(その2)73回目の原爆忌に寄せて(第2弾)
原発を「核の平和利用」と考えるのはやめましょう ―核兵器禁止運動は「原発廃絶」を掲げるべきであるー
- 1 原発は「核の平和利用」ではない
(1)原発は核兵器の補完物として登場した
核兵器製造にはウラン濃縮が基本だ。プルトニウム製造にもウラン濃縮が基本なのだ。核戦略を維持するためにはウラン濃縮工場を経常的に稼働させ続けなければならない。兵器だけの目的では平和時には過剰生産に陥る。しかしウラン濃縮工場をいったん停止すならば、立ち上げて通常運転に快復するまでに相当の時間が必要だ。工場を止めたのではいざ核戦争となった時に間尺に合わない。ウラン濃縮工場を定常的に運転するのには財政負担も大きく、それを解決しようとする核戦略が「核の平和利用」であった。原発の推進はその後の核支配体制の基本となったのである(NPTなど)。
(2)核独占・核不拡散体制は原発推進体制
核戦争が全人類に惨害をもたらすものであり、したがって、このような戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払い、世界及び人民の安全を保障するための措置をとることが必要である。そこで昨年までの国際的枠組みであったNPTの条文構造を見ていくと、1番に核兵器の不拡散、2番に原子力平和利用、であり、核兵器の削減、はやっと3番目に出てくる。「原子力発電」は「核兵器不拡散」の義務付けとセットになる位置づけである。「核の平和利用」という建前のペテン性が核戦略上ではっきりしている。ここでは放射線被曝防止の観点は全く排除されている。
<核拡散防止条約>
核保有国が米ロ英仏中以外に増えることを防止する条約。1963年国連で採択、70年に発効した。現在190ヵ国が加盟。
核不拡散条約の構成
<1>核拡散を抑止(第1条[核兵器国の不拡散義務]、2条[非核兵器国の拡散回避義務])
第三条 [転用防止のための保障措置]国際原子力機関
<2>原子力平和利用原発・核爆発(第4条[原子力平和利用の権利]第5条[非核兵器国への核爆発の平和的応用の利益の提供])
①原子力の研究、生産及び利用⇒奪い得ない権利
②設備資材、科学的技術的情報⇒最大限度に交換
③非核兵器国の応用の発展に貢献
<3>核兵器の削減(第6条[核軍縮交渉])第七条 [地域的非核化条約]
(3)原発は潜在的核兵器
自民党政治家の原発と核兵器に対する認識が所々でほころび出ている。原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての利用もともに可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意思の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることができる。(岸信介「岸信介回顧録」廣済堂出版83年)
11年10月に、石破茂自民党政調会長(当時)が以下のように説明する。
原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば、一定期間のうちに作ることができるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。(中略)核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数カ月から1年といった比較的短期間で核を持ちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この2つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。(「SAPIO」2011年10月5日号)
(4)原発事故のどさくさに紛れた「原子力基本法」改正<市民の知らないうちに原子力基本法が改定されていた>2012年6月20日
元の原子力基本法第2条:(基本方針)
第2条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
ところが、福島第1原発事故のどさくさに紛れ、12年6月20日に、原子力基本法の改定が行われ、第2条第2項として安全保障の文言が付け加えられ、以下のように改定された。
(基本方針)
第二条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。
(民主、自民、公明の提案による)
