弁護士の澤藤です。東京「君が代」裁判・4次訴訟について、最高裁の決定が出ましたので、お知らせの記者会見を行います。
ご承知のとおり、「10・23通達」が発出された2003年10月23日以来、都内公立校の卒業式・入学式における国歌斉唱時の起立斉唱強制は今日まで続いており、この強制に従わない者に対しては、容赦のない懲戒処分が科せられています。その懲戒処分の取り消しを求めるのが東京「君が代」裁判。4次訴訟は、一審原告14名、上告人13名(現職教員8名)が、処分の取り消しを求めている訴訟です。
東京地裁(2017年9月)・高裁(2018年4月)の各判決で、減給・停職処分計6名・7件が取り消され、一部勝訴しました。これに対して、都教委は1名・2件についてだけ上告受理申立を行いました。この教員に対する2件(不起立4回目、5回目)の減給処分取り消しを不服としたものです。また、一審原告教員らはすべての処分について、取り消し、損害賠償を求めて上告及び上告受理申立をし、事件は最高裁第1小法廷に係属して、双方が正面対決する構図になっていました。
以上のとおり、東京「君が代」裁判4次訴訟は、3件に分かれて最高裁に係属してまいりました。原告教員側からの上告事件・上告受理申立事件、そして一審被告都教委の側からの上告受理申立事件です。
これに対して、教員の側からの上告を棄却する決定と、当事者双方の上告受理申立をいずれも不受理とする旨の決定が3月28日付でなされ、その通知が同月30日に弁護団事務局に送達されました。4月1日付の原告団・弁護団声明を作成し、本日記者会見をする次第です。
懲戒処分を受けた教員が上告理由としているのは、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の憲法違反です。何ゆえに憲法違反か。上告理由書は260ページに及ぶ詳細なものですが、煎じ詰めれば、思想・良心・信仰の自由という憲法に明記されている基本的人権というもの価値が、他の諸価値に優越しているということです。
教員の一人ひとりに、それぞれの思想・良心・信仰の自由が保障されています。各々の思想や良心やあるいは信仰が、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を許さないのです。公権力が、敢えてその強制を行うことで、一人ひとりの精神的自由の基底にある、個人の尊厳を傷つけているのです。傷ついた個人の尊厳という憲法価値を救うために、裁判所は国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制は違憲だと宣言し、懲戒処分を取り消さなければなりません。
原告教員の側は、個人の尊厳という憲法価値を前面に立て、これを侵害する懲戒処分を取り消すよう主張を重ねてきました。一方、都教委側が主張する憲法的価値はと言えば、それは国家です。あるいは国家の尊厳、国家の秩序。国旗・国歌(日の丸・君が代)は国家象徴ですから、すべての人に「国旗国歌に敬意を表明せよ」と強制するには、国家に、個人の尊厳を凌駕する憲法価値を認めなければできないこと。個人の尊厳と、国家と。この両者を比較検討してどちらを優越する価値と見るすべきでしょうか。
多くを語る必要はありません。個人の尊厳こそが根源的価値です。国家は便宜国民が作ったものに過ぎません。個人の尊厳が傷つけられる場合、公権力が個人に国家への敬意を強制することはできないはずです。
いま、最高裁判例は、「国旗・国歌への敬意表明の強制は、間接的に強制された人の思想・良心の自由を制約する」ことまでは認めています。しかし、その制約は「間接的」でしかないことから、強制に緩やかな必要性・合理性さえあれば制約を認めうる、と言うのです。私たちは到底納得できません。判例か変更されるまで、工夫を重ねて何度でも違憲判断を求める訴訟を繰り返します。
一審原告の上告受理申立理由の中心は、本件不起立行為を対象とする戒告処分も処分権者の裁量権を逸脱濫用した違法のものであって取り消されねばならない、というものです。仮に、本件各懲戒処分が違憲で無効とまでは言えなくても、わずか40秒間静かに坐っていただけのことが懲戒処分に値するほどのことではありえない。実際、式の進行になんの支障も生じてはいないのです。懲戒処分はやり過ぎで、懲戒権の逸脱濫用に当たる、と言うものです。現に、2011年3月10日東京高裁判決は、処分は違憲との主張こそ退けましたが、懲戒権の逸脱濫用として全戒告処分を取り消しています。
