東日本大震災復興構想会議の提言にみる“一億総懺悔論”

~関西から(17)~

 6月25日に出された復興構想会議の提言全文を読んで、私が真っ先に感じたことは、哲学者や博物館長なども起用しただけあって文体は美文調で飾られているが、趣旨や論調は「敗戦(終戦)直後に出された“一億総懺悔論”にそっくり!」というものだった。それも新自由主義的感覚に彩られた現代風の“一億総懺悔論”の展開である。
 
戦後史を振り返ってみると、日本帝国が連合軍に対してボッダム宣言を受託し、無条件降伏をした1945年8月15日から僅か3日後に、皇族であり陸軍大将でもあった東久爾宮稔彦王が終戦処理のため首相に任命された。その東久爾宮首相が9月7日の帝国議会で行った施政方針演説に、当時の軍や政府の終戦処理対応策を象徴する以下のような有名な一節がある。

「敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります。」

すでに敗戦直後から国内治安を掌握する内務省は、新聞やラジオに対して「終戦後も開戦及び戦争責任の追及などは全く不毛で非生産的であるので許さない」との通達を出し、同時並行して各省庁は、占領軍により戦争責任追及の証拠として押収されるのを防ぐため、関係書類の組織的な焼却と廃棄を始めていた。そして国民を“悲惨のどん底”に突き落とした戦争責任を免れるため、軍や政府が組織を挙げて行った大キャンペーンが「一億総懺悔論」だった。

今回、膨大な被災者を“悲惨のどん底”に陥れた東日本大震災の復旧復興のあり方に関して、復興構想会議がいったいどのような考え方を打ち出すか、私はこの間一貫して注視してきた。だが、その基調がこのような「一億総懺悔論」になるとは夢にも思わなかった。そこには「土建国家」のもとで推進されてきた土木事業一辺倒の津波対策への原因究明もなければ、「原子力ムラ」の支配と独占によってもたらされた未曾有の原発事故に対する責任追及のカケラもみられない。一貫して流れているのは、被災者や国民に対する「一億総懺悔論」ともいうべき長々しい精神訓話である。

「一億総懺悔論」を基調とする提言は、およそ次のような構成から成っている。まず伏線として、冒頭の『復興構想7原則』において、「失われたおびただしい『いのち』への追悼と鎮魂」(原則1)、「地域・コミュニティ主体の復興」(原則2)、「地域社会の強い絆」(原則4)、「国民全体の連帯と分かち合い」(原則7)が謳われる。つまり「今を生きる私たち全てがこの大災害を自らのことと受け止め、国民全体の連帯と分かち合いによって復興を推進する」という「一億総国民」への心情的なアピールがまず打ち出される。東久爾宮風に直載にいえば、「戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各々其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります」というわけだ。

次に『前文』においては、「これ程大きな災害を目の当りにして、何をどうしたらよいのか。われわれは息をひそめて立ちつくすしかない。問題の広がりは余りに大きく、時に絶望的にさえなる。その時、程度の差こそあれ、未曾有の震災体験を通じて改めて認識し直したことは何か、われわれはこの身近な体験から解法にむかうしかないことに気づくことだ。われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳をすませてみよう」と、一億国民の総反省(総懺悔)を提起する。

これは、東久爾演説の「敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして」との箇所に相応するといえる。要するに、津波災害や原発事故の原因究明や責任追及は一切棚に上げ、それを被災者や国民の個人的な「震災体験」にすり替え、国民一人ひとりが悲惨な事態にどう耐えるか、どう支え合うかという個人的な心の持ち方(内なる声)へと誘導するのである。

また「パニックに陥ることなく黙々とコトに処する被災した人々の姿からは、色味はどうであれ、深い悲しみの色がにじみ出ていた。その彼等のよき振舞いを、国際社会は驚きと賛美の声をもって受けとめた」と東北地方の(物言わぬ)被災者を賞賛し、「つなぎあい、支えあうことの連鎖から、『希望』はさらに大きく人々の心のなかに育まれていく。そもそも、自衛隊をはじめとする全国から集まった人々の献身的な救助活動は、まさにつなぎあい、支えあうことのみごとなまでの実践に他ならなかった。そこで引き続き東北の復興を国民全体で支えることにより、日本再生の『希望』は一段と身近なものへと膨らんでいく。そしてその『希望』を通じて、人と人をつなぐ『共生』が育まれる」と被災者や国民の支え合いを鼓舞する。

そして最後の『結び』においては、「人と人とを『つなぐ』ことで、復興過程は満たされていく。しかし復興は一様に進むわけではない。人の人生と同じく山あり谷ありである。(略)復興が苦しいのもまた事実だ。耐え忍んでこそと思うものの、つい『公助』や『共助』に頼りがちの気持が生ずる。しかし、恃むところは自分自身との『自助』の精神に立って、敢然として復興への道を歩むなかで『希望』の光が再び見えてくる」と公助(国家支援)に頼らない自立自助(孤立無援)の精神を喚起する。

しかしその一方、自立自助の原則が通じない原発事故については、「フクシマ再生の槌音は、いくら耳をすませても聞こえてはこない。その地はまだ色も香もない恐怖の君臨に委ねられている。だから、静かな怒り以上のものにはなりえない。フクシマの再生を世界の人々とともに祝(ことほ)ぐことのできる日が少しでも早く来たらんことを、望んでやまない。以上をもって、われわれの『提言』は終わる」と、ただ神頼みするのみである。まさに国家や企業の責任など「どこ吹く風」と言わんばかりの見事な新自由主義的作文そのものだ。

詳細な分析は別の機会に譲るが、提言の基調は「実はどの切り口をとって見ても、被災地への具体的処方箋の背景には、日本が「戦後」ずっと未解決のまま抱え込んできた問題が透けて見える。その上、大自然の脅威と人類の驕りの前に、現代文明の脆弱性が一挙に露呈してしまった事実に思いがいたる。われわれの文明の性格そのものが問われているのではないか」(前文)とあるように、まるで戦後政治や企業社会の責任があたかも一般的な「人類の驕り」や「現代文明の脆弱性」であるかのようにすり替えられ、被災者や国民一般が「連帯」「分かち合い」「絆」という名目で“共同責任”を負わされているような文脈で統一されている。

『原子力災害の復興に向けて』の章でも、「人々は原子力については、ことさら『安全』神話を聞かされるなかで、疑う声もかき消されがちであった。原発事故を起こりえないものとした考え方は、その意味では、地震や津波災害の場合よりも、何か外の力が加わることによっていっそう閉ざされた構造になっていたのだ。今、人々は進行中で収束をとげぬ原発事故に、どう対処すべきか、思いあぐねている」などと、まるで他人事のような書きぶりだ。復興構想会議に参加したメンバーのなかには、被災者の立場をわきまえた委員もいるのではないかと微かに期待したが、それは私の悲しい誤解であり、ここでは「想定外」のことは起こらなかった。(つづく)

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