今夏も「広島原爆記念日」の8月6日を中心に広島市で、反核平和団体による各種催し、広島市主催の平和記念式典が行われた。「8・6」におけるこれまでの各種催しや記念式典は「核兵器廃絶」と「恒久平和」の実現を内外に訴えるものが大半だったが、今夏は3月11日に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、「原発に依存しない世界」の実現を訴える声がこれらの催しを席巻した。日本の反核平和運動では今後、原子力の軍事利用に反対する「核兵器廃絶」一本やりの運動から、原子力の平和利用(原発)にも反対する「核廃絶」に向けた運動が強まりそうだ。
【今夏も原爆ドームを目指して全国から多くの人が集まってきた】
8月4日から6日にかけて広島市内で行われた民間団体による各種催しや広島市主催の平和記念式典を可能な限り見て回ったが、前年までと決定的に違っいたのは、東電福島第一原発の事故が大きく影を落としていたことだった。福島原発事故問題をめぐる議論で終始したところもあれば、核兵器廃絶問題を前面に押し出し、福島原発事故問題にはかすかに触れるに過ぎないというところもあって、いわば温度差が感じられたが、原発問題に全然言及しないというところはなかった。「フクシマ」が今や日本国民にとっていかに喫緊の死活的問題になっているかがこのことからもうかがえた。
しかも、各種の催しで、参加者の心を最も強くとらえたのは、福島原発事故に関する現地報告や被災者の訴えだった。
5日開かれた原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の国際会議では、原利正・福島県平和フォーラム事務局長が県民の放射能汚染について話し始めたが、「今、多くの県民がこのまま福島に住み続けていいのだろうかと悩んでいます。特に小さな子どもたちをもつ家庭の不安は大変大きなものです。危険性があるならそれを取り除くのが国の責任であるはずですが、国は動こうとしません。しかたなく県民は自らの努力で対応している。しかし、それには限度があります。今回の事態について子どもたちには何の責任もありません。病気になってからでは遅いのです。子どもたちを見捨てるような国でいいのでしょうか。今なら救えます。それには国を動かす必要があります」と話したところで涙声となり絶句。しばらく壇上に立ちつくした後、おえつしつつ「私たちは必ず復興させ、幸せの地である福島を取り戻す決意です。子どもたちの命を守るためにも精一杯取り組みたいと思います。みなさんのご支援をお願いしたい」と結んだ。海外代表の間からは「改めて福島の惨状を知った」との声が上がった。
福島第一原発以外の原発の危険性を訴える報告も注目を集めた。
5日開かれた、市民団体による実行委員会主催の「8・6ヒロシマ平和のつどい2011」では、佐賀県の九州電力玄海原発に対しMOX燃料使用差し止めと再稼働差し止めの訴訟を起こしている「玄海原発プルサーマル裁判の会代表」の石丸初美さん(主婦)が、裁判の経過を報告したが、途中から涙声になり「プルサーマルが危険であることは世界中の学者が言っている。プルサーマルによって生まれる放射能のゴミはいつまでたっても安全にならない。その間に権力者は死に、子どもたちが残される。いたたまれなくなって主婦たちが差し止め訴訟を起こした。人間の命を奪うことでは原発と原子爆弾は同じなんだと学んだ。生命よりも電気の方が大切なのか。私たちの運動は平成の命乞い運動なんです」と訴え、参加者から共感の拍手を浴びた。
さて、反核平和団体の大会や集会は、どんな方向を打ち出したか。
これまで「脱原発」を掲げてきた原水禁は、「『人類は核と共存できない』という原水禁初代議長の訴えは、福島原発事故の発生により、先見性が示された。それは、私たちの運動の原点となるものです」と、これまでの運動に自信を深めたようだ。
このため、被爆66周年原水禁世界大会・福島大会で採択したヒロシマアピールでは、まず第一に「再生可能なエネルギーによる脱原発社会をめざそう」とうたい、次いで「非核三原則を明記した非核法を一日も早く制定し、東北アジアの非核地帯化を実現しよう」「臨界前核実験などすべての核実験を完全になくそう」「被爆者援護法に国家補償を明記させ、世界のヒバクシャと連帯しよう」の3点を掲げている。
