本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(311)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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金利と金価格

現在、海外においても、「金利の上昇期には、金(ゴールド)の価格が下落する」というような「的外れの意見」が聞かれる状況となっているが、この理由としては、「インフレを認識させたくない人々が、一種のマスコミ操作を行っている可能性」も指摘できるようである。つまり、「1971年のニクソンショック」以降、「金や銀の存在」については、「金融システムの蚊帳の外の状態」となっており、実際のところ、「金や銀の価格動向は、金利に対して、ほとんど影響力がない状況」とも言えるのである。

より具体的に申し上げると、「地球に存在すると言われる約17万トンの金(ゴールド)」については、「現在の時価総額が、約1200兆円」というように、「日本の個人が保有する銀行預金」を、若干、上回る金額にすぎない状態とも言えるのである。別の言葉では、現在、世界に存在する「マネー」については、推定で「10京円」を超える金額となっており、しかも、ほとんどが、「デジタル通貨」の形となっていることも見て取れるのである。

別の言葉では、「過去20年余り、世界的な超低金利状態の蓋に覆われて、目に見えないデジタル通貨が、仮想現実の世界で大きな役割を果たしてきた」という状況だったが、現在では、「ほとんど全てのデジタル通貨が、国債への投資に使われた結果として、枯渇した状態」とも考えられるのである。つまり、今までは、「デリバティブのバブル崩壊」を隠蔽するために、「国民の預金などを借りて、中央銀行が、国債の大量買い付けを実施してきた」という状況だったが、現在では、「中央銀行そのものが、国債の買い付け資金に不足する状態」となったのである。

より具体的に申し上げると、「1991年のソ連」と同様に、「国債の買い手」が不在となり、「中央銀行が、大量の紙幣増刷を始めようとする段階」のことでもあるが、現在の「世界的な実物資産価格の急騰」については、「この事実に気づいた人々が、一斉に、資産を移動させ始めた展開」も考えられるのである。つまり、過去50年余りの「信用本位制」とでも呼ぶべき通貨制度が崩壊を始めたために、本来の通貨制度である「金本位制」などが、再び、日の目を浴び始めた状況のことである。

ただし、実際の展開としては、やはり、「未曽有の規模の大インフレ」を経たのちに、「デノミ」が実施され、その後に、「1992年の第二ブレトンウッズ会議」で議論された「商品バスケット本位制」というような、「新たな通貨制度」が模索され始めるものと感じている。(2021.5.09)

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亀の甲より年の功

「亀の甲」については、現在でも「亀甲占い」として使われているように、「未来を予測する方法」として使われてきたが、この点について、「さまざまな経験を重ねてきた私の人生」から考えると、「年の功」の方が、より精度の高い未来予測が可能な状況のようにも感じている。つまり、「歴史のサイクル」や「マネー理論」に「心の仮説」を加えることにより、「将来の展開」が予測可能であり、また、「3000年ほど前から、人類が悩んでいた疑問」である「自分は、いったい、何者なのか?」、そして、「どこから来て、どこに向かっているのか?」も、ある程度、説明が可能なものと感じている。

具体的には、「西洋人」が指摘する「精神と肉体との関係性」、そして、「東洋人」が指摘する「心の思想」を組み合わせることにより、さまざまな問題が解決できる可能性のことである。別の言葉では、「私自身が、50年ほど前に、全く歯が立たなかった哲学と宗教の問題」に関しても、現在では、いろいろな観点から納得がいく状況となっているわけだが、実際には、このことが、「年の功」のようにも感じられるのである。

つまり、「年を取り、いろいろな経験を重ねるほど、世の中の真理に近づく状況」のことでもあるが、この点に関して、「ヘーゲルの歴史哲学講義」では、「ギリシャ文明が、青春文明である」とも述べられているのである。別の言葉では、「文明そのものが、数百年、あるいは、数千年という単位で成長している可能性」、そして、「現在が、いまだに青春文明を脱していない可能性」のことでもあるが、この点に関して興味を覚えたコメントは、「自然の肉体が精神的な意味を持つものに改造される」というものだった。

より具体的には、「動物の肉体」と「神の精神」を併せ持った人間は、当然のことながら、「原罪」や「業」と呼ばれる「四苦八苦の悩み」を持つものと思われるが、このことは、「青春期の若者が、さまざまな経験を経て、老成する過程」と同様の展開のようにも感じられるのである。つまり、現在の「人類」は、「人生の20代から30代に相当するのではないか?」ということでもあるが、今後は、「自然環境を破壊した過ち」に気付きながら、「大自然と共生する生き方」を学んでいくものと思われるのである。

別の言葉では、「大膨張したマネー」が急速に減少する過程で、「人類の歴史を振り返りながら、過去の偉人は、どのような思いを抱いていたのか?」を、ゆっくりと考え始めるものと想定されるが、実際には、「工業革命」により、「時間的な余裕」を獲得した人類が、本格的に、「心の謎」の解明に向かい始める可能性のことである。(2021.5.11)

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精神世界と物理世界

今から200年ほど前に著わされた「ヘーゲルの歴史哲学講義」では、「精神世界」と「物理世界」が区別されているが、この点には、特別の注意を払う必要性が存在するものと感じている。つまり、私自身は、「神が創った世界」と「人間が造った社会」とを区別すべきであると考えており、実際には、「自然科学」が「神の創った世界を研究する学問」であり、また、「社会科学」が「人間の造った社会を研究する学問」のことである。

また、「ヘーゲル」が指摘する「精神」については、「心」と理解すべきであり、実際には、私自身の「心の仮説」のとおりに、「神の精神」と「動物の肉体」を併せ持った「人間」が「心」という「不思議な存在」を獲得したことにより、「人類の歴史」が始まったものと思われるのである。つまり、「ヘーゲル」が指摘するとおりに、「世界の歴史とは、精神が本来の自己を次第に正確に知っていく過程を叙述するものである」という点には賛同するものの、残念な点は、「人間が心を駆使して、精神的な成長を遂げる過程が人生である」という認識が抜けている可能性である。

より具体的には、「萌芽のうちに樹木の全性質や果実の形がふくまれるように、精神の最初の一歩のうちに、歴史の全体が潜在的に含まれる」という「ヘーゲルの指摘」のとおりに、「人類は、時間をかけて精神的な成長をする存在」であり、私自身も、「この観点から、世界の歴史を研究すべきである」という認識を持っているが、残念な点は、やはり、「ヘーゲルが仏教を理解していなかった事実」だと感じている。

より具体的には、「ヘーゲルの理論」に「文明法則史学」と「マネー理論」を加えることにより、実に多くの「気付き」が得られるものと感じているが、同時に不思議に思う点は、「なぜ、マルクスが、貨幣と商品の研究だけに特化していったのか?」ということである。つまり、「精神世界」が放棄され、「物理世界」における「貨幣と商品の関係性」だけに関心が集まり、その結果として、「経済学」の発展に繋がったわけだが、一方で、「精神性」や「道徳の観念」などについては、ほとんど無視された状況となっているのである。

別の言葉では、「物理世界」を中心的な研究課題とした「西洋文明」においては、「ヘーゲルの思想」自体が異端であるとも思われるが、この原因としては、「ヘーゲルが、ギリシャ神話にまで遡り、人類の精神文明の発展史を研究した事実」が指摘できるとともに、「マルクス」が指摘する「資本主義崩壊の後に来る時代」は、「ヘーゲル」が指摘する「人間の本質を意味する精神世界が追及される時代」とも思われるのである。(2021.5.14)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11001:210612〕