本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(325)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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インフレ大津波の現状

現在は、「インフレ大津波の第二波」が始まった段階とも考えているが、この点に関して、「歴史の証言者の一人」として痛感することは、「現時点でも、世界中の人々の最大関心事が、自分自身のマネー(お金)に集中している状況」である。つまり、「コロナや自然災害などにより、自分の命が脅かされている事態」でありながら、いまだに、「地球温暖化の根本的な原因が、過剰な債務を基にした、人類の無謀な経済行為にある」という事実に気付いていない状況のことである。

しかも、最近では、さまざまな指標が、「人類史上、未曽有の規模の大インフレ到来」を実証するような状態となっていながらも、いまだに、「アウシュビッツの恩赦妄想」のように、「日本の財政が破たんすることはなく、そのために、決して、インフレは発生しない」という理解や認識が蔓延している状況とも言えるのである。つまり、「水茹での蛙」の状態になっているものと思われるが、この理由としては、「2008年前後のGFC(金融大混乱)」という「金融の大地震」以降、「インフレの大津波が、実体経済を脅かさない状態」だった点が指摘できるようである。

より詳しく申し上げると、「金融の逆ピラミッド」において、最上段に位置する「デリバティブ」がメルトダウンを継続したことにより、その下部に位置する「債券」や「預金」、そして、「株式」などが、未曽有のバブル状態に陥った可能性である。つまり、過去の「ハイパーインフレ」の時と同様に、「名目上の資産価値」が上昇し続けたために、「通貨価値の激減」という、本当の意味での「インフレ」に気づかなかった状況のことである。

ただし、現在は、「インフレ大津波の第一波」が終了し、間もなく、「金利の急騰」とともに、「大津波の第二波」に見舞われる段階とも感じているが、この時の注目点は、やはり、「商品の3S」と言われる「砂糖(SUGAR)」、「大豆(SOYBEAN)」、そして、「銀(SILVER)」の価格動向だと感じている。そして、この理由としては、これらの価格が史上最高値を付けた時には、世界中の人々が、いやでも、インフレ大津波を実感せざるを得ない状態に陥るものと感じられるからである。

別の言葉では、「自分の持っているお金の購買力が激減し、庶民の生活が苦しくなる状況」、すなわち、「後生大事に守ってきた預金が、実質的な目減りを始めている状況」のことでもあるが、現時点では、「すでに、このような状態が始まっており、後は、どれだけの人々が、現状に気づくのか?」という段階に入っているものと感じている。(2021.8.14)

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戦後77年目を迎えて

「戦後77年目」を迎えた現在の感想としては、やはり、「明治維新の功罪」であり、また、「神の計らいの偉大さ」である。つまり、私自身は、今まで、「天皇を絶対君主に祭り上げ、廃仏毀釈を実施しながら、富国強兵にまい進してきた日本人」に関して、「明治維新からの約77年間が、戦争の愚かさに気づかされた時代」であり、また、「戦争からの77年間が、お金の魔力に気づく時代」だと考えていた。

別の言葉では、「なぜ、1945年の日本人は、天皇万歳と叫びながら、自分の命を犠牲にしたのか?」を考え続けてきたわけだが、現時点では、「当時の人々は、肉体を犠牲にしながらも、自分の心は守れたのではないか?」とも感じている。しかしながら、一方で、「現代人は、神様となった現代通貨を崇拝しながらも、肉体も心も守れない状態ではないか?」、より具体的には、現在の「皇室の金銭問題」に象徴されるように、「日本人の精神が、完全に腐りきった状態」を表しているようにも思われるのである。

ただし、このことは、一方で、「日本人が、再び、新たな挑戦を始める段階」に差し掛かったことを意味する出来事のようにも思われるが、実際には、「東洋の新時代」が始まりを告げる可能性のことである。そして、この点に関して、私が驚かされたことは、「神の計らいが、どれほど、奥深いものだったのか?」ということであり、具体的には、「数千年前から、お金や文字を人類に与え、また、哲学により、神の真理に到達させようとしてきた事実」のことである。

つまり、現在の「世界的な自然災害」についても、「地球に風邪をひかせて、人類に気づきを与えようとしている状況」とも思われるのである。別の言葉では、「自然科学と社会科学の発展段階」に格差をつけることにより、「人類の覚醒が、一挙に進展する可能性」が存在している状況とも考えているが、この点については、「77年前の日本人が、一挙に、覚醒を始めた状態」が参考になるものと感じている。

つまり、今回は、「皇室までもが、世俗的な金銭問題に固執している状態」となっており、このことは、「現人神から一般人へ」という「77年前の変化」よりも、はるかに重大な意味を持っているものと感じられるのである。より具体的には、「世界中の人々が、これから、何を崇拝して生きていくのか?」、すなわち、「何を、人生の拠りどころとするのか?」ということでもあるが、実際には、「11次元にまで発展した物理学」などのように、きわめて神秘な世界が待ち受けており、絶望している暇がない状況のことである。(2021.8.16)

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西洋哲学の認識論

「古代ギリシャ哲学」や「デカルトから始まった西洋近代哲学」を研究すると、「認識のメカニズム」に関する問題提起が頻出するものの、「いまだに、答えが出ていない状況」とも言えるようである。つまり、「認」と「識」との「違い」が理解できていないために、さまざまな解釈が行われている状況のことだが、この点を、東洋学の観点から分析すると、より深い理解が得られるものと感じている。

具体的には、「肉体」と「精神」との関係性であり、また、私自身の「心の仮説」を理解することでもあるが、実際には、「肉体」や「肉眼」が把握するのが「認」という「現象面での理解」とも想定されるのである。そして、「識」については、「心眼」を通じて、「精神」が把握する「物事の本質」とも思われるが、この時に重要な点は「心の理解」であり、実際には、「心」が「人間だけが持っているもの」であり、また、「時空を超えて、世界の把握が可能な状況」という理解のことである。

より具体的には、「大自然界」のみならず、「法界(ほっかい)」にまで、「心」は、行き来が可能なものと思われるが、この時の問題点は、「肉眼による理解」と「心眼による理解」とに大きな違いが存在する事態である。つまり、現在の物理学からも理解できるように、100年ほど前までは、「マクロの物理学」という「目に見える現象」だけに囚われていたものの、その後、「ミクロの物理学」が始まったことにより、「目に見えない世界で、説明できない現象が数多く噴出し始めてきた状況」となっているのである。

別の言葉では、現在、自然科学においても、「認」と「識」との違いが理解され始めたものと思われるが、この時に必要なことは、「西洋哲学の弁証法」、すなわち、「数多くの失敗を繰り返しながらも、徐々に、真理に近づいていく方法」を理解することであり、また、このことが「仏教の悟り」と同様の意味を持っていることを考慮することである。

つまり、洋の東西を問わず、人類は、真理の追求を続けてきたものと考えられるが、現在は、「10段階の精神レベル」において、「人類は、4から5のレベルに上昇を始めた段階ではないか?」とも感じられるのである。より具体的には、20世紀最大の歴史学者と言われる「トインビー」が教える「チャレンジ(試練)とレスポンス(対応)」のとおりに、「人類は、着実に、より良い世界に向かっている状況」とも思われるが、現時点では、残念ながら、今回の「コロナ」や「自然災害」に対する反応からも明らかなように、いまだに、大きな「認」と「識」の違いが存在する状況とも思われるのである。(2021.8.17)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11300:210918〕