この高裁判決を受けての最高裁判決か2012年1月16日第一小法廷判決です。戒告処分違法の判断を逆転させて、「戒告は裁量権の逸脱濫用には当たらない」としたのです。しかし、さすがの最高裁も、戒告を超えた減給以上の懲戒処分は苛酷に過ぎて裁量権の逸脱濫用に当たり違法、としたのです。
つまり、不起立に対する懲戒処分は違憲とまでは言えない。しかし、懲戒処分が許されるのは戒告処分止まりで、それ以上の重い減給や停職などの懲戒処分は裁量権の逸脱濫用として違法。これが現時点での最高裁判例の立場です。
私たちは、多様性尊重のこの時代に、全校生徒と全教職員に対して、国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意表明を強制することはあってはならないことだと考えます。思想や良心、あるいは信仰を曲げても、国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意を表明せよという強制は違憲。少なくとも、起立できなかった教員に対する懲戒処分はすべて処分権の逸脱濫用として取消しとなるべきことを主張してきました。
問題は、都教委が教員の一人を相手方にして上告受理申立をした事件。相手方となった教員が過去3回の不起立・戒告処分があるから、4回目は減給でよいだろう。そして5回目も減給、というのです。都教委側の理屈は、「処分対象の非違行為を重ねることは本人の遵法精神欠如の表れであって、その矯正のためにより重い処分をなし得る」ということになります。
しかし、この教員の思想も良心も一つです。何度起立を命じられようとも、思想・良心が変わらぬ限り、結果は同じこと。処分回数の増加を根拠に、思想や良心に対する制約強化が許されるはずはないのです。思想を変えるまで処分を重くし続ける、などという企みは転向を強要するものとして、明らかに違法と言わざるを得ません。
実は憲法論と同じように法的価値の衡量が行われています。衡量されている一方の価値は、思想・良心・信仰の自由。その基底に、個人の尊厳があります。衡量されているもう一方の価値は、「学校の規律や秩序の保持等の必要性」であり、違憲論の局面で論じられた価値衡量の問題が、本質を同じくしながら公権力の行使の限界を画する懲戒処分の裁量権逸脱濫用の有無という局面で論じられているのです。
今回、最高裁(第一小法廷)が都教委の上告受理申立を不受理としたのは、最都教委の請求を認めず、特別支援学校現役教員の4回目・5回目の卒入学式での不起立に対する減給処分(減給10分の1・1月)の取り消しが確定したことになります。都教委の敗訴です。これは、不起立の回数(今回は4回目・5回目)の増加だけを理由に減給処分という累積過重処分を行った都教委の暴走に歯止めをかけたものと評価できます。これにより、東京「君が代」裁判四次訴訟は、原告らの「一部勝訴」で終結することになりました。
なお、4がつ1日付の東京「君が代」裁判4次訴訟原告団・弁護団声明は下記のとおりです。
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声 明
1 2019年3月28日,最高裁判所第一小法廷(池上政幸裁判長)は,都立学校の教職員13名(以下,「原告ら教職員」という)が「日の丸・君が代」強制にかかわる懲戒処分(戒告処分10件)の取消しと損害賠償を求めていた上告事件及び上告受理申立事件について,それぞれ上告棄却,上告申立不受理の決定をした。
あわせて,一審原告1名に対する原審における減給10分の1・1月の処分の取消を維持して東京都の上告受理申し立てを受理しない旨の決定をし,減給処分を取り消した東京高裁判決が確定した。
今回の最高裁の上告棄却及び上告不受理決定では,戒告処分の取消しが認められなかったものの,最高裁が,2012年1月16日判決及び2013年9月6日判決に沿って,減給以上の処分による国歌の起立斉唱の強制を続けてきた都教委の暴走に一定の歯止めをかけるものと評価できるものである。
2 本件は,東京都教育委員会(都教委)が,2003年10月23日に「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」との通達(10・23通達)を発令し,全ての都立学校の校長に対し,教職員に「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」を命じる職務命令を出すことを強制し,さらに,国歌の起立斉唱命令に違反した教職員に対して懲戒処分を科すことで,教職員らに対して国歌の起立斉唱の義務付けを押し進める中で起きた事件である。
