東京電力福島第一原子力発電所事故の過去・現在・未来

講演概要

A.過去: 2011年3月11日に起こったこと

1.炉心を熔解させた「崩壊熱」
2011年3月11日、福島第一原子力発電所は東北地方太平洋沖地震に襲われた。その地震のマグニチュードは9.0。それが発生したエネルギーは広島原爆3万発分に達する巨大地震だった。人間の力をはるかに超えた自然の力である。福島第一原子力発電所は運転を停止、つまりウランの核分裂連鎖反応を止めた。しかし、原子炉の中で発生する熱が止まったわけではない。何故なら、原子炉の中には、それまでの運転で生じた核分裂生成物が蓄積しており、それは放射性物質であるが故に発熱を続ける。その発熱を「崩壊熱」と呼ぶが、その発熱量は、原子炉が運転中の発熱量の7%に相当する。今日標準的な電気出力100万kWの原子力発電所の原子炉の熱出力は300万kWであり、その7%は21万kWである。その熱は、350リッター(普通の家庭用風呂桶約2杯分)の水を1秒ごとに蒸発させる。その発熱を除去できなければ、原子炉が熔けてしまうことは避けられない。発熱を除去する、つまり原子炉を冷却するためには冷却材である水を送らねばならない。水を送るためにはポンプが動かなければならない。そのポンプが動くためには電気が必要である。しかし、福島第一原子力発電所自体は運転を停止し、自ら発電する能力を失っている。その場合、所外から電気の供給を受ける予定であった。しかし、所外の送電ラインもまた巨大地震による被害を受け、送電塔も軒並み倒壊し、福島第一原子力発電所は所外からの電気も受けられなくなった。そんな特殊な場合には、発電所内の非常用発電機が動いて、必要な電気を供給するはずであった。しかし、地震の1時間後に襲った巨大な津波が、1号機から4号機の非常用発電機を水没させた。こうして福島第一原子力発電所の1号機から4号機はすべての電気を奪われる、すなわちブラックアウトに陥った。かねてから原子力発電所の破局事故の最大の要因はブラックアウトであると、原子力の専門家であれば承知していた。まさにそれが起きてしまい、当日運転中だった1号炉から3号炉は為す術を奪われて原子炉が熔け落ちた。

2.定期検査中だった4号機
当日、定期検査中だった4号機は原子炉内にあった燃料のすべてが使用済燃料プールに移されていた。原子炉の炉心に装荷されていた燃料集合体は548体、その全量を含め、すでにこれ以上には燃やすことができなくなっていた783体の使用済燃料を含め、プールには1331体の核分裂を経験した燃料が沈んでいた。放射性物質は時間の経過とともに減少するため、「崩壊熱」も少なくなっていく。そのため、運転中にいきなり事故に遭遇した原子炉に比べれば、4号機の使用済燃料プール内にあった燃料の発熱量は少なく、幸いなことに熔け落ちるまでに時間の余裕があった。しかし、それが熔け落ちてしまえば、250km離れた東京も強い汚染を受けるだろうと当時の原子力委員会の近藤駿介委員長が報告し、自衛隊や東京消防庁が4号機の使用済み燃料プールに水を供給しようと苦闘した。その苦闘は効果を発揮しなかったが、最後に「キリン」と呼ぶ高所コンクリートポンプ車を連れてきて、ようやくに4号機燃料プールの底に沈んでいる燃料の熔融は防がれた。

