本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(98)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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イエレン議長の思惑

イエレン議長の就任当初から、彼女のコメントには違和感を覚えていたが、それは、あまりにも「当たり前のコメント」しか述べないという点である。あるいは、「FRBの業績や歴代議長の功績」などを強調するだけであり、それまでの議長とは違い、「金融問題について、ほとんど、コメントしない状況」でもあった。そのために、「なぜ、このようなコメントを出し続けるのか?」という疑問を抱いていたのだが、現在では、「これが、イエレン議長の戦術だったのではないか?」と考えている。

つまり、「グリーンスパン氏」の場合には、「バブル崩壊を防ぐために、新たなバブルを形成した」と述べているように、未曽有の規模で「デリバティブ・バブル」が発生したことが理解できるのである。また、その後を引き継いだ「バーナンキ氏」の場合には、「デリバティブ・バブル」の崩壊を防ぐために、「量的緩和(QE)」という名の「国債の買い支え」を行ったのだが、「イエレン氏」の場合には、「口先介入」を実施する以外に、方法が残されていないようにも思われるのである。

別の言葉では、「最後の手段」である「紙幣の大増刷」を避けるために、「金利上昇」や「出口戦略」を匂わせながら、「時間稼ぎ」を行っている可能性のことである。そして、現在は、世界中の人々が、「イエレン氏の術中」に嵌っているようにも感じているが、結局のところは、「両刃の剣」の状況とも考えられるようである。つまり、「イエレン議長の言葉」に対する信頼感が失われた時に、一挙に、「世の中が激変する可能性」が存在するようにも感じられるのである。

つまり、「信用を築くためには、長い時間が必要である」、しかし、「信用の崩壊は、ほぼ瞬間的に訪れる」という格言のとおりに、現在の「巨大なマネー経済」を支えるためには、もはや、「口先介入」だけでは、不可能な状況とも考えられるのである。そのために、今後も、「イエレン議長のコメント」には、大きな注目を払っていきたいと考えているが、基本的に、彼女の述べることは、「実体経済」に関するコメントだけであり、ほとんど、「マネー経済」には言及していないようにも感じている。

別の言葉では、「一面だけを述べて、全体を隠そうとする方法」とも言えるようだが、彼女ほどの「知識」と「経験」があれば、今後、どのような事態が起きるのかは、簡単に予想が付くものと考えている。しかし、問題は、「タテマエ」を言わなければいけない「立場」であり、この点は、彼女の「良心」との「せめぎ合い」でもあるようだ。(2015.8.5)

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法的安定性

7月15日に実施された「安保法案の強行採決」については、将来的に、「日本が変わるための、キッカケとなった事件だった」と言われる可能性があり、この時に、「60日ルール」が適用される「9月の半ば」までの「国会審議」が、大きな注目点だと考えていたが、今回は、早速、きわめて重要な事件が発生したようである。具体的には、安倍首相の補佐官である「礒崎陽輔氏」による、「法的安定性では、国は守れない」という発言のことだが、この言葉は、実際のところ、「近代国家」そのものを否定するような意見とも言えるようである。

つまり、歴史を尋ねると、近代国家の成立にも、大きな流れが存在するが、この時に、「非理法権天」という言葉のとおりに、徐々に、合理的な思考へと移行してきた事が見て取れるようである。具体的には、「近代国家」の前が「絶対王政」と呼ばれる体制であり、また、その前には、いわゆる「封建制度」の社会が形成されていた。そして、この過程で、人々の結びつきが強くなっていき、最後には、「法律」で守られた「近代国家」が誕生したのである。別の言葉では、「封建制度」の時代には、非合理的な「主従関係」や「血縁社会」が、おもな「絆」でもあったようだが、その後、「絶対王政」の時代には、「度量衡の統一」が実施されたことにより、より高度の経済社会が誕生することとなったのである。

しかし、この過程で起きることは、「組織」や「社会」に隷従する人々が増えることであり、また、現在の「近代国家」においては、「法令順守」が絶対条件となっているのである。つまり、社会が、巨大になればなるほど、「隷従者」が増え、その結果として、「権力」が強くなるのだが、問題は、往々にして、「権力の暴走」が起きることである。そのために、「近代国家」や「西ローマ帝国」などの巨大国家においては、「法的安定性」が、きわめて重要な役割を果たしていたものと思われるのである。

このように、今回の事件や、安倍首相の強行採決などを考えると、すでに、「権力の暴走」が始まっている可能性もあるようだが、この点を、「日銀の法律やルール」で考えると、すでに、いろいろな変更が行われているのも、間違いのない事実とも言えるようである。具体的には、「日銀による国債の保有額」などのことだが、これらのことを総合して考えると、現在の世の中は、すでに、「近代国家」としての条件が満たされなくなっている可能性もあるようだ。特に、「金融システム」や「通貨制度」においては、以前から、「資本主義」と呼べるような状況ではなく、反対に、「国家の統制」が効きすぎた、一種の、「社会主義」とも言えるような状態とも考えられるのである。(2015.8.5)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5636:150901〕