本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(111)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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悩み始めた日本人

最近の報道を見ると、「悩み始めた日本人」の姿が浮かび上がってくるようだが、実際に、「難問山積の世界情勢」に対して、「どのように対応すべきなのか?」、また、「なぜ、このような状態になったのか?」を真剣に考え始めたようにも思われるのである。別の言葉では、かつての「物言わぬ日本人」から「物を言い始めた日本人」に変化し、現在では、「危機感を持った日本人」へと、大きく変貌を遂げているようにも感じられるのである。

そして、この時に起きた変化は、「徐々に、過去の歴史をさかのぼり、原因の追究を始めている状況」とも言えるようだが、具体的には、「2008年のリーマンショック」の時には、それまで、「戦後の歴史」だけを見ていた人々が、戦前の「大恐慌」や「ドイツのハイパーインフレ」などを研究し始めたのである。また、現在では、「環境問題」や「難民問題」などが起きたことにより、「1800年頃の産業革命」にまで時間をさかのぼり、原因追及を始めたようだが、この時に思い出されるのが、私自身の経験である。

具体的には、今から30年程前の「1987年」に、「ブラックマンデー事件」で、大きな衝撃を受け、原因追及のために、時間を遡って研究した経験のことである。そして、この時に感じたことは、「1800年頃まで時間をさかのぼると、その後は、スピードが速くなる」ということだったが、実際には、「西暦1600年頃」に発生した「時は金なり」という認識の変化に行き着き、その後は、「西暦1200年頃」から始まった「ルネッサンス」にまで、時間を遡ったのだった。

また、その後は、「西暦400年頃」までの「西ローマ帝国の繁栄と崩壊」にまで時間を遡り、「西ローマ時代」を検証した後に、今度は、時間の流れどおりに、世界の歴史を研究し始めたのだが、この時に気付かされたことは、「お金の謎を解いた人は誰もいない」という事実であり、また、「時間のサイクルには、きわめて単純な法則がある」ということだった。つまり、「村山節氏」が発見した「文明法則史学」のとおりに、世の中が動いているという事実のことだが、この法則が教えることは、間もなく、本格的な「金融大混乱」が起き、その後は、「東洋の時代」が始まることになるようだ。(2016.1.7)

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「腑に落ちる」と「腑に落とす」

私の経験則からは、「腑に落ちる」ということよりも、「腑に落とす」という方法の方が有効だったようにも感じているが、実際には、「お金の謎」や「時間のサイクル」などの「未知の難問」に対して、「いったん、腹の中に収める」という手法のことである。別の言葉では、「腑に落ちる」という言葉は、「分からなかった事柄が、心から納得できた」、あるいは、「他人からの説明が、よく理解できた」という意味で使われているようであり、未解決の問題には、役に立たなかったようにも思われるのである。

一方で、「腑に落とす」という方法の場合には、「腹の中にしまっておいた問題が、その後、時間の経過とともに、答えが閃(ひらめ)いた」という状況を、何度も経験したのだが、その後、これらの答えについては、ほとんど、間違いがなかったようにも感じている。そのために、今後も、さまざまな難問に対して、継続して、この方法を取ろうと考えているが、この時に考えさせられたことが、「エジソンの言葉」である、「99%の努力」と「1%のインスピレーション」でもあった。

つまり、「エジソン」も、「新商品の開発」に際して、「さまざまな実験を繰り返し、また、数々の失敗を犯した」という状況でもあったようだが、その結果として得られたのが、「1%の閃(ひらめ)き」だったようにも思われるのである。別の言葉では、「寝ても覚めても、一つの問題を考え続ける」という努力の結果として、「想いが天に通じたのではないか?」ということだが、この点については、やはり、「五次元の経済学」でしか説明が付かないようにも感じている。

具体的には、「あの世の人々」の存在のことだが、「人間の魂は不滅である」と考えると、「あの世に帰った人々が、閃きという形で、答えを教えてくれるのではないか?」ということだが、この点については、現在、あまりにも、荒唐無稽な考え方と非難される可能性も存在するようである。つまり、「科学一辺倒の時代」においては、「あの世の存在」は、全く無視されているからだが、今後、さまざまな難問に悩まされた時に、どうしても、「目に見えない存在」に行き着くことも考えられるようである。

ただし、この時に注意すべき点は、「西暦400年から1200年前の西洋人」のように、「神様一辺倒の時代」になる可能性であり、実際には、それまでの「技術」や「考え方」、すなわち、「科学的な蓄積」が、全て葬り去られたのである。つまり、「歴史が、再び、繰り返されるのか?」ということである。(2016.1.7)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5884:160203〕