3.環境に噴出した放射性物質と大地の汚染
しかし、熔け落ちた1号機から3号機の原子炉から放射性物質が放出されることは避けられなかった。希ガスの全量、ヨウ素、セシウムなど揮発性の高い核分裂生成物が大量に放出された。1979年の米国スリーマイル島事故の時も、1986年の旧ソ連チェルノブイリ事故の時もそうであったように、事故が起きるまで誰も、まさかこんな事故が起きるとは思っていなかった。そのため、事故への対応はことごとく失敗したし、放出された放射性物質の予測にも、実測にも失敗した。そのため、希ガスやヨウ素の被曝については、正確な評価が今でもできない。また、日本にとって幸運だったことに、日本は北半球温帯に属し、偏西風が卓越風であるため、放出された放射性物質の主要な部分は、太平洋に向かって流れた。ただ、そのことは、放出された放射性物質の量の把握に多大の困難をもたらした。日本政府が国際原子力機関に提出した報告書によれば、大気中に放出したセシウム137の量は15ペタベクレルであり、広島原爆がキノコ雲と一緒にまき散らしたセシウム137の168倍に当たる。その評価がどこまで正しいかは、セシウムを含め大部分の放射性物質が太平洋に流れ計測できないため、今でも分からない。日本政府の評価値より小さい評価値もあれば、大きい評価値もある。日本の国土の地表に降下したセシウムについては、その寿命が長いため、後日の調査によって汚染の把握が可能となった。東北地方、関東地方を中心に日本の国土に降ったセシウム137の量は2.5ペタベクレル程度である。それを重量にすれば、約750gである。たったそれだけのセシウムが地表に降り積もったために、約1000平方キロメートルの土地が、セシウム134の汚染と合わせて、60万ベクレル/m2以上の汚染を受け、10万人を超える住民が故郷を追われて流浪化した。その周辺にも4万ベクレル/m2を超え、日本の法令に従えば放射線管理区域に指定しなければならない土地が約1万4000平方キロメートルに広がった。放射線管理区域とはもともと一般人の立ち入りが禁止される場であるし、私の様な放射線業務従事者でも水を飲むことも禁じられる場、つまり生活してはならない場である。その場に、赤ん坊も含め数百万人の人々が、今は緊急時だという理由で棄てられてしまった。

B.現在: 敷地内外で続く被曝と苦難

1.事故現場に行くことができない過酷な状況
事故からすでに3年8カ月が過ぎた今、事故は一向に収束できないまま継続している。熔け落ちた1号機、2号機、3号機の炉心がどこにどのような状態で存在しているのか、いまだに分からない。なぜなら、現場に行くことができないからである。事故を起こした発電所が火力発電所であれば、現場に行き、どこがどのように壊れたか調べることができるし、修理をすることも、その後の運転再開もできる。しかし、原子力発電所の場合には事故現場に行くことができない。そこは、人が行けば即死する場だし、ロボットは放射線に弱い。いつの時点で現場の状況を確認できるか、それすらが定かでない。このような過酷な事故は原子力以外では決して起きない。

2.注水冷却によって増加し続ける放射能汚染水
ただ、これ以上炉心を熔融させることは許されないとして、すでに底が抜けてしまった圧力容器の中に、事故以降ずっと注水してきた。しかし、そうすれば、注水した水が放射能汚染水となることは避けられない。今現在毎日400トンの水を注水している。ところが、格納容器にも穴が開き、注水した水は原子炉建屋やタービン建屋の地下に溜まってくる。しかし、原子炉建屋もタービン建屋もコンクリート構造物であり、おそらくいたるところでひび割れが入っている。さらに、地下には配管や電気配線を走らせるためのトレンチやピットと呼ばれる地下トンネルが張り巡らされており、それらもまたいたるところで割れている。そのため、毎日約400トン分の地下水が建屋内に流入してくる。建屋内の放射能汚染水は地下水と一体化してしまう。東京電力はタービン建屋地下から放射能汚染水を引き出し、セシウムを捕捉する装置に送った上で、毎日400トン分は原子炉圧力容器への注水に再使用している。しかし、残り400トン分は毎日放射能汚染水として溜まってくる。これまで東京電力は、そうして増加してくる放射能汚染水を、応急タンクを増設しながら貯蔵してきた。しかし、応急タンクはあちこちで漏れを起こしてきた。そのうえ、放射能汚染水の総量はすでに40万トンを超えている。発電所の敷地には限度があり、タンクの増設もままならないので、そう遠くない将来、このやり方は破たんする。

3.水を使わない冷却法への切り替え
もともと放射性物質に水を接触させることはやってはならない。だからこそ、使用済み燃料あるいは高レベル放射性廃物の埋設処分の時には、地下水の有無を厳重に調べ、地下水の流れのない場所を選定する。事故直後は、炉心の熔融を防ぐことが最優先であった。そのため私自身も、海水でも泥水でもいいので、炉心に向けて水を入れるべきだと発言した。しかし、現在は、崩壊熱は事故直後に比べれば、数百分の1に減っており、水での冷却以外の方策、例えば、金属冷却、液体窒素冷却、空冷などの手段に移るべきである。