原子力は「我が国の安全保障に資することを目的として」行うことにされた。とんでもないことである。提案した諸党の「我が国の安全保障」が国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全とは別記して主張しなけらばならない概念であり、事故後の原発廃絶を阻止する必要性をこの条文として追加したものと理解しなければならない。
- 2 核兵器禁止条約と原発
昨年国連で採択された「核兵器禁止条約 前文」に残念な表記がある。本条約は締約諸国が一切の差別なく平和目的での核エネルギーの研究と生産、使用を進めるという譲れない権利に悪影響を及ぼすとは解釈されないことを強調。
核兵器禁止条約の前文には上記の文言が含まれる。「核不拡散条約」の支配体制をそのまま維持するもので、目的を核兵器に絞るために「放射能から人類を守る」という観点を犠牲にしたものではないか? 妥協の産物としか言いようがない。IAEA、UNSCEAR, ICRPなどの情報操作がこのような前文作成の土台になっている。
- 3 科学の原理からの誠実な警告を無視する体制はファシズム―温泉管理はできてもマグマ管理はできないー
我々は、核の研究はやむ得ないものと受け止めるにしても、少なくとも商業原発を「核の平和利用」として位置付けることを廃止すべきである。多くの良心的市民が学問的意味合いで「核の研究」は排除してはならないと思っている。客観的事物である「諸対象」に対して探求を行うことは排除してはならないだろう。
しかし、自発的原子核崩壊を制御することは現在の科学力では全くできない。これは「核分裂の原子炉の管理が破たんした時、制御不能となる必然性を持つ。フェイルフリーが成り立たないのである。いわば、火山の周辺現象として温泉は利用できても、マグマを制御できないことと同じである。自然現象とはやむを得ず共存しなけらばならないのが人類の宿命だ。しかしその恐ろしい破綻をきたすシステム「原発」を人工的に作り出して自ら危険を掘り起こすのは御免蒙る。絶対避けるべきだ。
この認識は既に科学の原理からの大きな警告として発せられ続けている。しかし国家戦略と功利主義で科学の誠実な警告は無視続けられている。ICRP(国際放射線防護委員会)曰く「リスクより公益が大きいときには原発は許される」。すなわち原発が日常的に殺人を犯しても発電という公益の方が大きいならば殺人が許される(ICRP防護3原則の第1)と開き直るのである。
人命を人格として大切にしあうことが民主主義の根幹である。全ての市民に人格権があり、大切にしあうのが民主主義だ。私たちは「すべての人が大切に扱われる社会」を目指している。原発産業はこの民主主義を根本から平然と覆す。その挑発的宣言がICRP防護3原則なのだ。
科学の原理からの警告を無視続ける商業原発は平和利用ではありえない。我が国においても、この警告と関連して「原子力研究・開発の3原則」なるものが発せられたが、3原則など初めから適用不可であった。学問の自由は国家権力と原発産業の資金力により完全に封殺され、あの恐ろしい集団「原子力ムラ」が構成され、「安全神話」がまかり通った。事故後7年の現在「放射能安全神話」が国家的大キャンペーンで市民の人格権を奪う。原子力分野におけるファシズムである。
原発は核の平和利用ではない。これを命を大切にする全ての市民の共通理解として広めるべきである。原水爆禁止運動目標に、原子力発電の廃止を人類共通の目標として掲げるべきである。
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(以上、その2 でした)
(その3)人権と福島原発事故 ―民主主義とファシズムのはざま―
福島原発事故後たくさんの被害が現れています。
今回は、あたりまえのことですが、改めて人権を意識した生き方、主張を訴えたい思います。
論に入る前に私の主張に対する誤解が現れているようですので、是非誤解を解きたいと願って、お願いしたいことがあります。それは第50号で原水爆禁止運動の幹部が核に関する虚偽の情報操作の「核戦争」に協力していることを懸念することを記しましたが、それはあくまで指導的立場にいる幹部のことを記述しています。決して「日本原水協」そのものを論じているのではございません。誤解を回避するためにこの幹部に付随して表現している「原水協」を「原水禁運動」に改めてください。誤解を招く表現をしたことをお詫びいたします。(矢ヶ﨑克馬)
- 1 歴史を繰り返させて良いものだろうか?