原水爆禁止日本協議会(原水協)は3日から5日まで開いた原水禁2011世界大会国際会議で宣言を採択したが、そこでは「『核兵器のない世界』をどう実現するかが、焦点になりつつある」とし、核保有国をはじめすべての国の政府に、たたちに核兵器禁止条約の交渉するよう求めている。宣言はまた、各国政府に「『核抑止』政策からの決別」「核兵器の使用禁止、外国に配備された核兵器の撤去、他国への核兵器の持ち込み・配備の禁止、非核地帯の創設と拡大」を、日本政府には「非核三原則の厳守」「米国の『核の傘』からの離脱」などを求めている。
これまで原発に対しては「容認」の立場をとってきた原水協が今大会でどんな方針を出すかが注目されていたが、国際会議の宣言には「(福島第1原発の)事故は、原子力の『安全神話』の欺瞞と原発の危険性を明らかにした。持続可能な開発のために必要なエネルギーを、原発に頼らず、将来の世代に危険を残すことなく、調達することは可能である。日本をはじめ世界でひろがる原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を要求する運動との連帯を発展させよう」と書き込まれた。
原水協が原発に対する方針を転換させたとみていいだろう。
【原水禁の被爆66周年世界大会国際会議】
一方で、原発問題をめぐる団体間の亀裂も露わになった。
4日に開かれた連合、原水禁、核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)の3団体共催の「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会」で掲げられた8本の統一スローガンや、ヒロシマからの平和アピール案には原発問題への言及はいっさいなかった。原発問題をめぐってては、原水禁は「脱原発」、連合は「凍結」、核禁会議は「推進」と3団体の立場がそれぞれ異なるからだ。
このため、大会では、原水禁の川野浩一議長が開会あいさつで「原発についてはすでに多くの国民が疑問の声を挙げている。われわれとしても、この問題に向き合わなくてはならない。原発、エネルギー政策をどうするか、われわれの使命感が問われている」と述べたが、主催者を代表してあいさつした南雲弘行・連合事務局長は「今回の原発事故で、これまで安全といわれてきた原発への信頼は失墜した。原子力を含むエネルギー政策のあり方が根本的に問われている」と述べるにとどまった。
こうした不協和音を背に、海外からの来賓を代表して登壇した韓国のNGO韓国環境財団のチェ・ヨル理事長は「原子力は原爆と原発という二つの顔をもっている。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ、フクシマ、フクシマ!」と訴えた。
生協の全国組織、日本生活協同連合会も5日、全国各地の生協の代表を集めて恒例の「ヒロシマ虹のひろば」を開いた。開催目的には「継承と創造」が掲げられ、被爆体験の継承や核兵器廃絶に向けた取り組みがうたわれていたが、原発問題への言及はなかった。生協組合員の間で原発をめぐってさまざまな意見があることを考慮したものと思われる。
ただ、あいさつに立った浅田克己会長は、その最後で「日本生協連は、今回の原発事故を契機として、生協としての長期的なエネルギー政策を確立するための検討を始めた」と述べた。
ところで、6日に行われた広島市主催の平和記念式典では、恒例の平和宣言が松井一實市長によって読み上げられたが、そこには「福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、『核と人類は共存できない』との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を講じていくべきです」とあった。
これに対し、菅直人首相は「エネルギーについても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本的対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指します」と応じた。
広島市の平和宣言が政府にエネルギー政策の見直しを求めたのも初めてなら、内閣総理大臣が「脱原発依存」を表明したのも初めてだった。
広島は被爆66年にして変容した。「核兵器廃絶のためのシンボル」から「核廃絶のためのシンボル」へ。それが、2011年の夏の広島についての私の印象である。言い換えるならば、広島は核文明そのものが人類にとって必要なのかどうかを根本から問い直す道を歩み始めた言えるのではないか。
【「8・6ヒロシマ平和のつどい2011」には長崎の高校生も参加した】
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