FRBの独立性
今回の米国大統領選挙では、「FRBの独立性」が争点の一つとして浮上してきたと報道されているが、このことから理解できることは、「米国の大統領選挙そのものが茶番劇化した可能性」ともいえるようである。別の言葉では、「トランプとハリスのどちらが大統領になろうとも、米国の金融システム崩壊が免れない状況」、すなわち、「増え続ける米国の債務残高に関して、紙幣の大増刷以外に打つ手が無くなった状況」を表しているようにも思われるのである。
より詳しく申し上げると、現在、「FRBの独立性」を信用している金融専門家は、ほとんど存在しない状況であり、また、彼らが理解していることは、「1913年に設立されたFRBの役割」として、「マネーの大膨張」と「その過程で、国民に通貨価値の下落を気付かれないこと」が挙げられるものと思われるのである。つまり、「1913年から現在までの約111年間に、ドルの価値が約99%も減価した事実」を理解することにより、多くの人々が、「中央銀行の存在価値を疑い始めている状況」のようにも感じられるのである。
そして、このような「中央銀行に対する不信感」については、「日本」や「ヨーロッパ」などの国々でも、同様の状況であり、実際には、「誰も、中央銀行の独立性を信用する人がいないような状態」であることも理解できるのである。つまり、「過去数十年間、日銀が、政府の望みのとおりに、大量の国債を買い付けてきた状況」については、「政府や通貨に対する国民の信頼感」を損なう効果が存在したことも見て取れるのである。
しかも、今回のような「世界全体で、通貨の堕落が発生し、その結果として、大量の紙幣増刷が実施される可能性が高まっている状況」については、「貨幣の歴史」を辿ると、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊時」にまで遡らざるを得ない状況でともいえるのである。別の言葉では、今回の「世界的な金融大混乱」、すなわち、「1971年のニクソンショック」から約10年後の「1980年代初頭」から「世界的な国家財政の連鎖破綻が、中南米から始まっていたような状況」については、すでに、「既存の常識」で判断できるような段階ではないようにも感じられるのである。
具体的には、その後、「ソ連などの東欧」や「アフリカ諸国」などへと、国家の財政破綻が伝播し、現在では、「大膨張したデリバティブで守られていた西洋の先進諸国にまで、国家財政破綻の波が押し寄せてきた状況」については、「800年間も継続した西洋の『富の時代』の終焉」が近づいた事実を表しているものと想定されるのである。(2024.8.14)
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富の時代と神の時代(1)
金融業に従事して、今年で48年目を迎えたが、今までの期間を振り返ると、当初は、「既存の常識で判断できないような事件に遭遇しながら、右往左往していた状況」だったようにも感じている。具体的には、「1980年の金や銀のバブル崩壊」や「1980年代の日本の土地と株式のバブル発生」であり、また、「1990年代の不良債権の後始末」などのことだが、極めつけは、やはり、「2000年前後から急拡大したデリバティブのバブル」だったようにも感じている。
別の言葉では、世界的な「マネーの大膨張」に関して、根本的なメカニズムが理解できていなかったために、「1997年の信用収縮」や「2008年のリーマンショック」などを体験しながら、その後の「新たな現実」に対処せざるを得なかった状態のことである。つまり、「犬のしっぽが体を振り回すような状態」が理解できなかったために、役に立たない「既存の経済学」に振り回されていた状況でもあったが、現在では、反対に、「時間の連続性が存在するマネーの性質」を理解することにより、「未来予測」が、ある程度、可能になったようにも感じられるのである。
より詳しく申し上げると、「文明法則史学」が教える「800年ごとに発生する東西文明の交代」が、より深く理解できたことにより、「西洋的な富の時代」と「東洋的な神の時代」の実情が認識できたものと思われるのである。つまり、聖書の「あなた方は、神と富とに同時に仕えることができない」という教えのとおりに、「西暦400年から1200年までの800年間」が「東洋的な神の時代」であり、また、「西暦1200年から2000年までの800年間が、西洋的な富の時代」だった可能性のことである。
そして、この観点から理解できることは、「現在のマネー大膨張が、1600年前の西ローマ帝国の崩壊時と似たような状態」でもあるが、実際のところ、この事実を抜きにしては、「今後、どのような運命が、世界の金融界を待ち受けているのか?」が判断できない状況のようにも感じられるのである。つまり、今までの「既存の常識」に関して、内容面での大変化が発生したために、今後は、「マネーの性質」を認識しながら、「歴史の全体像」を見ることが必要な状況とも考えられるのである。
具体的には、すでに始まっている「グローバル共同体の分裂」が、「今後、どのような展開を見せるのか?」ということでもあるが、実際には、「世界的な信用消滅により、今後、数多くの小さな共同体が、世界全体で生み出される可能性」のことである。(2024.8.15)
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富の時代と神の時代(2)
30年ほど前から「村山節(みさお)の文明法則史学」、すなわち、「東西の文明は、800年ごとに交代する」という理論を研究してきたが、実際に行ってきたことは、「神様が与えてくれる真実の一コマ」ともいえる「日々の出来事」を見ながら、「歴史の全体像」というジグソーパズルを組み立てる作業である。別の言葉では、「なぜ、このような東西文明の交代が発生するのか?」を考えながら、その主要な原因の一つである「共同体の規模拡大と、それにともなうマネーの大膨張」の理解に努めてきたわけだが、現時点の感想としては、「アダム・スミスの国富論」で述べられていた「神の手」が、依然として働いている可能性が挙げられるものと感じている。
つまり、現在の経済理論では、「人間の欲望を全面的に開放すると、地球環境の悪化だけではなく、核戦争などにより、人類社会そのものの存続が難しくなる可能性」までもが指摘されているのである。別の言葉では、「神の手」は存在せず、また、「これから、どのような社会が訪れのるか?」に対して、ほとんどの人が絶望的な想いを抱いている状況のようにも思われるのである。
より詳しく申し上げると、「パンとサーカスの生活」や「財政赤字とインフレ」、あるいは、「大都市の知恵と貨幣」などからも明らかなように、現在が、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊時」と似たような状況のために、「西洋の暗黒時代が、再び、繰り返される可能性」までもが危惧される状況ともいえるようだが、この点に関しては、「より高次元の神の手が働いている可能性」が想定されるものと感じている。
つまり、「自然科学と社会科学が、現在、どの次元に位置するのか?」を考えると、実際には、「1600年前の三次元の状態」から「現在の11次元の自然科学と三次元の社会科学」に変化したことも見て取れるのである。別の言葉では、「ケプラーからニュートンへ」という言葉のとおりに、「約300年前に、自然科学が3次元から4次元に上昇し、また、20世紀においては、11次元にまで上昇した状況」であることも理解できるのである。
このように、現在は、「神が創った世界」を研究する「自然科学」と「人が造った社会」を研究する「社会科学」とに「次元の格差」が存在するために、「軍隊や兵器が存在し、核戦争までもが危惧される状況」となっているものの、今後の展開としては、「社会科学の次元上昇」により、「何が必要で、何が不必要なのか?」が、世界的に認識される時代が到来する可能性を想定している次第である。(2024.8.19)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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〔opinion13891:240927〕