本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(157)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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世界を動かす原動力

人類の歴史を研究すると、さまざまな興味深い事実に遭遇するが、基本的には、「世の中は、絶えざる進化と創造の過程にあり、今後も、たいへん素晴らしい時代が到来するのではないか?」と考えている。つまり、「技術」を中心にした「自然科学」が、ますます発展するとともに、今後は、「人間の行動」を解明する学問である「社会科学」が、飛躍的な発展期に入るものと考えているからである。

具体的には、今から300年ほど前の「ニュートン力学」のように、「画期的な発見」が「経済学」などの「社会科学」で達成されることにより、「世界全体がインターネットで結びつくとともに、無駄のない効率的な社会が形成される可能性」に期待しているが、この時に必要な条件の一つが、「世界を動かす原動力」を理解することでもあるようだ。つまり、「世の中は、どのような法則で動いているのか?」、また、「この時に、何が原動力となるのか?」を理解することだが、現時点では、「人々の興味と関心」、あるいは、「フロンティア・スピリット(開拓者精神)」ではないかと考えている。

つまり、私自身が考案した「心の座標軸」と「村山節氏の文明法則史学」を結びつけると、「今後、どのような時代が訪れるのか?」、そして、「この原動力が、いったい、何なのか?」が理解できたようにも感じられるのである。具体的には、「唯物論」を価値基準の中心にした「西洋文明」から「唯心論」を中心にした「東洋文明」への移行のことだが、今までは、「この点に関する原動力」が、よく理解できなかったようにも思われるのである。

しかし、今回、「アメリカ人のフロンティア・スピリット(開拓者精神)」を考えていた時に、この点に関する「閃き」が得られたようにも感じているが、基本的には、「世界中の人々が、常に開拓者精神を持ち、新たなフロンティアを開拓中ではないか?」という理解のことである。そして、この時に、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」を区別して考えると、「お金」が「目に見えるものを代表する商品」であり、また、「神」が「目に見えないものの象徴」のようにも思われたのである。

つまり、現在の「世界的な混迷」については、「1890年前後に、アメリカ人が、フロンティアが消滅した」というような認識を、世界中の人々が抱いているようにも感じられるのだが、実際には、「節から芽が出る」という言葉のとおりに、「一つの時代が終わらなければ、新たな時代が始まらない段階」であり、現在は、「人々が、精神面での進化過程に入っている段階」のようにも思われるのである。(2017.5.6)

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米国のフロンティア・スピリット

19世紀のアメリカでは、いわゆる「フロンティア・スピリット(開拓者精神)」が高揚し、結果として、「困難に打ち勝って、西部の土地を開拓した」と言われている。また、この動きが、西端に達した1890年頃に、「フロンティアの消滅」という状況が発生し、「これ以上、開拓する土地が無くなった」とも考えられたようである。そして、私自身も、以前は、「この前後に、アメリカ人の開拓者精神が消滅したのではないか?」と考えていたが、実際には、全く違った状況でもあったようだ。

具体的には、「フロンティア(辺境)」は消滅したものの、「フロンティア精神」は、継続していた可能性のことだが、実際には、目的や形を変えたようにも思われるのである。つまり、1890年頃までは、「土地の開拓」が主な目的だったものの、その後は、「開拓した土地の発展」へと、目的が変化したようにも感じられるのである。別の言葉では、「実体経済の成長」であり、この点については、「二つの世界大戦を経て、米国が世界の覇権国家になった」という状況からも明らかなようである。

このように、アメリカ人の開拓者精神は、時間の経過とともに、形を変えているようにも思われるが、興味深い点は、「20世紀のアメリカ」が、「実体経済」のみならず、「マネー経済」においても、フロンティア精神を発揮した状況だったようにも感じられるのである。つまり、「土地の開拓」が限界点に達した時に、「実体経済」において、世界進出を果たし、その後、「実体経済」が低迷状態に陥った時には、「マネー経済」で世界の市場を席巻したものと考えられるのである。

ただし、現在では、「100年に一度の金融大混乱」といわれた「2008年のリーマンショック」以降、世界的なマネーの大膨張がストップした状況であり、実際には、本当の意味での「フロンティアの消滅」が発生した状態のようにも感じられるのである。つまり、西洋的な価値観である「唯物論」が、完全に行き詰まりを見せた状態のようにも思われるが、この時に注目すべき点は、やはり、「文明法則史学」であり、実際には、「西暦2000年前後に、西洋の時代から東洋の時代へ移行する」という考え方のことである。

そして、この時には、「西暦2000年を中心にして、数十年間の混乱期が存在する」とも言われているが、今までの推移をみると、まさに、この理論のとおりの展開となっており、今後は、「1600年前の西ローマ時代」と同様に、「財政赤字」と「インフレ」により、「唯物論から唯心論」への辺境開拓が行われる段階とも言えるようである。(2017.5.6)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6700:170531〕