本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(296)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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救いの確信

現在、いろいろな古典を読みながら、私自身の「心の座標軸」と「心の仮説」を検証している状況でもあるが、この点に関して重要なポイントは、「救いの確信」という言葉のようにも感じている。つまり、「お金があれば救われる」という認識のことだが、実際には、「マックス・ヴェーバー(1864年-1920年)」の著書である「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」において、「禁欲的プロテスタンティズムが、『利潤の肯定』と『利潤の追求の正当化』を生み出した」とも説明されているのである。

より具体的には、「心の座標軸」のとおりに、「過去数百年間で、人々の価値観が神から冨へと移行した状況」のことでもあるが、実際のところ、「西暦1200年」という「東洋から西洋への時代転換期」においては、「利潤の追求」は「悪」であり、「神への信仰が『救い』の根源である」と理解されていたのである。そして、その後の展開としては、「さまざまな職業の誕生」、そして、「富の増大」により、徐々に、「人々の合理性」に関して「内容の変化」が発生し、徐々に、「富による救い」が求められたものと想定されるのである。

このように、「人々は、合理的、すなわち、理に合った行動をする」という認識に関して、実際には、「何が、本当の理なのか?」という点が、時代とともに変化するものと考えている。具体的には、「神様の救い」から「お金による救い」へ、800年間で、大きな変化を見せた状況のことだが、現在では、「お金(マネー)が神様となり、お金儲けのためならどのようなことでも行う」という「価値観」が支配しているのである。

しかも、「マネーの残高」に関しては、「1971年のニクソンショック」以降、きわめて急激な大膨張を見せた状況でもあるが、このことは、「お金を持っていれば救われる」という認識の帰結とも想定されるのである。つまり、「800年前の人々」は、「神への強い信仰があれば、現世だけでなく来世においても救われる」と理解したようだが、現在では、「来世が認識されず、現世だけの幸福が求められている状況」とも言えるのである。

そのために、今後の注目点としては、やはり、「神から紙への変化」であり、実際には、「中央銀行の紙幣増刷」が引き起こす「デジタル通貨の完全消滅」とも思われるのである。そして、「このような状況下で、何が、『救いの確信』となるのか?」ということが、今後の注目点であり、実際には、「1945年の日本」や「1991年のソ連」のように、「ハイパーインフレに見舞われた人々が、お互いの助け合いにより生き延びた状況」、すなわち、本当の意味での「共同体(コミュニティー)の復活」が参考になるものと考えている。(2021.1.17)

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西洋の人間至上主義

現在、「民主主義の危機」が指摘されているが、この点について、過去の歴史を振り返ると、実際には、「西洋における人間至上主義の危機」ではないかと感じている。つまり、「人間は自然を征服すべき存在であり、そのような役割を負っている」という誤解のことだが、実際には、「ヤスパースの枢軸論」のとおりに、「技術革新による実体経済の成長」に酔いしれ、奢り高ぶった人類が、「地球環境の調和を乱し、大自然から淘汰され始めた状況」のようにも思われるのである。

そして、この点に関しては、「1600年前の西ローマ帝国」においても、ほとんど同じ状況が展開したようだが、実際のところ、「アウグスティヌス(西暦354年-430年)」の「神の国」という著書では、「神への批判は許されたものの、人間への批判が許されず、結果として、人々は、神よりも人間の方が勝っていると考えるようになった」と述べられているのである。

このように、「西洋の時代」においては「富の遠心力」の結果として、「社会全体の輪」が広がり、その結果として、個人の関心事は、「輪の中心に位置する神や天」から「輪の輪郭に位置する他人」に向かう傾向が存在するものと思われるのである。つまり、「神は死んだ」というニーチェの言葉のとおりに、「神よりも人間が優位に立つ時代」が到来したようだが、この点に関して興味深い事実は、「西ローマ帝国の崩壊以降、人々は、再び、神や天に興味を持ち始め、信仰を深めるようになった」という展開である。

より具体的には、「財政悪化が引き起こした大インフレ」により、「西ローマ帝国」は、蛮族の襲撃をキッカケにして、あっという間に滅んだわけだが、「神の国」という著書では、「なぜ、西ローマ帝国が滅んだのか?」が、詳しく説明されているのである。具体的には、「人間の堕落」が指摘されているが、私自身としては、「文明法則史学」のとおりに、「800年毎の文明移動」が発生することにより「人類の絶えざる進化と発展」が築かれるものと考えている。

つまり、聖書で述べられているように、「人は神と冨とに兼ね仕えることはできない」という状況のことだが、実際には、「人々の興味と関心が、800年毎に、富と神へ向かう状況」とも言えるようである。そして、現在は、「神から紙への変化」により、あっという間に、「マネーの収縮」が発生し、その結果として、世界中の人々が、歴史を訪ね始める状況も想定されるのである。(2021.1.18)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10581:210223〕