本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(133)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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ババ抜きのババ

「8月7日」からの日経新聞では、5回にわたり、「日本国債の特集記事」が掲載されたが、驚いたことは、「内容や主張が、今までとは、全く正反対だった」という点である。つまり、最近までは、「日銀の異次元金融緩和」を支持し、また、「国債は、安全資産である」という論調だったようだが、今回は、「マイナス金利の国債は、ババ抜きのババである」とも述べられているのである。

しかも、この時に、「吉川洋教授」の「いったん金融危機が始まると、数日で、金利が急騰する恐れがある」というコメントまで付け加えられているが、問題は、「なぜ、これほどまでの大転換が起きたのか?」ということでもあるようだ。別の言葉では、「ようやく、私と同様の意見が出始めた」という点に安堵しながらも、一方で、「これから想定される金融大混乱」については、本質的な理解が不十分であり、その結果として、今後の変化が、予想以上の大きさになる可能性も憂慮されるのである。

つまり、今回の特集記事は、単に、一般論を述べているだけで、「過去数十年間に、どれほどの大変化が、世界の金融界で起こったのか?」が、ほとんど理解されていないようにも思われるのである。具体的には、「1971年のニクソンショック」以降、「信用本位制」とでも呼ぶべき「通貨制度」が実施された結果として、「世界の通貨は、単なる数字に変化した」という事実や、あるいは、ピーク時に「約8京円」の金額にまで膨れ上がった「デリバティブ(金融派生商品)」などが、ほとんど言及されていなかったのである。

別の言葉では、これから予想される「世界的な金融大混乱」については、単純に、「過去のハイパーインフレ」を検証するだけでは不十分だと考えているが、残念ながら、今回の「日経新聞」では、この点が、全く触れられていなかったのである。そして、表面的に、「戦後の日本」や「1940年代のイギリス」などの状況と、「現在」とを比較しただけだったようだが、実際には、より大きな変化が、根底に存在しているようにも思われるのである。

具体的には、「文明法則史学」が教える「1600年に一度の大転換」であり、このことは、「西暦400年前後の西ローマ帝国」で発生した状況のことだが、この時には、多くの人々が、「物質文明」ではなく、「精神文明」を求め始めたのである。つまり、これから予想される「大転換」は、人々の興味と関心が、「市場経済」や「唯物論」から、「共同体」や「唯心論」へ移行し始めている点が、根本的な原因とも考えられるのである。(2016.8.15)

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人生の金メダル

オリンピックを見ていると、「勝負の妙味」に加えて、「人生のドラマ」が、熱狂する要因のようにも感じられるが、確かに、「素晴らしい才能を持つ人が、血の滲むような努力をすると、常人とは比べようもないレベルにまで達する」ということも、間違いのない事実でもあるようだ。また、「メダルを取れた喜び」や「僅差で敗れた悔しさ」なども、見ている人の人生経験と重なり合うことにより、より一層、熱狂を増幅させているようだが、実際には、「メダルや順位などの結果」よりも、「それまでの努力」の方が、人生において、より大きな価値があるようにも感じられるのである。

また、この点については、「オリンピックの参加者」だけではなく、「全ての人が、同じ条件ではないか?」とも考えているが、実際には、このことが、「お釈迦さま」の言葉である「天上天下唯我独尊」が意味することでもあるようだ。つまり、「それぞれの人には、それぞれの特殊な能力や才能があり、努力次第では、誰でも、お釈迦様のような精神レベルにまで達することができる」というものである。

別の言葉では、「全ての人が、人生の金メダルを取れるのではないか?」ということだが、具体的には、「各人が、自分の職業に専念し、努力をすれば、精神的な向上が可能である」ということである。つまり、「職業に貴賎なし」という言葉のとおりに、「どのような職業、あるいは、どのような人生においても、本当の目的は、精神的な向上ではないか?」とも考えているが、現代人は、どうしても、この点を忘れがちになり、「金メダルを取った人」、あるいは、「他人の成功」を羨ましく思う傾向があるようだ。

つまり、「表面上の結果」だけを見て、「水面下の努力」を見落としがちになるようだが、実際には、「人生の宝物」が「自分の経験」だけであるように、「あの世まで持っていけるものは、お金や名誉ではなく、失敗など経験から得られた教訓ではないか?」とも思われるのである。そして、このことが、これから想定される「共同体的な社会」、あるいは、「唯心論的な考え」の「神髄」ではないかと考えている。

つまり、今までのような「資本主義」、また、「市場経済」の考えでは、今後の時代変化に対応できなくなる可能性を憂慮しているが、この点については、今後、「国債価格の暴落」、また、「お金が紙切れになる事態」を見た時に、はっきりと認識されるものと考えている。その結果として、今後は、「自分自身が努力して、人生の金メダルを取ることが、自分にとって最も大切なことである」という考えに変化するものと考えている。(2016.8.15)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6247:160910〕