本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(285)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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独裁者の形成メカニズム

歴史を訪ねると、「ヒトラー(1889年-1945年)」や「スターリン(1878年-1953年)」、あるいは、「毛沢東(1893年-1976年)」や「ポル・ポト(1928年-1998年)」などのように、数多くの「独裁者」が誕生し、その結果として、「多くの人民が粛清され、虐殺された」と言われている。つまり、「同朋を大量虐殺するのは、人類だけである」と理解されているように、「独裁者」が誕生すると、「その後に、きわめて悲惨な事態が発生する」ということが「歴史の教訓」のようにも感じている。

しかも、「独裁者の形成」については、「通貨の堕落」と同様に、「百万人に一人も気付かないうちに発生する」という状況とも思われるために、現時点で必要なことは、「どのようなメカニズムで発生するのか?」を考えることとも思われるのである。つまり、「過去30年間の日本」を参考にしながら、「現在の官僚やマスコミなどが、どのような過程を経て、権力者に隷従するようになったのか?」を詳しく分析する必要性のことである。

より具体的に申し上げると、「戦後の高度経済成長期」が終了した「1990年代」に、「どのような意識の変化が、日本人に発生したのか?」を熟慮することでもあるが、実際には、「自分の地位や名誉、そして、給料を確保するために、自分の志を曲げて、組織に隷従せざるを得なくなった状況」のようにも思われるのである。しかも、この動きが、「通貨の堕落」とともに、「民間部門から公的部門にまで、徐々に、移行していった状況」については、まさに、「明治維新から第二次世界大戦までの日本を彷彿とさせる状況」だったようにも感じている。

つまり、「武力による戦争」と「マネーの争奪戦」という違いはあるものの、「最後の段階で、軍部や官僚の暴走が発生した状況」については、同じメカニズムが働いていた可能性が指摘できるものと思われるのである。ただし、この点については、哲学者の「カール・ヤスパース(1883年-1969年)」が指摘するとおりに、「第二の枢軸時代」を意味している可能性も考えられるようである。

そのために、私自身としては、これから想定される「東洋の時代」において、「社会科学が発展する展開」を期待している状況でもあるが、実際には、「AI(人工知能)を活用することにより、心の謎が解明される事態」である。つまり、「万有引力の法則」という「物と物との関係性」ではなく、「人と人との関係性」が解明されることにより、「安心して住める社会の構築」が実現される可能性のことである。(2020.11.10)

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排除の論理

1990年のバブル崩壊以降、日本では「排除の論理」が働いていたようにも感じているが、具体的には、「民間企業における内部闘争」に関して、「人事権を握った勝者が、敗者を排除した動き」のことである。また、このような動きを見た人々は、「誰が権力者なのか?」を見極めながら、「勝者に忖度する」という、いわゆる「イエスマン」への変化も発生したものと考えている。

また、この点については、「不良債権の移行」とともに、「民間企業」から「民間の金融機関」、そして、「官僚」や「学者」、あるいは、「マスコミ」にまで、この動きが伝染していった状況のようにも感じているが、現在では、ご存じのとおりに、「学術会議において、排除の論理が働き始めている状況」とも言えるのである。つまり、「権力者に逆らうものは、地位や名誉、そして、お金の面で不遇の状態に陥る可能性」が危惧され、その結果として、多くの国民が、同じような考えに支配され、染まっていった状況のことである。

そして、この点に関して重要なポイントは、「西暦1200年前後から始まった西洋の時代」、そして、「西暦1800年前後から始まった資本主義の時代」の末期とも言える「現在」において、「世界中の人々がデジタル革命を信じ込み、デジタル通貨を絶対視する状況」であり、このことは、将来、永遠に語り継がれる異常事態とも想定されるのである。ただし、一方で、「どのような出来事にも、大きな意味が隠されている」という観点からは、「今後、人類が、大きな覚醒期に入る可能性」とも言えるようである。

つまり、これから想定される「デリバティブのバブル崩壊」、そして、「デジタル通貨の完全消滅がもたらす、世界的なハイパーインフレ」により、世界全体が、一挙に、唯心論の価値観へと大変化を迎える状況のことである。別の言葉では、「心のルネッサンス」とでも呼ぶべき大変化が、今後の数百年間で発生する可能性のことだが、実際には、「唯物論」がもたらした「地球環境の破壊」や「自然災害」などに悩まされた人類が、「地球と共生できる社会を形成しようとする動き」のことである。

より具体的には、「通貨価値の激減」に見舞われた人類が、「民族の大移動」の後半戦に移行する状況のことでもあるが、実際には、「文明法則史学」が教えるとおりに、「都会で住みづらくなった人々が、生活や心の安定を求めて、地方へ移住を始める状況」のことである。そして、この点については、「金利の上昇(国債価格の下落)」とともに、一挙に進展するものと想定している。(2020.11.11)

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理性と知性

東工大名誉教授の「森政弘氏」によると、「目でみる」という行為には「見、視、そして、観」という文字が存在するものの、「耳できく」という行為には「聞と聴」しか存在せず、そのために、「観」に相当するのは「観音」、すなわち、「音を観る」という行為ではないかと説明されている。そして、この点を「空海の真言密教」にあてはめると、「理法身」と「智法身」に相当するものと思われるが、実際には、「目で見える物質」に対する知恵が「理性」であり、また、「目に見えない天の秘密」に対する知恵が「知性」と区別されているものと考えている。

別の言葉では、「自然科学」という「目に見える現象を、数字や数学などの数霊(かずたま)を利用して解明する学問」が「理法身」であり、また、「智法身」が「社会科学」という「目に見えない人間の心に関する現象を、言葉や音などの言霊(コトダマ)を利用して解明する学問」のようにも感じられるのである。つまり、「天や神の智慧」に関しては、今まで、「万有引力の法則」や「相対性理論」などの応用により、「目に見える部分」が、ある程度、解明された状況のようにも思われるのである。

しかし、一方で、「人類の行為」を表す「経済学」や「哲学」などの「目に見えない分野」については、「マネーの大膨張」により「人類が地球に住めなくなるような環境破壊までもが発生する可能性」も危惧されているのである。つまり、「仏を作って魂を入れず」という言葉のとおりに、「技術」が進化しながらも、「道徳」や「倫理」については、「ケダモノ以下の水準」となっている状況のようにも感じられるのである。

そして、この点に関して興味深い事実は、「マネー(お金)の性質変化」でもあるが、実際には、過去100年間で、徐々に、「目に見える金属」から「目に見えない数字」へと変化し、また、「量的に急激な拡大をした状況」のことである。つまり、現在では、「お金」が「神様」という「信仰の対象」となったものと考えているが、今後の注目点は、たいへん近い将来に、「神から紙への変化」が発生する可能性である。

具体的には、以前から頻繁に指摘しているように、「世界各国の中央銀行が、徐々に紙幣の増刷を始めている状況」となっているが、現在でも、この点を憂慮する人は、世界的に、ほとんど存在しない状況とも言えるのである。そして、この理由としては、「日本は神の国だから戦争に負けるはずがない」と信じ込んだ「76年ほど前の日本人」と同様に、「デジタル通貨への過度な盲信」が存在するものと考えている。(2020.11.16)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10347:201209〕