本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(61)

著者: 本間宗究 ほんまそうきゅう : ポスト資本主研究会会員
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絆のメカニズム

現在、「絆」という言葉が重要視されているが、実際には、曖昧な観念だけに終始しているようである。そのために、「絆とは、一体、どのようなものなのか?」を考えてみたいと思うが、基本的には、「糸の半ば」という文字が表すように、「人と人との関係性」を表していることは、疑いの無い事実とも言えるようである。つまり、「A」という人と「B」という人との「心の方向性」が、「お互いに向き合い、また、思いやりを持った関係性」の時に、「絆」が発生し、また、「信頼関係」が生まれるものと考えている。

しかし、この時に、「A」の心の方向性が「自分」だけに向かった時には、「信頼関係」が崩壊し、「絆」が断ち切られることになるようだが、このことは、現代人が、「自己中心的」になったことに「大きな原因」が存在するようである。ただし、このことは、「ヨコの絆」のことであり、実際には、「対等関係にある人々」の関係性を表しているようだが、この次に考えなければいけないことは、「タテの絆」でもあるようだ。

つまり、「なぜ、支配者と隷従者が生まれるのか?」、あるいは、「慈愛と畏敬とは、一体、どのようなものなのか?」などのことだが、この点については、19世紀の後半、「テンニエス」により書かれた「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」という本が、たいへん参考になるものと考えている。具体的には、「母と子の関係性」などの「タテの絆」に関して、深い考察がなされるとともに、「人と人との結びつき」についても、たいへん興味深い研究が行われているからである。

そのために、今後は、「タテとヨコの絆」を研究することにより、「なぜ、身分や階級が発生したのか?」、あるいは、「なぜ、組織の中での疎外が発生するのか?」などが、深く理解できるものと考えている。つまり、現代人が「苦悩」している、「いじめ」や「うつ病」などに関して、「何らかの回答が出るのではないか?」と思われるが、最初のスタートとしては、「お金の謎」を考えた時と同様に、「無人島の一人」から始めることが重要だと考えている。

つまり、「一人」の時には、「対人関係」に関する苦悩は存在しないのだが、その後、「二人」、「三人」と人数が増えた時に、「信用」が必要とされ、また、「分業体制」も始まることになるのである。しかし、同時に発生することは、「信用」の裏側に存在する「盲目」であり、また、より大きな組織となった時に、「ヨコの絆」から「タテの絆」へと変化するのだが、この時に、きわめて単純な「メカニズム」が働いているようにも思われるのである。(2014.7.16)

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今どきの若者は・・・

「今どきの若者は…」という言葉を使い始めると、「自分が老化を始めた証拠」だと言われるが、実際には、「自分を見直すためのヒント」とも言えるようである。つまり、「時代の変化」に関して、「自分は、どれだけ敏感なのか?」を考える「キッカケ」であり、また、「自分自身も、数十年前は、若者だった」という「当たり前の事実」を再認識するために、「若者たちが、教訓を与えている可能性」のことである。

別の言葉では、「20世紀」が「激動の時代」であり、「歴史上、稀に見るほどの大変化の時期」だったが、その渦中を生きた我々が、その変化に気付かず、常に、「自分の考えが正しい」という誤った認識を持った可能性のことである。また、「自分の全盛期」が「最も素晴らしい時代だった」という「思い込み」により、「現在の若者」を否定しがちになるようだが、実際には、「一世代が約30年」と言われるように、ほとんどの人々が、「30年単位でしか、昔を振り返っていない状況」とも思われるのである。

そのために、「100年単位」で、過去を遡ってみると、「全く違った姿」が見えるとともに、「自分の考えが、いかに浅はかなものだったのか?」という点に気付かされることにもなるようである。つまり、「時代」とともに「価値観」が変化するのだが、現時点で、私自身が感じる「今どきの若者は…」については、「苦労に対する考え方」のことである。

具体的には、「仕事」と「報酬」に対する「考え方」のことだが、「私が若かった頃は、一生懸命に働いた結果として、給料が貰える」という「考え方」が普通だったのだが、最近では、「自分が指示されたこと」だけをすれば「給料を貰うのが当然だ」と考える人が増えているようにも感じられるのである。

つまり、「努力」や「チャレンジ」に対して消極的になるとともに、「失敗に対する恐怖心」が大きくなっているようだが、このことが、いわゆる「大企業病」や「サラリーマン根性」の「正体」とも言えるようである。そして、この時に大切なことは、「若者たちの行動」を否定するのではなく、「自分自身の考え方」に誤りがある可能性を考慮することだと考えている。具体的には、「自分の労働よりも、多くの給料を貰う人」が増えた結果として、現在の「膨大な国家債務」が存在し、また、「失われた20年」が実現したという事実のことである。そして、これから必要なことは、現状を認識した上で、「これから、どのような事が起き、また、人々の意識が、どのように変化するのか?」を考えることでもあるようだ。(2014.7.17)

 

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion4948:140811〕