本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(256)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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ハイパーインフレ的な大恐慌

海外では、最近、「ハイパーインフレ的な大恐慌」という、意味不明の言葉が散見される状況となっているが、このことは、「今後、ハイパーインフレと大恐慌が同時に発生する」という理解のことである。そして、この言葉は、「1970年代に使われたスタグフレーション」と同様に、「将来、全面的に否定される意見」とも思われるが、理由としては、最近の「ローラーコースター相場」の結果として、現在、世界中の人々に、「上がれば強気、下がれば弱気」という雰囲気が蔓延しているようにも感じられるからである。

つまり、いまだに、「大恐慌の真因」が解明されず、また、「お金の謎」も解けていないために、現在でも、「株価の急落」を経験するたびに「大恐慌の発生」という「誤った意見」が頻発する状況となっているのである。別の言葉では、「収縮する実体経済」や「株価の下落」に怯える人々が、「1929年の大恐慌が再来するのではないか?」と考えているようだが、以前から申し上げているように、「民間銀行の世界的な連鎖倒産」が引き起こした「大恐慌」は、「人類史上、唯一の大事件」だったことも見て取れるのである。

より具体的には、「1923年」に発生した「ドイツのハイパーインフレ」に怯えた人々が、「誤った金融引き締め」を実施した結果として、「株価の暴落」につながる「大恐慌」が、1929年に発生したわけだが、現在では、反対に、「誤った金融緩和」により「人類史上初めての、世界的なハイパーインフレが発生寸前の状況」とも考えられるのである。しかも、最近では、「世界各国の中央銀行が、急速に、紙幣の増刷を実施し始めている状況」となっており、「このような状況下では、決して、大恐慌は発生しない」ということが、「マネー理論」が教えることとも言えるのである。

つまり、「国債価格の下落」や「金利の上昇」を阻止しようとする勢力が、依然として、「国債の買い、株式の売り」という「プログラム売買」を実施しており、この時に、「大恐慌の再来」という言葉が利用されているものと感じられるのである。別の言葉では、すでに「ハイパーインフレ」が発生し始めていながらも、「大恐慌」が危惧されている状態のことだが、この時に重要な点は、「誰が、今後、国債を買うのか?」を考えることである。

より具体的には、「過去のハイパーインフレ」のすべてが、「紙幣の増刷で、借金を棒引きにする政策」により引き起こされてきた歴史を再認識することであり、また、「1991年のソ連」をはじめとして、「ハイパーインフレの初期段階では、株価が暴騰する状況」を理解することである。(2020.4.6)

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本当の信用創造

「経済学」や「マネー理論」を理解するうえで、最も頭を悩ました問題の一つは、「信用創造」という言葉の正確な理解であり、また、「実体経済」と「マネー経済」との関係性だった。つまり、「実体経済」には「フロー」の性質があり、今回の「コロナ・ショック」からもお分かりのように、「既存のビジネスは、ほぼ瞬間的に消滅する可能性」を秘めているものの、一方で、「マネー経済」については、「ストック」の性質を有するとともに、根本の「信用」が存在する限り、永遠に膨張を続ける状況も理解できるのである。

そして、「マネー」には、「紙幣の増刷」によって引き起こされる「ハイパーインフレ」が発生するまでの期間、「マネーの膨張」、すなわち、「残高が増え続ける性質」が存在するのだが、実際には、このことが、誤って「信用創造」という言葉で説明されていたようにも感じられるのである。つまり、「信用が減少している状況下で、信用が増大しているような錯覚」をもたらした可能性のことだが、この点を理解するためには、やはり、「村山節氏」が発見した「文明法則史学」に頼らざるを得ないものと感じている。

具体的には、「800年ごとに、西洋の物質文明と、東洋の精神文明とが交代している事実」のことだが、現在は、「西暦1200年前後」から始まった「西洋の時代」が、「最後のマネー膨張を終えた段階」だと考えている。つまり、「2008年のリーマンショック」が「マネー膨張の最終段階」だったものの、実際には、「既存の経済理論の未熟さ」などの要因により、「マネー膨張の実情が理解されない状態」だったものと想定されるのである。

そのために、この点を再考すると、本来は、「西暦400年から1200年までの東洋の時代」に、「目に見えない信用」が築かれたものと考えられるのである。つまり、聖書で述べられている「人は神と富とに兼ね仕えることができない」という言葉のとおりに、「西洋の時代は富に仕え、その結果として、マネーの膨張が発生した状況」だったものの、一方で、「神に仕えた東洋の時代」においては、「本当の信用創造」、すなわち、「人々の相互信頼感」が醸成された時代だったようにも感じられるのである。

そして、この点については、「今後の数年間に、どれほどの大インフレが発生するのか?」を見ることにより、検証が可能なものと考えているが、現時点で、間違いなく言える事実は、やはり、「信用が失われた社会の恐ろしさ」だと感じている。つまり、現在では、「政治家」や「官僚」までもが、ほとんど信用できないような、極めて異常な社会が形成された状況のようにも感じられるのである。(2020.4.7)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9708:200501〕