本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(209)

著者: 本間宗究(本間裕) ほんまそうきゅう:ほんまゆたか : ポスト資本主研究会会員
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承久の乱から800年

以前から気になっていたこととして、「なぜ、承久の乱が1221年に起こったのか?」という点がある。そして、この理由としては、「800年に一度」といわれる「東西文明の交代」を調べていた時に、「私の生まれ故郷」と深く関係する「承久の乱」について、「本来、もっと早い時期に発生すべきだったのではないか?」と感じたからである。つまり、「文明の交代期には、約100年間の混乱期が存在する」といわれているが、私自身の研究では、「そのうちの10年間が激変期ではないか?」、しかも、「今回は、2010年から2020年ではないか?」と考えていたのである。

そのために、今回の大転換についても、「1221年から800年後の2021年では、時期的に遅すぎる」と考えていたが、現在では、反対に、「この時期に、何らかの意味が含まれているのではないか?」と考え直し始めている。つまり、「承久の乱」については、「日本史上初めて、朝廷と武家政権との間で起きた武力による争い」でもあったが、戦に敗れた朝廷は、「後鳥羽上皇」が「隠岐の島」、そして、「順徳上皇」が「私の生まれた町である佐渡の真野町に流された」という状況だったのである。

しかも、この時に、「北条家の家来」だった「本間一族」が「佐渡の守護職」となり、その後、「上杉家」に敗れるまで、「約400年間、佐渡を支配した」という状況であり、また、「相場の神様」といわれる「本間宗久」を輩出した「酒田の本間家」は、「佐渡の本間家からの分家」とも解説されているのである。つまり、「私自身の生い立ち」と、深く関わった出来事であるために、たいへん気になっていたが、前述のとおりに、今までは、「2021年」という時期が、あまりにも「当て外れ」のようにも思われたのだった。

しかし、現在では、「1219年」から「不穏な動き」が始まり、その後、「1221年6月」に終焉した「承久の乱」が、「今後の展開」について、たいへん参考になる可能性が出てきたようにも感じている。具体的には、間もなく、始まるものと思われる「本格的なインフレ相場」に関して、「承久の乱」が参考になるとともに、「2021年」に、世の中の大転換が終了している可能性のことである。

そのために、この点にも注意しながら、今後の展開を見守っていきたいと考えているが、現時点で、最も注目すべき点は、やはり、現在の混乱が、「800年、あるは、1600年に一度の重大な出来事」とも言える「西洋から東洋への文明転換」に起因している可能性とも言えるようである。(2018.10.22)

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文明の大転換時に発生する現象

長年、「村山節氏」が発見した「文明の法則」を研究してきたが、現在では、ようやく「大転換の後半部分」に差し掛かってきたものと感じている。つまり、「文明法則史学」では、「800年に一度、東西の文明が交代し、その時には、約100年間の混乱期が存在する」、また、「混乱期は、前半と後半に分かれる」とも説明されているが、「前半の特徴」としては、「大都市への人口流入」や「マネーの大膨張」、そして、「パンとサーカスの生活」などが指摘できるものと考えている。

つまり、「西暦375年」から始まったと言われる「ゲルマン民族の大移動」については、「前半が大都市への人口流入」という状況でもあったが、この点については、「1600年後の現代」において、「1970年前後から、多くの若者が都会に移り住み始めた状況」と同じ意味を持つものと想定されるのである。そして、問題は、「後半部分」であり、実際には、「都会に住みづらくなった人々が、地方や海外に移住する動き」が発生した事実のことだが、この理由としては、「財政赤字によるインフレ」が指摘されているのである。

そのために、私自身は、過去数十年間、「1600年前」と「現在」とを「比較」しながら、「これから、どのような時代が訪れるのか?」を考え続けてきたが、現在では、「共通点」と「相違点」の両方が浮かび上がってきたようにも感じている。具体的には、「共通点」が「財政赤字とインフレ」であり、このことは、「間もなく、金利やインフレ率の急騰が始まった時に、都会に住みづらくなる状況が発生する可能性」を意味しているものと考えている。

また、「相違点」としては、やはり、「技術面での進化」が挙げられるようだが、確かに、「過去1600年間に、さまざまな技術面での進化が起こり、人々の生活水準が向上した状況」だったことも見て取れるのである。しかも、今回は、「IT技術」や「AI(人工知能)」などの発展により、「新たな産業革命の始まり」までもが予見されているようだが、同時に注意すべき点としては、さまざまな「国際紛争」も指摘できるようである。

つまり、さまざまな国々で、「独裁者の暴走」とでも呼ぶべき状況が始まっているようにも感じられるが、この点について、気になることは、「1600年前のローマで、人々が専制君主制を望んだ」と解説されていることである。別の言葉では、最初は「権力者の登場」を望んだものの、その後、「国民」との「乖離」が発生した可能性のことだが、結果としては、「東ローマ帝国」への移行を促進させたようにも思われるのである。(2018.10.22)

本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8169:181121〕