11年6月30日の拙稿「東電株主総会は茶番か」にはアクセス、拍手とも多く読者の関心の大きさを示していると感じた。脱原発の規定を定款に入れよという株主提案に大株主が簡単に賛成するとは初めから思わなかった。しかし逆にこんなに反対が多いとも思わなかった。これが私の正直な実感である。そこで二つのことを考えた。
《社長は知っていたのか》
一つは、脱原発に反対投票をした大株主はどういう過程を経てこの決定をしたかである。生保、信託、投資顧問、投信など「他人のカネを代理して運用する」機関投資家が存在する。銀行、事業会社などの「自分のカネを自分で運用する」法人が存在する。これらの大口株主は賛否の判断に際して「取締役会」「常務会」「経営会議」などの上級レベルの会議で討議したのであろうか。財務担当役員レベルで決定したのであろうか。それとも課長や主任といった中堅、下位の管理職が決定したのであろうか。あるいは担当者がルーティンワークとして決定したのであろうか。
その上、幾重にも張り巡らされている筈の企業内部の監査や検査の体制はどう関わったのか。関わらなかったのか。要するに企業が株主として行動するときの社内ルールはどうなっているのかということである。
企業のサイトや会社案内には「社会的責任」や「コンプライアンス」の重視を麗々しく掲げている。この観点からみて各社の態度決定は正当化されるのか。
このような疑問を一人で考えても一市民には実態は何も分からない。
《メディアはこの視点で追及せよ》
二つは、従って、マスメディアは関心をもっているかということである。
私の知る限りメディアがこの観点で問題を取り上げたことはない。メディアは東電ほかの株主総会の報道をたしかにした。しかしそこには「怒号と喧噪」の中で、経営者が深々と頭を下げた、出席した株主は納得がいかない顔をしていた、といった予定原稿的なことしか書いていない。ほとんど情報にも値しないものである。
日本のメディアが本気ならば、私が提起した上記の視点で、悉皆的にアンケートをしたり社長インタビューをしてもらいたい。さらには外国の株主総会や投資家担当Investor Relations部署を取材して、株主提案─とりわけ会社経営に不都合なもの─の運命についての歴史を調べてもらいたい。私の記憶は70年代に遡る。アパルトヘイトの南ア連邦への融資を停止せよ、公害企業への投資を止めよ、などなどの株主提案を米大企業の株主総会書類で読んだ。こんな「正論」を提案する勇気にも、取り上げる企業の態度にも、この種の制度を許す米国の余裕にも感心したものである。それを私は思い出したのである。
《あらゆる関係者が発言せよ》
メディアか専門の研究者でなければ書けない主題である。これぞメディアの社会的責任ではないのか。それに研究者も積極的に発言して欲しいと思う。
私の書き振りは大袈裟であろうか。東電原発の失敗は、企業経営に関するあらゆる角度からの分析と検証が必要だと思うから、私はこのように愚直に書いているのである。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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