問題が、どのように推移するのか?」が見えてくるものと考えている。
つまり、この報道は、現在の「アメリカの国家債務問題」が、「きわめて危機的な状況に陥っている」ということを意味するとともに、「今後、どのような解決策が導かれるのか?」について、たいへん興味深い点を示唆した意見とも考えられるのである。具体的には、「実質的に16万円程度の価値しか持たない1オンスのプラチナコイン」に対して、「約90兆円もの額面を付ける」ということは、「そのコインに対して、5万倍以上の信用を付加する」ということを意味するからである。
別の言葉では、「日本の1万円札」を考えた場合に、「原価が20円弱の紙幣」に対して「約500倍の信用を付加する(20×500=10000)」という行為の延長上として、このようなアイデアが出てきた可能性があるわけだが、過去の歴史を見た場合には、実現性が乏しく、かつ、荒唐無稽な考え方とも言えるようである。つまり、「1923年のドイツ」の場合には、「ハイパーインフレ」が進行した結果として、最後の段階で「1兆マルクのコイン」が発行されたのだが、今回は、「1兆ドルのコインを鋳造すれば、ハイパーインフレにならない」と考えているようにも思われるのである。
しかし、このことは、典型的な「机上の空論」であり、実際には、「国家や通貨の信用を維持する」というよりも、反対に、「世界中の人々に、現在の通貨に対する信用を失わせる」という効果があったようである。つまり、多くの人々に、「現在の通貨が、どのような仕組みで成り立っているのか?」、あるいは、「現在の通貨において、どれほどの信用が供与されているのか?」を考えさせ始める効果があったようにも思われるからである。
そして、「これから、どのような事が起きるのか?」を考えた場合には、やはり、「1923年のドイツ」と同じような道筋を辿り、最後には、「1兆ドルのコイン」が発行される可能性が出てきたようにも思われるのだが、この時期は、それほど遠いものではないようである。(2013.1.17)
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アベノミクスの問題点
現在、マスコミでは、「アベノミクス」に対して、いろいろな意見が出ているようだが、基本的には、「東北地方の復興」や「国民の生活」などを考えずに、「消費税の増税論議に終始し、日本経済を窮地に陥れた民主党政権」に対する反動が色濃く出ているようである。つまり、「日本経済を再生させるためなら、どのような事も受け入れる」というようなムードが醸成されつつあるようだが、実際の「日本の状況」を考えると、きわめて危機的な段階に差し掛かっているとも言えるようである。
具体的には、依然として、「実体経済」と「マネー経済」とが混同されているために、「何が、本当の問題なのか?」が見えなくなっている点が指摘できるようである。つまり、「日本の失われた20年」に起きたことが、「ありとあらゆる金融政策と財政政策を使い尽くした」ということであり、その結果として、「1000兆円もの借金が残った」という状況でもあるのだが、今回の「更なる金融政策と財政政策」について、「実際に、どのような事が行われるのか?」を考えると、「期待感よりも失望感の方が大きくなっている段階」とも言えるのである。
つまり、「日銀総裁の人事」については、「自民党政権と同じ考えの人を選考する」とも言われており、このことは、「すでに苦境に陥っている日銀の資金繰り」に対して、更なる圧力がかかることが想定されるのである。あるいは、「建設国債の発行」に関しても、「誰が、実際に、その国債を買うのか?」という点が見えなくなっているとともに、「円安が進行した時に、現在の日本の低金利状態が、本当に保てるのか?」という大問題も存在するのである。
別の言葉では、「日本国家の信用」という観点からは、「アベノミクスにより、一挙に、信用の失墜が起きる」という状況が想定されるのだが、現在の「1000兆円の国債残高」を考えると、「これから、究極の問題解決策が実施されようとしている」とも言えるのである。つまり、「国家の借金を棒引きにする方法として、最も早い道筋が選択された」という可能性のことだが、これから実際に起きることは、「紙幣を大増刷して、全ての借金を返済する」という「究極の税金」が課されることが予想されるのである。
そして、このことが、「インフレ税」と言われるものであり、「どのような政府も、最後の段階で、この方法を選択せざるを得なくなる」ということが、歴史の教えるところとも言えるのである。(2013.1.17)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/ja/column.html を許可を得て転載。
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