一審原告らは,自己の歴史観・人生観・宗教観等や長年の教育経験などから,国歌の起立斉唱は,国家に対して敬意を表する態度を示すことであり,教育の場で画一的に国家への敬意を表す態度を強制されることは,教育の本質に反し,許されないという思いから,校長の職務命令に従って国歌を起立斉唱することが出来なかったものである。このような教職員に対し,都教委は,起立斉唱命令に従わなかったことだけを理由として戒告・減給等の懲戒処分を科してきた。
なお,このような懲戒処分は,毎年,卒業式・入学式のたびに繰り返され,10・23通達以降,本日まで,職務命令違反として懲戒処分が科された教職員は,のべ480名余にのぼる。この国歌の起立斉唱の強制のための懲戒処分について,2012年1月16日,最高裁判所第一小法廷は,懲戒処分のうち「戒告」は裁量権の逸脱・濫用とまではいえないものの,「減給」以上の処分は相当性がなく社会観念上著しく妥当を欠き,裁量権の範囲を逸脱・濫用しており違法であるとの判断を示していた。
3 上記最高裁判決以降,都教委は3回目の不起立までを戒告とし4回目以降の不起立に対して減給処分とする取り扱いをしてきた。本判決は,4回目・5回目の不起立に対する減給処分を「減給以上の処分の相当性を基礎づける具体的な事情は認められない」として取り消した原判決に対する東京都の上告受理申立てを受理しなかったものである。
今回の上告不受理決定は,不起立の回数が減給処分の相当性を基礎づける具体的な事情には当たらないとの判断を示した東京高裁判決を維持して,不起立の回数のみを理由とした処分の加重を否定したものである。
これまでの最高裁判決そして原判決に引き続き,都教委の過重な処分体制を許さなかったことは,都教委による起立斉唱の強制に一定の歯止めをかける判断として評価できる。
4 しかしながら,一審原告らは,真正面から10・23通達発出の必要性を支える立法事実がないことを明らかにし,思想良心の自由と緊張関係に立つ職務命令の違憲性を主張して上告してきたところであり,さらに,これまでの最高裁判決が判断を示してこなかった,10・23通達,職務命令,懲戒処分が,憲法19条,20条,23条,26条が保障する教師の教育の自由を侵害,また,教育基本法16条が禁じる「不当な支配」に該当するものであって違憲違法であることを主張して上告してきたところである。
すなわち,一審原告らは,これまでの最高裁判決を含む各判決に憲法解釈の誤りがあることを理由として上告したのに対して,「本件上告の理由は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの」であるとして一審原告らの上告を棄却した本件上告棄却決定自体,最高裁は正面から憲法判断をしなければならなかったにもかかわらず,必要な憲法判断を回避したものであって到底容認できるものではない。
このような,最高裁の判断自体は,従前の最高裁判決に漫然と従って本決定に至ったものであり,十分な審理を尽くさず,事案の本質を見誤ったまま上告を棄却したものであって,憲法の番人たる責務を自ら放棄したとの批判を免れることはできない。
5 都教委は,この司法判断を踏まえて回数だけを理由として処分を加重する「国旗・国歌強制システム」を見直し,教職員に下した全ての懲戒処分を撤回するとともに,将来にわたって一切の「国旗・国歌」に関する職務命令による懲戒処分及びそれを理由とした服務事故再発防止研修を直ちにやめるべきである。
特に,都教委は,都教委がした違法な懲戒処分が取り消された事実を重く受け止め,今回の上告不受理決定によって減給処分の取り消しが確定する一審原告に対して,同一の職務命令違反の事実について重ねての懲戒処分はやめるべきである。
わたしたちは,本判決を機会に,都教委による「国旗・国歌」強制を撤廃させ,児童・生徒のために真に自由闊達で自主的な教育を取り戻すための闘いにまい進する決意であることを改めてここに宣言する。
この判決を機会に,教育現場での「国旗・国歌」の強制に反対するわたしたちの訴えに対し,皆様のご支援をぜひともいただきたく,広く呼びかける次第である。
2019年4月1日
東京「君が代」裁判4次訴訟原告団・弁護団
(2019年4月2日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.4.2より許可を得て転載 http://article9.jp/wordpress/?p=12347
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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