本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(124)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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天に委ね、神に凭れる

何十年もの間、「天に委(ゆだ)ね、神に凭(もた)れる」という言葉の意味を考え続けてきたが、還暦を過ぎた現在では、ようやく、ある程度の理解ができたようにも感じている。つまり、東洋学では、「天に委ねる」、そして、西洋学では「神に凭れる」ということが、「人生において、最も重要な態度の一つである」と言われているのだが、今までは、どうしても、この点が理解できなかったのである。

そのために、いろいろな試行錯誤を繰り返してきたが、現在では、「天や神は、人間の親のような存在である」と考えることにより、ある程度、理解が進んだようにも感じている。つまり、「母親が、子供のことを心配するように、天や神は、全ての人を案じている」ということであり、また、「全ての人が精神的な成長をするように、いろいろな環境を与えてくれている」という解釈のことである。

別の言葉では、今までの人生を振り返ると、実に多くの「天や神の助け」が存在したようにも感じているが、今までは、この点を誤解していたようにも思われるのである。つまり、「人智」という「自分の都合」だけを考え、「なぜ、このような理不尽なことが起こるのか?」というような考えを持っていたが、現在では、「全てが、現在の自分を造るために、天や神が与えてくれた環境だった」とも感じているのである。

そして、「日々の出来事」についても、「目先」では「理不尽」なように見えながら、「長い目」では、「自分が成長する糧(かて)だった」とも感じているが、結局は、「厳しい環境」や「いろいろな事件」に遭遇し、「悩み、苦しんだ時」が、実は、「人間的に成長した時だった」という理解のことである。また、この点を、人類の歴史に当てはめると、違った歴史観が見えてくるようだが、実際には、「世の中は、絶えず進化し、発展している」という考え方のことである。

つまり、今までは、あまりにも異常な「マネーの大膨張」に対して、「なぜ、このような理不尽な事態が発生するのか?」と悩み続けてきたのだが、実際には、実に深い「天や神の計らい」が存在するようにも思われるのである。つまり、「人類の進化や創造のために、与えられた条件の一つだった可能性」のことだが、実際に、過去数十年間、技術的な進歩や発展が起きたことも理解できるのである。別の言葉では、世界中の人々の才能を開花させるために、マネーの大膨張が発生した可能性のことだが、この点については、今後、「国債価格の暴落」が起きた時に、結論が出るものと考えている。(2016.5.12)

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吾唯足るを知る

京都の竜安寺に、「吾、唯、足るを知る」という有名な蹲(つくばい)があるが、この言葉にも、長年、悩まされてきた。つまり、「言葉」は知っていても、本当の「意味」が理解できなかったようにも感じているが、現時点での解釈としては、「日々是好日」や「喜神を含む」と同様の内容ではないかと考えている。具体的には、「天や神は、常に、全ての人に最高の環境を与えているのではないか?」ということであり、このことには、「病気」や「災難」までもが含まれている可能性のことである。

別の言葉では、「天や神は人類の親のようなものである」、そのために、「人類の精神的な成長を望み、いろいろな環境を与えるのではないか?」という認識のことだが、今までは、この点が、ほとんど理解できなかったのである。つまり、「なぜ、病気や災難が降りかかるのか?」、あるいは、「なぜ、何度も大震災などが発生するのか?」を考え続けてきたのだが、現在では、「全てのことには、大きな意味が存在するのではないか?」とも思われるのである。

つまり、「人智」という「人間の欲望や願望」などから考えると、「病気」や「災難」、あるいは、「戦争」などは、実に痛ましい出来事とも言えるのだが、一方で、「自分の人生」や「人類の歴史」を振り返ると、「いろいろな出来事が起きたことにより、現在の生活や社会が存在するのではないか?」とも考え直し始めたのである。別の言葉では、「与えられた環境において、最善の努力をする」ということが、「吾、唯、足るを知る」が意味することのようにも感じているが、どうしても、不満や不足が出るのが、人間の性(さが)とも考えられるのである。

具体的には、「なぜ、このような不幸な目に遭うのか?」、あるいは、「なぜ、もっと楽な暮らしができないのか?」などと考えがちになるのだが、基本的には、「乗り越えられない試練は、天や神は与えない」とも言えるようである。また、「輪廻転生」を考えると、「今世の経験は、来世に持ち越せる」とも考えられるために、「現在の問題や課題に、全力を尽くす」、そして、「できるだけ多くの人に、自分の仕事を通じて喜んでもらう」ということが、人生において、最も大切なことのようにも感じられるのである。

このように、今までは、自分の「人生の意味」についても、大きな誤解をしていたようだが、今後は、「残された命を、どのように使うのか?」、また、「どれだけ、天の貯金という徳積みができるのか?」を考え、実践することが重要なようにも感じている。
(2016.5.12)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6141:160613〕