4.地下遮水壁と凍土壁
熔融した炉心と地下水を接触させてしまえば、汚染の拡散を防げなくなる。そのため、私は2011年5月の時点で、原子炉建屋周辺の地下に遮水壁を張り巡らせるべきだと発言した。それを複数の政治家にも伝え、実現できることを期待した。しかし、地下に遮水壁を作ろうとすると1000億円の費用が必要となり、6月に予定されていた株主総会を乗り越えられなくなるとの理由で、東京電力はそれを行わなかった。2013年になってようやく、政府と東京電力は地下の遮水壁を作る必要を認めたが、彼らが採用したのは「凍土壁」であった。トンネル工事で地下水の逸水を防ぐためにごく限られた部分の土を凍らせる技術はこれまでにも使われてきた。しかし、今回は、深さ30m、長さ1.4kmに及ぶ壁を作らなければならない。おそらくそれはできない。仮にこんな無謀な壁ができたとしても、地面を凍結させるための冷媒の循環が止まれば、壁は崩れてしまう。そのためにはいついかなる時も必要な電源が確保できなければならない。結局、コンクリートと鋼鉄を使った遮水壁を作らざるを得なくなるであろう。それにもまた被曝作業が伴ってしまう。もっとも、工事を請け負うゼネコンにすれば、無駄な作業が増えれば増えるだけ、ますます儲かる。

5.捕捉できないトリチウムと、捕捉しても消えたわけではない放射能
また、東京電力はセシウム以外の放射性物質を補足するためのALPSと呼ばれる装置を設置しようとしたが、いまだにまともに動いていない。仮にまともに動いたとしてもトリチウムは捕捉できない。さらに、捕捉したとしても放射能が消えているわけでもない。今後、それらの保管が重荷になる。

6.4号機使用済み燃料プールからの燃料の移動
使用済み燃料プール問題もまだ残っている。すでに述べたように、2011年3月11日に定期検査中だった4号炉の場合、炉心には燃料がなく、すべては使用済み燃料プールに移されていた。そのため、炉心が熔融することは避けられたが、4号機の原子炉建屋でも爆発が起き、原子炉建屋は半壊してしまった。特に4号機の場合には、原子炉建屋最上階だけでなく、使用済み燃料プールが埋め込まれていた階も爆発で壁が吹き飛んでしまった。そのプールの中には広島原爆に換算すれば、約1万4000発に相当するセシウム137が存在している。半壊している原子炉建屋が、次の余震で崩れ落ち、燃料がむき出しになるようなことになれば、再度大量の放射性物質が環境に放出されることになる。東京電力もその危機を承知しており、事故直後には、使用済み燃料プールの耐震補強工事を行ったし、2013年11月からはいよいよ、使用済み燃料プールの底の燃料をつり出し、隣にある共用燃料プールに移す作業を始めた。2014年10月の時点で、1331体あった使用済み燃料は55体を残して移し終えている。東京電力の計画では、2014年末までにはすべての燃料を移動させるとしており、何とか無事に作業を終えてほしい。しかし、仮に4号機の使用済み燃料プールからの燃料の移送が大きな事故がなく終わったとしても、使用済み燃料プールは1号機にも、2号機にも、3号機にもある。それらが存在している原子炉建屋は汚染が激しく、プールに近づくことすら許されない。これまでは3号機使用済み燃料プール周辺で、遠隔操作による重機でがれきの撤去などがなされているだけである。今後いつになったらそれらのプールから燃料を移動させることができるか、定かでない。

7.もともとできない「除染」と集めた放射性物質の管理
敷地の外の汚染ももちろん消えていない。日本政府は「除染」と称して、住民の生活の場の土を剥いだりしているが、「除染」とは汚れを除くという意味である。しかし、放射能を人間の手で消すことができない以上、言葉の本来の意味での「除染」はできない。できることは、汚染を移動させることで、私は「移染」と呼んでいる。その「移染」も、実質的にできる場所はごくごく限られた場所だけである。山も、森も林も「移染」はできない。田畑だって、できるところは限られている。「移染」ができるのは住宅やその周辺だけである。もちろん、やらないよりはやった方がよい。しかし、放射能を消したわけではなく、「移染」作業で剥ぎ取った土などは、今度は汚染物として溜まってくる。それらはフレコンバッグに詰められていたるところに山になっている。日本政府は、それらを県ごとに中間貯蔵施設なるものを作って集めようとしているが、住民がそれを受け入れてしまえば、そこが最終処分場になってしまう。また、1kg当たり8000ベクレルを超えて汚染されているものは指定廃棄物として管理することになっており、政府はそれもまた県ごと、あるいは大熊町、双葉町など高汚染区域に埋め棄てにしようとしている。そんなことはやってはいけない。汚染の正体は、もともと福島第一原子力発電所の原子炉の中にあった物質で、東京電力のれっきとした所有物である。東京電力が嘘をついてそれを住民の土地にばらまき、住民たちが被曝しながらそれを集めている。集めたそれは東京電力に返せばいいのである。ただし、福島第一原子力発電所の敷地では、今現在も多数の労働者が放射能を相手に戦っており、その場に返すことはできない。福島第一原子力発電所の南約15kmに福島第二原子力発電所の広大な敷地がある。東京電力はそれを再稼働させると言っているが、住民を苦難のどん底に落としながら自分は無傷で生き延びるということはあり得ない。福島第二原子力発電所にすべての汚染物を集め、そこを核のゴミ集積場にするのが良い。