(1)ファーレル准将の言明
原爆投下直後1945年9月2日の日本の降伏文書調印を取材に来た新聞記者が、アメリカとイギリスでヒロシマを報道し「まったく傷を受けなかったものが1日100人の割合で死んでいる」等の報道をした。それを否定するために、6日、マンハッタン計画副官ファーレル准将が東京入りして「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能で苦しんでいる者は皆無だ」と宣言し、その後は占領軍等によりファーレル言明に従う「調査」「処理」がなされ、「公式見解」が作られた。
ファーレルの政治的言及はずっと日米の公式見解とされてきた。1968年、日米両国政府が国連に共同提出した広島・長埼原爆の医学的被害報告のなかには「原爆被害者は死ぬべきものはすべて死亡し、現在、病人は一人もいない」と書かれていた。1975年末に原水爆禁止運動として第一回国連要請団が国連に要請書を提出しようとした際には上記報告書を理由に事務総長はそれを受理しなかったことが報告されている(故肥田俊太郎医師)。この被害事実の封じ込め、すなわち「知られざる核戦争」はその後の人道を求める巨大な声に押されてほころびが出るに至っている。国連核兵器禁止条約が圧倒的な多数で採択されるに至り「核兵器は人道に反する禁止すべき兵器」とされたのである。
(2)アベ首相の言明
東京オリンピック招致決定直後、アベ首相は記者会見した。原発事故に関して、「健康に対する問題は、今までも、現在も、これからも全くないということははっきりと申し上げておきたいと思います。 さらに、完全に問題ないものとする抜本解決に向けたプログラムをすでに政府は決定し、すでに着手しています。私が、責任をもって、実行して参ります。」と言明。
アベ言明の実施部隊は誰なのか? 今回の執行部隊は占領軍ではない。日本、官民挙げて(政府、行政、司法、地方自治体、多くの市民が)首相言明どおりの事故処理の「抜本解決」を執行しようとしているのである。もちろん背後には国際原子力機関、国際放射線防護委員会、原子放射線の影響に関する国連科学委員会が大本営を構成する。官庁あげて(内閣府他11省庁) 「原子力災害による風評被害を含む影響への対策タスクフォース」を実施し、環境庁「 風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」や「放射線のホント」は「福一事故後に放射線健康被害は一切ない」という大うそと市民への被曝強制である「食べて応援」をキャンペーンしている。
- 2 情報操作の「知られざる核戦争」――福一事故後7年間
(1)放射能は言うな、健康被害は一切無い
政府が認めるだけでも広島原爆の168発分の放射能が放出しています(きちんと見れば400~500倍とされる)。健康被害が無いはずがないではないか? 一口で言えば、放射能を客観的に論議しようとすること自体が「風評である」とされ、放射線の健康への影響はないと思い込むことが「幸せを作る」のだという心の問題に置き換えられる。根拠なき精神論は猛威を振るう。これらの情報操作(真実でない情報を伝える)キャンペーンに日本の原水禁運動を代表するような幹部が関与していることは日本の核戦争反対運動の一部に人格権を守る規範が無いのではないのかと疑いを挟まざるを得ない。
(2)首相の「抜本解決」の内容はどうなのか。
(健康被害)
「健康被害が無い」ことは最大の健康被害が表面化している小児甲状腺がんを放射線と関係づけさせないことにより、防護線が張られている。患者発生率が事故原発からの距離に反比例すること、土壌汚染の強度に比例すること等を挙げただけでも、事故との関わりは明白だ。その他がんの男女発生率、疫学統計分析等々数々の証拠がある。政府の認知は一貫して「事故との関係は見出されない」として、健康被害を封じ込める。
(風評)
「風評」は、現実の被害を否定するために使われている用語だ。被曝に関する科学的な認識が遠ざけられる。現実の被害の事実を心の問題にすり替える日本住民に対する思想統制ともいえる象徴的用語だ(現に放射能は“禁句”とされる状況が報告されている)。それを隠そうとするがゆえに、「放射能に健康被害は無い」「健康被害が無いと思うことが幸せになる条件」などと精神主義を吹聴するのである。
(放射能環境下の日本)
甲状腺がんと診断され手術を受けた福島県内の患者84人のうち約1割の8人ががんを再発し再手術を受けた。老衰やアルツハイマーによる死亡率が事故後急増している。赤ちゃんの周産期死亡率の急増や、心筋梗塞などの増加が確認されている。お葬式が多くなったという新聞記事も現れた。今もなお放射線被ばくは継続する。政府の「健康被害は一切ない」はファシズムだ。
(事実を棄民の政策内容で置き換える)
「避難者は既にいません」は「避難者支援の予算はゼロです」に置き換えられる。住宅支援等を停止することにより帰還が強制され、「復興」が全面的に展開する強制被曝が進む。
(まだ自立できないの?)
