本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(375)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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8月6日の8時15分

今年は、77回目の「広島原爆の日」を迎えたが、この点に関して、以前から不思議に思っていたことは、「なぜ、広島に原爆投下されたのが8時15分だったのか?」、そして、「この時刻は、9日後の8月15日を示唆していたのではないか?」ということだった。また、「8月15日」については、「1945年から26年後の1971年の8月15日」が「ニクソンショック」であり、また、その26年後の「1997年8月15日前後」が、いわゆる「タイから始まった信用収縮の日」だったことも見て取れるのである。

そのために、「1997年から26年後の2023年8月15日」にも、大きな注目をしている状況でもあるが、今年の原爆記念日に感じたことは、「なぜ、日本に、二度も原爆が落とされたのか?」ということであり、また、「長崎に原爆が投下された8月9日の11時2分が、今後、大きな意味を持ってくるのではないか?」ということでもあった。つまり、現在は、「2022年の11月2日」に対して、大きな注目を払っている状況でもあるが、今までの推移からは、「この前後に、金融面の大事件が発生するのではないか?」とも感じている次第である。

より詳しく申し上げると、「21世紀」に入ってからの出来事としては、「2001年の9・11事件」や「2011年の3・11大震災」などのように、「11」という数字が「キーワード」となっているようにも感じられるのである。そして、「金融敗戦のXデー」を考え続けてきた私自身にとっては、今回、「11月2日に、何らかの大事件が、金融界で発生するのではないか?」とも感じさせられた状況だったのである。

ただし、この点については、単なる「私自身の思い付き」にすぎず、現時点では、「決して、確信をもって語れるような話ではない」ものと感じているが、一方では、「11次元にまで発展した現代の物理学」などの「更なる発展」により、将来的に、「カズタマ」や「コトダマ」などの解明がなされる可能性にも期待している次第である。つまり、「ライプニッツの予定調和説」などが指摘しているように、「すべての出来事に、目に見えない意思が働いている可能性」のことである。

別の言葉では、現在の「未熟な社会科学」しか理解できない我々にとっては、「すべての社会現象」に対して、「時代の証言者の一人として、素直な態度で、事実を直視する姿勢」が必要な状況であり、また、「あらゆる出来事に対して、先入観を持たず、子供のような好奇心で眺める態度」が求められているようにも感じている。(2022.8.8)

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21世紀の独裁者

現在、「ロシアのプーチン」や「中国の習近平」などは、「21世紀の独裁者」とみなされているようだが、この点については、「2月24日」に発生した「ロシアによるウクライナへの軍事進攻」以降、大きな違和感を覚えていた状況でもあった。つまり、「20世紀の独裁者」と呼ばれる「ムッソリーニやヒットラー、そして、スターリンや毛沢東」などと比較すると、「時代的な背景や思想などに関して、大きな違いが存在するのではないか?」という点である。

そのために、過去数か月間、この疑問点を考え続けてきたが、結果としては、「西洋諸国」において、「独裁者の末路」や「戦争被害の悲惨さ」など、当時の記憶が鮮明に残っている状況が、大きな違いとして指摘できるようにも感じられた次第である。つまり、現在の「中国」や「ロシア」においては、「文化大革命」や「ソ連崩壊」などの危機的状況を経たために、「現在の独裁者に対して、一時的な支持が集まっている状況」であり、このことは、かつての独裁者たちも、同様の状態だったものと理解できるのである。

具体的には、当初は、大きな支持を集めたものの、その後は、国民の不満が高まった結果として、独裁者が排除された展開のことだが、現在、「私自身が抱く、より大きな違和感」は、「世界中の人々が取り組む問題が、軍事力の増強ではなく、環境問題への対応ではないか?」という点である。つまり、現在は、「地球環境の悪化により、人類の存在そのものが危うくなっている状態」であり、「決して、人類同士が殺し合っている暇が存在するような段階ではない状態」のことである。

しかも、現在の「ロシア」や「中国」の状況としては、かつての帝国主義とは違い、「同じ民族同士の戦い」を実施するか、あるいは、目論まれている状況であり、そのために、結果としては、「国際競争力の喪失」のみならず、「国家や民族の体力喪失」に遭遇している状況のようにも感じられるのである。つまり、「国際的な地位や名誉」に関しては、「あっという間に地に落ちるとともに、他国との協力が見込めない状態」となっており、その結果として、「今後は、世界全体を敵にして、軍事的な帝国主義的政策を実施せざるを得ない状態」のようにも予想されるのである。

そのために、今後の展開としては、急速な「国内での反発」や、かつての独裁者と同様に「悲惨な末路」が予想されるが、この点に関して、間もなく、大きな役割を果たすのが、「世界的な金融大混乱」ではないかとも感じている。(2022.8.9)

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現代人のメンタルヘルス

フジテレビの「テレビ寺子屋」という番組で、先日、「メンタルヘルス」の問題が取り上げられていたが、この点については、私自身の「心の仮説」により、ある程度、説明が可能な状況のようにも感じられた次第である。具体的には、「肉体と精神が合体した時に誕生する心」については、基本的に、「時空を超えて、阿頼耶識(あらやしき)にまで到達可能な自由さを持っている可能性」のことである。

別の言葉では、「肉体」による「肉眼」と、「精神」と「心」による「心眼」の二つが存在するものと考えているが、「メンタルヘルス(心の健全性)」については、「欲望」や「恐怖心」などに囚われない状況下で、初めて、達成が可能になるものと感じている。つまり、「心ここにあらざれば、見れども見えず」という「大学」の言葉に示されているように、「心眼」が伴わない「肉眼」が、ほとんど役に立たない可能性のことである。

より詳しく申し上げると、恐怖心に囚われた「肉眼」は、「心眼」に関して「行動の自由さ」を失わせる効果が存在するものと思われるが、実際には、「妄想」などに執着して、「心と精神が分断される状態」のことである。より具体的には、「頂点にまで到達したトップアスリートなどが、地位を失う恐怖心などに囚われて、挑戦する意欲を失う状況」が具体例の一つとして挙げられるものと感じている。

そのために、「メンタルヘルス」を保持する方法としては、「丹田」に存在すると思われる「精神」を、常に意識しながら、「心から望むもの」や「心から湧き出る意識」を大切にする態度だと感じている。つまり、「現在の地位や名誉」だけに囚われるのではなく、「過去の自分が、どのような努力を行ってきたのか?」を振り返りながら、「自分の未熟さを見つめるとともに、今後、どのような努力が必要なのか?」を考えることである。

別の言葉では、「自分の心」が、「肉体」と「精神」との間を自由に行き来することにより、「自分の精神レベル」、すなわち、「天爵」を上げることであり、このことが、「ヘーゲルの弁証法」や「仏教の悟りと成仏」を意味しているようにも感じられるのである。つまり、「西洋文明」が重視する「三次元の社会学」においては、「お金や地位、そして、名誉」などが重要なポイントと理解されているものと思われるのである。しかし、今後は、「東洋文明」が重視する「高次元の社会学」の発展により、「人間の精神性」が、より重要視されるものと思われるが、このキッカケとなる出来事は、やはり、、現在の「デジタル通貨」が、「神から紙へ転換する事態」だと感じている。(2022.8.15)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion12367:220909〕