東北大は東北大学井上前総長の研究不正を許すのか ――同時代の一金属技術者の体験から

 (株)社会評論社刊の東北大学関係4氏による、東北大井上前総長の研究不正を告発する2冊の書*を中心に、関連する参考資料を読んで、井上氏とほぼ同時代に企業の金属研究技術者として知り得た学界・官界・業界の動きも踏まえて、井上氏の不正疑惑の背景にあるものを考えたいと、実は正月以降悪戦苦闘していた。もたもたしているうちに残念ながら、最近(3月17日)最高裁での4氏の上告棄却の判決が下され、井上氏側の勝訴の報を受けてしまった。アモルファス金属バルク(BMG)の世界的権威と言われ、日本を代表する研究者の研究不正の重みは重大で、金属学のメッカとされる東北大のみならず日本の金属関係者への衝撃は大きいと思われる。司法の頂点ですら、こんな理不尽がまかり通る日本の社会構造は、戦後70年を経ても近代民主主義が未だ根付いていないことの証拠である。公正たるべき科学技術研究の先端で、権力者が不正を犯して自らを顧みず、その公権力を使って不正をゴリ押しできる事態は、決して許されてはならない。浅学の我が身を顧みず、敢えて不正者へ叱責の念を伝えたい。
*日野・大村・高橋・松井著「東北大総長おやめください」(2011)社会評論社
日野・大村・高橋・松井編著「研究不正と国立大学法人化の影」(2012)社会評論社

米国コロンビア大学のジョンソン教授のBMG開発一番乗りに対抗して、それを上回るBMGを開発したというのが井上氏の売りである。ところが、その検証ができない現物資料の事故による逸失(不自然で悪質である)と、その後のデータのねつ造の疑いが持ちあがった。時とともに疑惑は深まるばかりである。何故ならこの論文をきっかけに井上氏は世界的研究者の名声を手に入れ、2000編を超える発表論文、世界に誇る金属材料研究所教授・研究所長に続いて、日本を代表する大学:東北大学総長、さらに規則を曲げたユニバシテイプロフェッサーの地位まで手に入れている。その多数の論文内容に不正が見つかっており、二重投稿やデータの使い廻し、データの虚偽記載などの嫌疑、更に核心のBMG試料溶製方法の不確かさなどは、世界的研究者と言うにはあまりにも相応しくない醜聞である。裁判所という法律の世界が不正を否定すれば、不正が不正でないとなる社会が正常な社会の成り立ちを高度に壊していると見える。
この経歴が1993年のBMG研究論文に端を発しているなら、砂上の楼閣の上に楼閣を重ね、その後の展開は架空の成功物語となるのではないのか。一度名声を手にしたら、本人の強い願望意思と行動に基づいて全てが順調に進んだのであろう。210億円を超える巨額の外部研究資金の獲得、当然に多数の優秀なスタッフが集まり、年間200本を超える驚異的発表論文数(1編1編を深耕した内容なら羽田は書けぬ)、評価となる断トツの(自己論文の多い)論文引用数などに現われ、王宮が出来上がったのであろう。途中から不正が発覚したにもかかわらず、総長職を最後まで手放さず全うした。しかし、事実は事実、被嫌疑者は是非とも実証・反論して専門家を納得させてもらいたい。
 お山の大将 (1国1城の主) の集まりである旧来からの国立大学の統治方式(教授会中心)では、日本の大学はグローバル化世界経済の中で日本の知性の救世主役を担えないとみて、政府は国立大学法人化統治(即ち、学長権限を強化して中心に据えトップダウンの統治方式)を導入した。そこに文科省有力官僚(北村副学長)が入り込み総長管理支配を強化した。井上氏はこの国立大学法人化の動きを上手く利用して剛腕で井上総長王国を築き上げたのだろう。基になる研究論文が不正で成り立っているとしたら、正しく砂上の楼閣ではないか。

 鉄鋼業が斜陽となって久しいが、政界・財界・学界では未だ厳然とした権力を維持している。羽田は帝大系冶金学教室の大物教授が定年とともに鉄鋼大手の重役や研究所顧問などに就任した多くの例を知っている。大手会社のシニアクラス研究員が産学連携の名の下に大学等研究機関に有形無形の手土産持参で特任・特別教授として送り込まれ、学界の旧来の子弟関係が会社にもまだ根強く生きている。国立大学の財政基盤は未だ基本的に国家予算、即ち税金にオンブしており、獲得予算で見れば、国立大学の序列は相変わらず昔の序列と殆ど変りなく続いている。科学技術の世界水準の実現と言いながら、理想とする革新的展開を実現できる状況には至っていないと言える。従って、井上氏のような研究不正事件が生まれる素地が日本の科学技術界には十分あると思っている。
 井上氏側の勝訴は、見掛け上最高裁判所の審理能力の不足の結果とも見えるが、素人ながら羽田の見方を述べてみたい。井上氏は明らかに有名協力者を多く集め、人的には有馬元東大総長・文部大臣歴任、三島良直東工大学長(日本金属学会会長)、岸輝雄(独法・物質材料研究機構理事長)などの強力な権威を、組織としては東北大学総体を、さらに科学技術振興機構(JST)、新エネルギー総合技術開発機構(NEDO)や金属材料研究所と一心同体的日本金属学会[井上氏は論文賞を受けている]などを味方につけている。それに対し上記4氏はじめ告発側の関係者は、フォーラムを立ち上げながら、あくまで権威に抗う個人的立場を軸に不正を糺すべく活動されている。どう見ても、国家官僚の立場からは、既に歴史的にも日本を代表する第3の旧帝国大学の東北大学を守るしかないと判断して最高裁を動かしているのではないかと推測する。例として、沖縄密約が存在し、それに携わった元外交官の証言があるにもかかわらず、しらを切り続ける政府が最高裁まで勝訴する事件を思い出すのは考え過ぎであろうか。例え、国家権力に負けようとも正しいと思う主張を貫き通し、歴史に事実を残す立場を選ばれた、教科書裁判で文部省の違法検定に立ち向かい、最後まで戦い抜いた家永教授の行為こそ、歴史に認められるのだ。井上研究不正事件も、あくまでも正しいことは正しいと最後まで主張される告訴側の努力に敬意を表したい。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6009:160405〕