政府や福島県のご意向の伝達機関となっている強制帰還を支える民間支援団体のキャンペーンは「もう7年もなるのに自立もできないで『避難』支援を訴えるのは見苦しい。自立できないのなら帰りなさい」と言う。被災者は「モラル」上でも責め苦を負う。本音で話すことさえできなくなっているのである。
(郷土愛が食い物に)
市民の純朴な郷土愛「先祖伝来の田畑を守りたい」が政府・国際ロビーの最安上りの棄民政策「避難させるな」に形の上で完全一致し、完璧な餌食となっている。数々の悲劇の「絆」が生まれているのである。大切な先祖伝来の土地を守ることと安全な食材を供給するという農民の天命は大きな矛盾を抱える。その矛盾を乗り越える「住民の戦略」を持たなければならない。
(直面する放射能問題)
土壌が高汚染されているところに住み続けることで日本は特殊な放射能問題を抱え込んだ。一つは大量な高汚染の「除染土壌」を抱え込んだことともう一つは汚染食料を生産し続けて内部被曝を拡大させたことだ。お年寄りに被害が顕著に表れるが、あらゆる市民が対象になる病気患者の増加、死者の増加がその結果を物語る。その現実を覆い隠すために嘘のキャンペーン「健康被害は無い」を大宣伝する。復興庁のウソの放射能教育「放射線のホント」などの国際的に確認されている最低限の放射能危害さえ日本では切り捨てられ、嘘の教育を子供たちに行う。汚染土壌を公共事業で使わせる云々。全国に放射能汚染を広がらせて、全国住民に被曝させて安上りに切り抜けろ!!! これで良いだろうか?
(すべての人の命を守る政策)
政策の転換が必要だ。内部被曝を避けて命を守ろうとする市民と福島県内の農漁民は敵ではない。いまだに汚染されている土壌に生きること、汚染されている食材を食べることは「安全」ではない。汚染は微量になった食品も多くあるが、逆に食物連鎖で濃縮された汚染が目立つようにもなっている。汚染地内外の命を守ることは日本市民全員の課題だ。アベ政治の「健康被害は一切ない」の住民切り捨て(棄民)を前提にしたキャンペーンにより、「食べて応援」、「風評被害払拭」、「来てください」が進む。市民はそれに従うのではなく、命を守る基本的で当たり前の「予防医学的」住民保護を要求しなければなりません。
(汚染地域もそうでない地域もともに人権をたたかいましょう)
被曝を避けようと当たり前のことを主張すると、得てして汚染地内の人を侮辱すると捉えられがちな世の中になってしまった。「福島県民の敵」とも発せられる。そうではない。断固としてそうではない。一緒に生き延びましょう! 大切な先祖伝来の土地を守ることと安全な食材を供給するという農民の天命をどうしたら全うできるか? セシウム汚染は孫の代でも今の10分の1程度です。
農漁民の天命を全うする、大きな矛盾を乗り越える「住民の戦略」を持つたたかいをしよう。「日本住民全てに被曝を迫る」戦略ではなく、人権の主張するところの人道に立つ戦略に切り替えましょう。
(被曝を避けるのが生きる権利)
内部被曝を避けるためには放射能汚染食材を避けることが第一だ。市民に食材を選ぶ権利を保障すべきである。しかし住民の権利は住民の毎日頑張り、毎日の実践が無いと権利は絵に描いた餅となる。原水爆を禁止する行動はたくさんの人が手を携えて、みんなでできる。しかし内部被曝を避けるのは毎食毎食の食材を選ぶことから始めなければならない。一人一人の生きる行動自体がたたかいなのである。公的支援がなければとても難しい。しかし誰もが心掛けなければ死者が増える。
(命を守る声を上げよう)
汚染区域内にいる人もその権利を主張してください。自らの命を自ら守ってください。政府や東電の出す放射能データを見てさえ、まだまだ高汚染の土地が広がる。避難者を帰還させ、命を無視した「復興」に勤しむように強制する政策を、避難者を支援し、福島県内の居住者に内部被曝を避ける支援をし、命を守る政策に変えさせようではありませんか。チェルノブイリ周辺国では今も継続させている(主として子供を対象とする)1か月規模の「保養」を政府の責任で行うこと。移住したいと思う市民を支援すること。今からでも遅くは無い。
