李陸史囚人番号264

著者: 小原 紘 : 個人新聞「韓国通信」発行人
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韓国通信NO591

 近代以降の朝鮮は日韓併合と解放後の軍事政権が民衆に重くのしかかり、怒り、苦しみ、悲哀を表現する民衆詩人を多数輩出した。音楽、絵画の世界でも同じことが言える。
 3.1運動と関係の深い詩人のなかからソウル市が教育庁のホームページで4人の詩人を紹介した。今回は三人目の詩人として李陸史を取り上げる。まずホーム・ページの紹介文から。

李陸史(イユクサ) (1904~1944)

 李陸史は日本植民地時代に民族の悲運をテーマに強烈な抵抗の意思を詩で表現した詩人である。本名は李源緑だが、本名より、「李陸史」として広く知られる。この名は大邱刑務所に投獄された時の囚人番号264に因んだものだ。(264は韓国読みでは、「イーユクサー」、その発音から漢字の李陸史となる)
 彼は1925年に義烈団に加盟するなど、いくつかの独立運動組織で活動し、詩による強烈な抵抗の意思を表現した。<主要作品> 『絶頂』『曠野』『青葡萄』など

<筆者による補足説明>
 朝鮮の有名な儒家 李退渓(韓国紙幣1000₩肖像)の子孫。幼少時に祖父から漢学を学んだ。1926年、北京の朝鮮軍官学校、1930年北京大学に学ぶ。抗日運動家としての活躍は目覚ましく、1925年に兄、弟とともに大邱で義烈団※1に加入。1927年に朝鮮銀行※2大邱支店爆破事件に加わり大邱刑務所に投獄された。1929年光州学生運動※3、1930年大邱「檄文事件」などにかかわり、生涯17回の刑務所生活を経験。1943年秋、ソウル滞在中に逮捕され、北京に押送され1944年獄死。
※1 義烈団
 3.1独立運動後に結成された抗日武装組織。各地の警察署襲撃、朝鮮総督府、朝鮮銀行等の爆破事件などを起こした。共産主義革命を目指した。団員数は一時2千名を超したが、他団体と合流し、1935年解散。
※2 朝鮮銀行
 日韓併合後、日本の第一銀行を母体に作られた植民地中央銀行、朝鮮銀行券を発行。大陸経済侵攻を経済面で支えた。(支店数/朝鮮15、関東州2、日本7、中国25、ニューヨーク1、職員2,424人(1941/12末現在) 敗戦後は韓国の中央銀行である韓国銀行へ。日本では残余財産をもとに日本不動産銀行⇒日債銀⇒あおぞら銀行へ)
※3 光州学生事件
 1929年。3.1事件から10年後に、全羅南道光州(1980.5.18の光州事件が起きた町)で起きた一般市民を巻き込んだ学生運動。通学途中に起きた日本人学生との喧嘩が原因で、差別扱いをされた朝鮮人学生が当局に抗議。抗日運動に発展し多数の学生が逮捕され、全国各地に抗議行動が広がり、4万にもの学生たちが参加したといわれる。韓国ではこの事件を記念して現在でも11月3日を「学生独立運動記念日」としている。

青葡萄    李陸史 安宇植 訳

わがふるさとの七月は
たわわの房の葡萄の季節

ふるさとの伝説は一粒一粒に実を結び
つぶらな実に遠い空の夢を宿す

空の下の青海原は胸を開き
白い帆船が滑るように訪れると

待ち詫びる人は船旅にやつれ
青袍(あおごろも)をまとって訪れるという

待ち人を迎えて葡萄を摘めば
両の手のしとどに濡れるも厭わず

童(わらべ)よ われらが食卓に銀の皿
白い苧(からむし)のナプキンの支度を

 李陸史の凄まじい人生からは想像ができない甘美ささえ感じさせる詩である。この詩のどこに燃えるような怒りと祖国に対する愛が込められているのか。「待ちわびる人」を「祖国独立」と読み替えるなら詩の内容は一変する。

 韓国の国会議長の発言が物議を醸している。従軍慰安婦のハルモニに「安倍首相または天皇が謝罪すれば問題は解決する」という発言。
 文喜相議長が「象徴天皇」を理解していないのが問題だった。浅慮、軽率だが、説明して誤解を解けば済むことだ。「断固抗議」「謝罪を求める」とは、首相も官房長官も外務大臣もおとなげない。安倍首相が慰安婦のハルモニに謝罪して解決できるならそれに越したことはない。天皇を「タテ」にして逃げまわる安倍首相の姿は見苦しいばかりだ。
 伊藤忠商事の社員が「1年間も中国の刑務所に服役していることが判明」のニュースに驚いた。何故、逮捕されたのか、どうして今頃になって判明したのか全くわからない。巷ではすでに中国は恐ろしい国という話が囁かれはじめている。
 政府が北朝鮮に続き、韓国、中国の「脅威」を煽って「改憲」を有利に進めようとするシナリオを描いているとしたら、これほど国民を馬鹿にした話はない。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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