本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(118)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
タグ: , ,

グローバリズムの正体

最近では、「グローバリズム」という言葉が聞かれなくなり、反対に、今回の「アメリカの大統領選挙」では、「TPPに反対する候補者」が多く出たり、あるいは、「米国の職を取り戻す」というような意見も聞かれたりする状況となっている。つまり、現在では、「反グローバリズム」、あるいは、「ローカリズム(地方主義)」の動きが活発化しているようだが、このことも、「時代の大転換期」を象徴する「特徴の一つ」とも考えられるようである。

つまり、現在では、「資本主義」そのものが、行き詰まりの状態となっており、実際に、さまざまな問題を引き起こしているものと思われるが、この時に考えなければいけないことは、「グローバリズムの正体」とも言えるようである。そして、現在の「私自身の結論」としては、「金融面での帝国主義的な動きだったのではないか?」と考えているが、「帝国主義」については、ご存じのとおりに、「19世紀の後半」から「20世紀の前半」にかけて、「西洋の列強が、他国を武力で侵略した」という状況を意味している。

しかし、第二次世界大戦以降は、かつての植民地が独立し、結果として、「帝国主義」が終焉したが、その後に起きたことが、「マネーの大膨張」であり、また、「金融論」や「コンピューターネットワーク」を使った「お金の奪い合い」だったようにも思われるのである。つまり、「グローバリズム」の名の下に、「世界中の国々が、マネーゲームに参加した状況」とも言えるようだが、実際には、「2007年から2008年」が、「マネーの大膨張のピークだった」ものと考えられるのである。

具体的には、「デリバティブ(金融派生商品)」の残高が、この前後にピークを付けたのだが、その後の「量的緩和(QE)」については、「国民の預金などを使った、国債の買い支え」とも考えらえるようである。別の言葉では、「金融のメルトダウン」を防ぐために、「国民の預金などが利用された可能性」であり、この結果として、「金融システムの崩壊」に関して、「BISのカルアナ総裁」が指摘する通りに、「時間稼ぎ」ができたようにも思われるのである。

このように、現在では、「マネーの奪い合い」が、「他国の資産を合法的に奪う方法」から、「国内の資産を、合法的に搾取する方法」へと、形を変えたようだが、結局は、「お金は神様である」という「価値観」が、世界全体に行き渡った結果として、「グローバリズム」が終焉の時を迎えたようである。そして、その象徴が、「お金を預けると損をする」という、今回の「マイナス金利」のようにも感じられるのである。(2016.3.15)

-------------------------------------------
求めよ、さらば、与えられん

聖書に、「求めよ、さらば、与えられん」という有名な言葉があるが、実際には、きわめて深い意味が隠されているものと考えている。つまり、「時代とともに、人々が求めるものが変化する」ということであり、また、「個人の欲望は、往々にして、与えられない場合が多い」ということである。具体的には、「宝くじを買って、お金持ちになりたい」というような「欲望」については、実現する可能性は、ほとんど皆無であり、また、反対に、「当たった人は、ほとんどの場合に、その後、不幸になる」とも言われているからである。

しかし、一方で、今までの「数多くの発見や発明」などのように、「新たな商品や技術開発により、世界中の人々が、楽に暮らせるようになる」と考えた場合には、「求めたものが与えられるケース」も、数多く存在するようである。あるいは、「芸術やスポーツ」などの分野においても、「自分の技術を高めることにより、より高い境地に進みたい」と考えた場合には、やはり、結果が与えられることになるようである。

このように、「人々は、何を求めて、自分の時間を使い、努力するのか?」を考えることが、「天地自然の理」を理解する方法の一つのようにも思われるが、同時に、「これから、どのような時代が訪れるのか?」を考える上でも、たいへん有効だとも感じている。つまり、現代人が求めてきたものは、基本的に、「お金」であり、今回の「マイナス金利」は、「世界中の人々が、求めてきた結果の出来事」とも考えられるのである。

しかも、今後は、「ハイパーインフレ」により、きわめて短期間の内に、「お金の価値が激減する事態」が到来するものと思われるが、問題は、「このような状況下で、人々が、何を求め始めるのか?」ということだと考えている。つまり、多くの人が「なぜ、このような事が起こるのか?」と悩み始め、その結果として、「真理の追究」が盛んになることが、過去の歴史が教えることとも言えるからである。

具体的には、「文明法則史学」が教えるとおりに、「唯物論の時代」がピークを付けた後に、「唯心論の時代」が始まる可能性のことだが、確かに、「西暦400年から1200年までの日本の歴史」を振り返ると、多くの人が、真剣に「仏教」を学んだことも理解できるのである。つまり、当時の「最先端の学問」は、「お釈迦様の教え」を学ぶことだったようだが、今回は、「同様の歴史が繰り返されるのか?」に注目するとともに、「世界は、常に進歩する」という観点から、「唯物論」と「唯心論」が融合した世界が訪れる可能性に期待している次第である。(2016.3.15)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6027:160413〕