1948年、西アジアの地・パレスチナにユダヤ人国家が生まれた。世界の大国たちが関与して国連決議の結果、イスラエルという国ができ、その地に生まれ住んでいた80万人ものパレスチナ人が「難民」となった。そのことをアラビア語では「ナクバ=大いなる災い」と呼ぶのだが、1948年のその時から75年経った今年の2025年まで、東アジアに住む私たちのほとんどは関心を持つことなく、「ナクバ」という言葉も知らずに過ごしてきた。今、その地は2023年10月からのイスラエルによるパレスチナ殲滅作戦で、パレスチナ人は南端のガザ地区に追いやられ、毎日空から地上からの攻撃を受け、食糧も医療も途絶え、死に追いやられている。その現実を私たちは茶の間から毎日のように目にするという、おぞましい世界に生きている。
なぜこんなことが起きるのだろう。「民主主義国家」という西側の大国たちは自分たちのしてきたことを、現在起きている罪もない人々の大量殺戮を止めようともしないのか。
その歴史を掘り起こし、伝えて来た、フォトジャーナリストの広川隆一さんやアラブ文学研究者の岡真理さんの写真記録や書籍に詳しく書かれているが、私が衝撃を受けたのは、1948年パレスチナの地につくられたのは、単なる「ユダヤ人の国」でなく、「ヨーロッパのユダヤ人の国」で、植民地的なプロジェクトに他ならなかったということだった。
19世紀、イギリスはじめヨーロッパの国々はアフリカやアジアに自分たちの国をつくり支配しようとしてきた。インドをはじめ南アジアの国々、中国もそうで、香港は最近までイギリス領となっていた。今のパレスチナで私たちが目にしているように、アジア人に対するヨーロッパ人のレイシズム(自分たちより劣った人種とみる差別や偏見)が拭い去りがたくあったと言える。アメリカやヨーロッパを旅してきて、自身経験したことがいくつかあったが、少し前まではそれを上回る、アジアの自分たちに対等に接してくれる人びとの姿、日本もそうなってほしいと思う国々、喧嘩でなく議論や話し合いができる社会に、私自身が多くを学ばされてきた。しかし2025年の今、そのことは世界中で揺らいできていると感じるのは私だけであろうか。
レイシズムやシオニズムを考えるとき、日本の今現在の姿、戦中・戦後やってきたことを思わざるを得ない。特に中国・朝鮮の人たちに対して日本がやって来たことは、西欧の国々と何ら変わらず、否、現在に至っても日本に暮らす在日朝鮮人の方たちに対する政策は改められず続いている。戦争中にやったことへの謝罪や補償、被爆者への補償、朝鮮学校の子どもたちの教育保障、高校無償化など排除していることがあまりにも多い。そしてそのもっと以前には琉球の人びと、アイヌの人びとへの偏見や差別が存在し、その記憶や記録は少なく現在に続いている。
自分たちを優秀としてあがめ、他の民族を劣るものとし同等に扱わないということは、他の人とは一緒に生きていけないことに繋がるのではないか。自分の国・地域で暮らす色んな人とも仲よく暮らせなくなるのではないか。
この東から西に広がるアジアが、遠い遠い昔、様々な民族の人たちによって支えられ、つくられてきた歴史をもう一度振り返りたい。お互いが等しく大切にされる人間のつながりの中で暮らし生きていきたいのだ。
20250730
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