地銀の特別検査
3月9日の日経新聞に、「金融庁が、地銀の特別検査を開始する」という記事が掲載されたが、この点には、特別の注意が必要だと感じている。つまり、表面上は、「外債投資による損失」が理由として挙げられているが、実際には、これから想定される「日本国債への投資による損失」を危惧している可能性が存在するからだ。具体的には、「20年債」や「30年債」などの「長期国債」を、現在、地銀が大量購入していると言われており、今後、「金利の上昇局面」では、これらの投資に対して、巨額な損失が発生する状況も想定されるのである。
そのために、「予行演習」という言葉が使われ、現在の「外債投資による損失」は、単に、「今後の日本国債からの損失」に関して「予兆的な出来事」と想定されているようだが、この時の注目点は、やはり、「金利上昇の速度」とも考えられるようである。つまり、これから想定される事態は、世界的な「国債バブルの崩壊」だと考えているが、私自身が、最も注目する点は、「債券」と「株式」との「違い」である。
具体的には、「株式バブルの崩壊」については、今までに、何度も経験したように、「短期的な急落に多くの人が怯えるものの、その後、必ず、復活した」という状況だったが、これから想定される「国債バブルの崩壊」については、「株式とは違い、スピードの速さと規模の大きさが存在するのではないか?」とも想定されるのである。別の言葉では、「金融システム」や「通貨制度」が崩壊する可能性を含んでいるのが、「国債と、その裏側に存在するデリバティブのバブル崩壊」とも思われるのである。
そのために、今後の展開については、今までとは、全く違った認識を持つ必要性があるようだが、実際には、本当の意味での「インフレ(通貨価値の下落)」を理解することだと考えている。つまり、昨年の10月に、「イエレン議長」が指摘したように、現在でも、「インフレ」や「デフレ」が、経済学において、正確に説明されていないために、今後の展開については、既存の常識を捨て去ることが重要なようにも感じられるのである。
具体的には、「信用創造の仕組み」や「お金の性質」を、より深く理解することでもあるが、実際には、「なぜ、現在、世界的な金利上昇が発生しているのか?」を、正確に認識することだと考えている。つまり、「1971年のニクソンショック」以降、大量に創り出された「コンピューターマネー」が、断末魔の悲鳴を上げている状況を理解することであり今後は、この点が、投資の成果にも、大きな影響を与えるものと考えている。(2017.3.14)
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神の恩寵
「1999年の9月」から始まった、このコラムの連載も、お陰様で、今月、「800回目」を迎えることができたが、思い返すと、当初は、二つの目的が存在した。一つは、「2000年のITバブル崩壊」を予告することであり、もう一つは、当時、「約8000兆円」という規模にまで膨らんでいた「デリバティブ(金融派生商品)」に対して警告を発することだった。そして、その後の展開としては、予想通りに、「ITバブル」は崩壊したものの、一方で、「デリバティブ」については、「2007年から2008年」にかけて、「約8京円」という規模にまで大膨張したのである。
つまり、「人類史上最大の金融バブル」が発生したわけだが、このピークを象徴する事件が、「2007年のサブプライム問題」であり、また、「2008年のリーマンショック」だったものと考えている。そして、その後は、ご存知のとおりに、世界的な「量的緩和(QE)」という、「中央銀行のバランスシート拡大による、国債の買い支え」が実施され、「2016年の半ば」に、「マイナス金利がピークを付けた」という状況でもあった。
別の言葉では、当初の目的の半分は、すぐに達成されたものの、残りの半分については、「18年後の現在」においても、いまだに、解決されていない大問題として、世界中で燻り続けているのである。また、このことが、現在の金融情勢を分かりにくくしている原因の一つとも言えるようだが、今後は、世界的な国債価格の暴落とともに、全貌を表すものと考えている。
このように、過去18年間を振り返ると、実に複雑で、厄介な相場が展開したものと考えているが、一方では、それまでに研究してきた「マネー理論」や「サイクル論」に関して、実践的な検証ができるとともに、一定の成果が得られたとも感じている。つまり、「私自身が望んだことは、大部分が達成できたのではないか?」と考えているが、同時に感じることは、「相場」や「天地自然の理」の「奥深さ」である。
そのために、今後も、さらなる努力が求められているようだが、現時点では、「未知の問題」を追求するために、「日々の出来事」を検証し、その中から、「天や神の意志」を読み取る作業に没頭しているときが、私自身にとって、最も幸福な時間だったものと感じている。そして、このことが、西洋人の考える「神の恩寵」の一つとも言えるようだが、「日本人」にとっては、理解が難しい言葉であり、結局は、「お陰様」が、ぴったり当てはまるようにも感じている。(2017.3.15)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6610:170412〕