8.人々に現れる健康障害
そうした困難な状況の中、人々は汚染地で日常生活を送っている。福島県内ではこれまでに約30万人の子どもの甲状腺調査が行われ、すでに100件を超えるがんが見つかっている。政府は、その結果は、単に調査を大々的にやったからにすぎず、福島第一原子力発電所事故による放射能汚染とは関係がないと主張している。しかし、これまでに大々的な調査など為されていない以上、そのような決めつけを行うことは科学的でない。政府にとっては、被曝と健康障害は無関係だという結論だけが先にある。住民の健康被害の実態を知るためには、今後、さらに調査を続ける必要がある。

C.未来: 収束までの果て無い道のり

1.向き合わねばならない厖大な放射性物質
福島第一原子力発電所事故は人類が初めて遭遇している厳しい事故である。旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故も過酷な事故であった。しかしそこで壊れたのは原子炉1基である。一方、福島では3基の原子炉が熔け落ちた。熔け落ちた原子炉の中には約700ペタベクレルのセシウム137が存在していた。そのうち、15ペタベクレルが事故直後の約半月の間に大気中に放出され、おそらく同じ程度の量が海に流れ出た。そして、原子炉建屋・タービン建屋内に溜まった放射能汚染水から約200ペタベクレルのセシウム137を捕捉したと東京電力は言っている。しかし、今なお500ペタベクレル近いセシウムは熔け落ちた炉心近傍に存在しているか、あるいはすでに地下に漏れ出ている。広島原爆に換算すれば、6000発分にも及ぶ。おまけに、ストロンチウム90を含め他の放射性物質は捕捉すらされていない。今後、環境へのそれらの流出をどうやって防ぐことができるか、苦闘が続く。

2.1,2,3号機使用済み燃料プールからの燃料の移動
同時に1号機、2号機、3号機の使用済み燃料プールから、少しでも危険の少ない場所に燃料を移す作業をやり遂げねばならない。しかしすでに述べた様に、1号機、2号機、3号機の使用済み燃料プールは猛烈な汚染現場にあり、作業には多大な被曝が付きまとう。しかしやらざるを得ない。多大な被曝を受けながら、それができて初めて、熔け落ちた炉心をどうするか考えることができるようになる。そこまでにいったい何年かかるのか分からない。

3.困難な熔融炉心の取り出し
東京電力と日本政府は、熔け落ちた炉心は圧力容器の直下、ペデスタルと呼んでいる場所に饅頭のように積もっていると想定している。彼らは事故以降、常に希望的な甘い見通しを立て、失敗を繰り返してきた。熔け落ちた炉心がペデスタルの内部にとどまっているのであれば、まずは、格納容器の漏えいを補修し、格納容器内に水を張り、さらに圧力容器の底を切り開くことで、熔融炉心を上方向に取り出すことができるかもしれない。しかし、熔け落ちた炉心はすでにペデスタル外にも広がる、あるいはペデスタルの底を熔かして地下にめり込んでいる可能性すらある。困難な作業で労働者の被曝を積み重ねても、回収できる熔融炉心はごく一部でしかないと私は思う。

4.石棺化と果て無い戦い
そうであれば、熔融炉心の取り出しは初めから諦め、原子炉建屋全体を石棺化するしか方策はない。ただ、チェルノブイリ原子力発電所では当初作った石棺がぼろぼろになってきて、事故後28年たった今、石棺を覆うさらに巨大な第2石棺を建造中である。福島第一原子力発電所で、仮に石棺を作るにしても、いったい何年後にそれができるか分からない。おそらく、私は死んでいるだろう。それを見ることができる現在の若者も、第2石棺を作る頃には死んでいるだろう。原子力発電所事故とはまことに過酷なものだと、今更ながらに思う。

この講演でのスライドは、以下のPDFでご覧ください。

http://csrp.jp/wp-content/themes/CSRP2014Ver2/slides/Koide_J.pdf

初出:「市民国際科学者会議」2013.11.22の小出裕章特別講演レジュメから、小出さんの許可を得て転載

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2821:141122〕