本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(132)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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店頭デリバティブ取引の新規制

7月24日の日経新聞で、「店頭デリバティブ取引の新規制」に関するニュースが報道されたが、今後は、この点が、最も大きな意味を持ってくるものと考えている。つまり、「ウォーレン・バフェット氏」が、以前に、「デリバティブ(金融派生商品)は、金融界の大量破壊兵器であり、また、経済界の時限爆弾である」とコメントしたが、現在では、いよいよ、この言葉が実現する可能性が高まってきたからである。

つまり、今までの「量的緩和(QE)」の目的は、「国債を買い支えることにより、人為的に、超低金利状態を作り出す」という点にあり、この理由としては、「約5.2京円」と報道された「店頭デリバティブ」に関して、「約7割」が「金利関連」だったことが指摘できるのである。別の言葉では、「デリバティブ」については、すでに、「完全崩壊の状態」となっているようにも考えているが、「この事実を隠すために、今まで、国債価格が、異常な高値にまで買われた状況」のようにも思われるのである。

しかし、現在では、すでに、「日銀」を始めとした「世界の中央銀行」が、「ファイナンシャル・サプレッション(金融抑圧政策)」の限界点に達したものと想定されるのである。そのために、今回、「デリバティブの崩壊」に備えて、「証拠金の拡充」を目論んだようだが、実際には、このことが、「金融機関の資金繰り」を悪化させるとともに、「国債価格の暴落」を引き起こす可能性が存在するのである。

その結果として、「ピーク時で約8京円」にまで達した「デリバティブ」が完全崩壊するものと想定しているが、この時に考えなければいけない点は、「この時に、どれほどの不良資産が発生するのか?」ということである。そして、この点において参考になるのが、「日本の土地バブル崩壊」であり、実際には、「時価総額のピークが約2500兆円」、そして、「不良債権が約1割の250兆円程度」だったという事実でもあるようだ。

つまり、「時価総額」や「想定元本」の場合には、「ピーク時の金額」に対して、「約1割」が不良債権化するものと考えているが、このことを、今回の「デリバティブ」に当てはめると、「約8000兆円」という「天文学的な数字」の金額が予想されるのである。そして、この時には、「不良債権の処理」に関して、「紙幣の大増刷」でしか対応ができなくなるものと考えているが、実は、このことが、「ヘリコプターマネー」の本質であり、現在では、多くの人が、この点に気付くとともに、今後の「ハイパーインフレ」を危惧し始めた状況とも言えるようである。(2016.8.4)

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障害者の大量殺傷事件

7月26日の未明に発生した「障害者の大量殺傷事件」については、たいへん驚愕させられたが、その理由としては、現代人の「心の闇」が、これほどまでに広がり、また、深くなっている事実が指摘できるようである。つまり、「26歳の若者」が、「障害者は、生きている価値がない」と考えたようだが、この時に報道されているのが、「大麻を吸い、ヒトラーの思想に悪影響を受けた」ということだった。

別の言葉では、「生きる価値」、あるいは、「人生の価値」を、今まで以上に真剣に考えさせられたのが、今回の事件だったが、基本的には、「生かされている」ということには、必ず、大きな意味や価値が存在するようにも感じている。つまり、「数多くの障害者が、実に見事な仕事をされ、また、精神的な成長を遂げた」という事実が見て取れるわけであり、具体的には、「ヘレンケラー氏」や「中村久子氏」、あるいは、「盲目のピアニストである辻井伸行氏」などが、実例として挙げられるのである。

そして、この時に感じたことは、「重症な障害者」も含めて、全ての人々に、「魂」という「記録維持装置」が存在し、「現世の記憶や経験が、来世に持ち越されるのではないか?」ということだった。別の言葉では、私が想定する「5次元の経済学」では、「健常者」や「障害者」の区別が存在せず、「すべての人が、自分の与えられた環境で、今できることに全力を尽くす」という態度が、最も大切なことだと考えている。つまり、「一所懸命に、自分の人生を生きる」ということであり、実際には、「この経験が、本当の宝物であり、この点については、全ての人が平等な条件を与えられている」ようにも感じられるのである。

そして、同時に感じたことは、「時代の大転換」でもあったが、実際には、「市場経済」という「金銭関係を重視した社会」から、「共同体」という「人間関係を重視した社会」への移行が、すでに始まっている可能性である。つまり、「時は金なり」の思想から、「時は命なり」という考えに移り始めているようだが、残念ながら、この点が、世界的に理解されるためには、まだ長い時間が必要なようにも感じている。

具体的には、「西暦1200年頃」から「唯物論」の考えが広まったが、その後、「西暦1600年頃」に、「時は金なり」の思想が確立し、その後は、世界中の人々が、「金儲け」に奔走したのである。そして、今回の事件は、このような歴史背景が、根底にあったようだが、実際には、「命よりも、お金の方が大切な社会」においては、「これほどまでに凄惨な事件が頻発する」という事実を、改めて見せつけられたようにも感じている。(2016.8.4)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6240:160903〕