林完枝先生を追悼する

 ジェームズ・ジョイスがご専門の英文学者で、明治学院大学で長年教鞭を取られていた林完枝先生が、3月21日にお亡くなりになったというメールをご家族の方からいただいた。9月の初めに子安宣邦先生の『天皇論』の書評をお送りし、いつもならば、数日でお返事を書いてくださるのが、二週間以上お返事がなく、少し気になってはいたが、3月にお亡くなりになっていたとは。

 私は、林先生とは宇波彰先生が明治学院大学で月一回行われていた記号哲学講義で初めてお会いした。この講義だけではなく、宇波先生と林先生、その他の何人かの方と、東京、神奈川、埼玉の展覧会によく行き、展覧会に行った後、近くの店で食事をしたり、コーヒーを飲みながら、様々な話をした。林先生が宇波先生と楽しそうに、文学や美術の話をされていた姿は今もはっきりと思い起こすことができる。

 宇波先生が2020年にご逝去された以降も、宇波彰現代哲学研究所のブログに載せ、ちきゅう座に転載した私の拙論を林先生にお送りした。先生は、毎回、拙論に対して丁寧なコメントをくださった。しばらくの間、仕事の関係で拙論をなかなか書くことができずにいたが、数カ月ぶりに、上記したように書評をお送りしたが、林先生ではなく、妹さんから返信があり、林先生の訃報を知った。

 林先生は十数年前、癌の手術をされていたが、手術後に、余命10年と宣告されていたと、私は宇波先生から聞いていた。宇波先生は林先生の病気のことを気にされていて、手紙やメールで何度も励まされていた。林先生と最後にお会いしたのも宇波先生が逝去された後、東村山で行われたお別れ会だった。

 私は林先生の遺作となった『あらぬ年、あらぬ月』の書評を2月の半ばに書いたが、その一月ちょっと後にお亡くなりになっていたのだ。死の臭いが至る所に漂っていた『あらぬ年、あらぬ月』の中に、「水な月、神な月」という詩には、「今が昔か 昔が今か 月は現れ隠れる / あらぬ年あらぬ月 あらたに創らん」という詩句があった。そこに私は未来投企と希望とを見いだしたように思えたが、そうはならなかった。

 生前、林先生から最後にいただいた私の書評に対するメールには、私が引用したエマヌエーレ・コッチャの『メタモルフォーゼの哲学』の中の言葉について、「「生とはガイアという並外れて巨大なイモムシにとってのチョウ」というメタファー、メタモルフォーゼに感銘しました」と書かれていた。林先生の前作である『青いと惑い』には死への不安と共に死への覚悟が感じられたが、『あらぬ年、あらぬ月』を発刊されたころから再生についても考えられていたのかもしれない。

 再生やメタモルフォーズが実際に存在するのかどうかは判らない。しかしながら、林先生が残された小説や詩、論文といったテクストは、それらのテクストを読む度に、読者を林先生との対話に導いてくれる。それは一つの再生、あるいは。メタモルフォーズの物語であると言えるのではないだろうか。

 私の詰まらない意見をこれ以上語るのはよそう。残されたテクストを前にして、今はただ林先生のご冥福を祈ろうと思う。

初出:宇波現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
宇波彰現代哲学研究所 林完枝先生を追悼する (fc2.com)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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