私も代表世話人の一人である「東京都平和祈念館(仮称)建設をめざす会」の豊島区民センターでの戦争する国を許さず「東京都平和祈念館(仮称)」建設をめざす7・12集会チラシ添付します。
200名の会場ですが、手づくりの市民運動ですので一人でも多くの方の参加を呼びかけています。
同集会で、空襲被害と戦後補償について私が、重慶大爆撃と東京大空襲について田代博之重慶大爆撃訴訟弁護団長が報告します。
私が東京大空襲、重慶大爆撃訴訟にかかわったのも、28年前に反戦、反差別の運動に生涯をかけ清貧のうちに73年の生涯を終えた父の遺志を引き継ぎたいとの想いもあったからです。
父は日中戦争の直接の導火線となった1937年7月7日の盧溝橋事件(七七事変)それに続く同年12月の南京総攻撃に福岡・久留米の陸軍戦車部隊の戦車の整備兵として加わっています。
父は生前、軍国主義教育の中で、当初は侵略戦争という認識はなく正義の戦争と思っていたが、南京で目撃した事実によって戦争に疑問を抱くようになったと語っていました。
戦後は南京の目撃者として全国各地で300カ所以上で戦争の残酷さ、愚かさと平和の尊さを体を張って訴え続けました。中国紙、朝日、毎日、地方各紙が父の活動を報じています。
父は靴修理業をしながら運動にかかわっていましたが、収入がなく、母が廃品回収をしながら私たち子どもを育ててくれました。その母も14年前に死去しました。母は私が弁護士になってからも元気な間は廃品回収の仕事をつづけました。
貧冨の差が拡大し、集団的自衛権の行使、戦争する国家体制に向かってつき進んでいる状況の中で、いつか来た道を繰り返させないために、お互いに頑張りましょう。