政治とカネ
現在の「政治とカネの問題」、すなわち、「自民党の裏金問題」については、今まで、「短期間で終結する小さな問題ではないか?」と考えていたが、現在、再認識し始めたことは、「政治の根本」とも言える「国家の統治」の観点から、「決して、侮れない問題ではないか?」ということである。つまり、「国家の統治」に関して、最も重要なポイントの一つは、「国民から集めた税金を、どのように使うのか?」ということでもあるが、現在、海外では、この点に関して、「利払い費用の増加」が、大きな注目を集め始めているのである。
具体的には、「米国の利払い費が、国防費を上回る可能性」などが危惧されている状況であり、この理由としては、「米国の急激な金利上昇が、国債の利払い費を急増させた事実」が挙げられるのである。つまり、現在は、「国民の不満と危機感」が高まっている状況であり、その結果として、「既存の金融システムから資金を引き揚げる動き」が発生していることも見て取れるのである。
そして、このような「西洋諸国における国民の不満」に関しては、「独裁国家のロシアや中国」とは、「異質な状態」ではあるものの、「規模的には、同じ程度にまで膨れ上がっているのではないか?」とも感じられるのである。つまり、「国家の統治形態」に関しては、基本的に、「共同体の規模により変化する状況」のようにも思われるが、現在の「世界的な共同体の状況」としては、「グローバル共同体の分裂により、数多くの小さな共同体が発生しかかっている状況」とも想定されるのである。
その結果として、今後は、「統治の形態」に、大きな変化が発生するものと感じているが、実際には、「1600年前の西ローマ帝国崩壊後の世界」が、再度、繰り広げられる可能性である。つまり、「信用崩壊による人々の不信感の高まり」が、共同体の分裂を引き起こすものと思われるが、現時点では、「政治家や官僚に対する不信感」が最終的な段階に達したものと思われるために、今後は、「日本の国家財政が、金利上昇により、ほぼ瞬間的に、1991年のソ連のような状態に陥る可能性」も危惧されるのである。(2024.6.9)
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実体経済と金融市場
現在は、経済統計数字の発表に一喜一憂する人が増えている状況とも思われるが、40年ほど前のアメリカでは、「多くのファンドマネージャーが経済統計を無視しているような状態」でもあった。つまり、私自身の経験として記憶に残っていることは、「いろいろなファンドマネージャーから、経済統計数字の信ぴょう性に対する疑問を投げかけられた」ということであり、現在でも、この教えを忠実に守っている状況とも言えるのである。
別の言葉では、「実体経済」よりも「金融市場」を理解することが、「投資の実践で、最も重要なポイント」であり、その理由としては、「40年前と現在とでは、金融市場に関して、劇的な変化が発生している状況」が指摘できるからである。また、この点の理解が、今後、より一層、重要性を増すものと感じており、その理由としても、「今後、金融市場において、未曽有の規模での大混乱が発生する可能性」が挙げられるものと考えている。
より具体的には、「ストック(残高)」である「マネーやクレジット」と比較して、「フロー(流れ}」である「実体経済」に関しては、「時間的な連続性」の面で予想が難しい点が挙げられるのである。つまり、「昨日と今日、そして、明日」という時間的な関係性において、「商品の売り上げ」などは、「ある日、突然、受注がゼロになる可能性」も考えられるために、実体経済に関する統計数字については、「政府や金融当局者による数字の操作などの可能性」も合わせて、大きな信頼を置かないほうが望ましいものと思われるのである。
しかし、一方で、「マネーやクレジットの量」については、「OTCデリバティブを除いて、比較的に予測が易しい状況」とも言えるために、「過去40年あまりの期間は、この点を理解することにより、投資で成果を上げることができた状況」だったことも思い出されるのである。つまり、「マネーやクレジットの性質」を理解することにより、「次に、どのようなことが起こるのか?」が判断できた状況のことである。
そして、この点が、今後、「ブラックスワン」と呼ばれる「人々が思ってもいなかったような事件」を発生させるものと思われるが、具体的には、「金融市場の観点からは、間もなくして、財政ファイナンスによるハイパーインフレの発生」が想定されるからである。しかし、一方で、多くの人が注目している「実体経済」においては、「大膨張したマネーやクレジットの効果により、表面的な好景気が想定される状況」となっており、このことは、典型的な「ナイアガラの滝の前の船上パーティー」のような状態とも思われるために、今後は、今まで以上の注意が必要とされるものと感じている。(2024.6.11)
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万人が呆れ果てたる値
「万人が呆れ果てたる値が出れば、それが高下の界なりけり」という相場の格言のとおりに、「相場や世の中の大転換期には、誰もがびっくりするような価格が付く展開」が発生するものと考えている。具体的には、「1600年代初頭のオランダのチューリップ」であり、また、「現在のマグニフィセント7と呼ばれる銘柄群」などのことだが、私自身としては、「過去48年間に、5回ほどの記憶に残る体験をしたことにより、相場の実践に役立っている状況」のようにも感じている。
具体的には、「1980年の貴金属バブル」や「1990年前後の日本株と土地のバブル」、そして、「2000年前後のITバブル」であり、また、「2010年前後のデリバティブバブル」や「現在の何でもバブル」のことである。別の言葉では、「ほぼ10年に一度のバブル」を、複数回にわたり、実際に経験したことにより、「マネーとクレジットの本質」が理解できた状況のようにも感じられるのである。
より詳しく申し上げると、「1980年の貴金属バブル」については、「マネーである金(ゴールド)や銀(シルバー)などが、呆れ果てたる値にまで急騰した状況」であり、また、「1990年の日本株と土地のバブル」については、「金(ゴールド)などから派生したクレジット(信用)が、民間銀行のバランスシートを大膨張させながら、日本の株式や土地などを呆れ果てたる値にまで急騰させた状況」だったことも見て取れるのである。
ただし、「2000年のITバブル」と「2010年前後のデリバティブバブル」、そして、「現在の何でもバブル」に関しては、「民間金融機関が、オフバランス(簿外)で資産と負債を大膨張させた状況」のために、それまでのバブルとは異質な状態だったようにも感じている。つまり、「デジタル通貨が作り出した、一種の金融界のブラックホールのような状況」が産み出されるとともに、「全ての金融資産が、デリバティブにより価格操作された可能性までもが疑問視された状況」だったことも見て取れるのである。
その結果として、「世界的な債券バブルとマイナス金利」や「世界的な不動産や株式のバブル」などが発生したものの、現在では、「デジタル通貨が紙幣に形を変えながら、徐々に、実物資産へ向かい始めた状況」とも想定されるのである。そして、今後は、「最後のバブル」とでも呼ぶべき「実物資産の価格が呆れ果てたる値にまで急騰するハイパーインフレの発生」が想定されるが、この理由としては、やはり、「1971年のニクソンショック」から始まった「信用本位制と呼ぶべき通貨制度の完全崩壊」が指摘できるようである。(2024.6.13)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13804:240719〕