(命を人権の下に守るたたかいを)
作物が低価格であることが「風評被害」であるならば、政府に全部買い取らせて市場に出すことをやめるようにしようではないか! 決して「放射能を語らないことが生活を安定させる」のではない。住民を守らない政府の都合を最優先する安上り支配を住民側からサポートすることはしないようにしよう。
(3)食品汚染の現状
食品に関する現状を確認しますが、厚労省による食品汚染マップを次の図に示す(2017年上半期、厚労省調査、ホワイトフード地図化)。
https://news.whitefood.co.jp/news/foodmap/
東日本の太平洋側、内陸部に食材汚染が多く認められる。内部被曝を避けるためには放射能汚染食材を避けることが第一だ。政府は全市民に食材を選ぶ権利を保障せよ。同時に東北地方で生きる人々の生きる権利も保証せねばならない。冷酷な命の切り捨ての上に立つ「復興」であってはならない。それ等を含む共通の人権保障が日本市民の“人道”であるのだ。放射能に「これくらいまでは大丈夫」という目安は無い。現に食糧安全基準などの虚偽キャンペーンの下でたくさんに人が寿命を縮め、多量の患者さんが作られ、健康被害が生じている。「危険だから可能な限り避けなければなりません」が放射線から命を守る合言葉だ。これを実施するためには毎日食べる食材選びを丁寧にしなければならない。そうしないと命が守られないのだ。
しかし高汚染地帯の人はどうしたら良いのだろう。行政のきめ細かい支援が無いととてもやっていけない。非汚染地帯の人は比較的楽だ。食材選びはそんなに困難ではない。しかしそんなことを大っぴらにすれば、「非国民!」のそしりを受ける。この命の緊急事態を切り抜けるために、政府は180度逆の立場で棄民を行う。「健康被害は現れていない」「食べて応援」「風評被害撲滅」「来てください」と日本中の市民を被爆させる「対策」を行っている。もっとも安上りに切り抜けようとしている。これはすべて少子高齢化・人口減少といわれる社会に拍車をかけている。
- 3 戦争とは:人格が武器そのものに変換されるー心も体もー
(1)民主主義社会市民の市民性(人格)の機能要素はどのようなものか?
①事実をありのままに見ることができ、
②科学的・道義的(民主主義的)基盤で考え判断することができ、
③自らの意志で行動できること。これが市民性を表す人格要素だ
この市民性が民主主義を支え持つ個人のキャラクターだ。得てして、市民性を人格から排除するために「道徳教育」、「しつけ教育」などが猛威を振るう。軍事力主義の社会には、「右向け、右!」と言われたときに「なんで右を向かなきゃいけないの?」と疑問を呈するような輩は「不必要」なのだ。昔は「非国民」と言われた。しかし今も、巨大プロパガンダは「右向け、右!」に非常に有効である。「命は鴻毛より軽し」。
「放射能の被害は無い」キャンペーンは巨大な利益を「核兵器推進勢力」に与える。原爆投下以来「知られざる核戦争」は全面的に展開された。トランプ大統領の核戦略見直し「核抑止力強化」の精神的抵抗・障壁を無くするものだ。日本政府はもろ手を挙げて「実戦で使える小型核兵器の抑止力」に賛成している。なんていうことか!唯一の戦争核被害国というのに、市民の受けた苦しみを足蹴にする。日本を「戦争をする国」に変えさせてはならない。戦争をする国造りはひとを「人格」から「武器そのもの」に変換する。命を大切にする民主主義の基本が放棄される。アベ首相が進めようとする軍事力主義は人格を破壊する。
「お国のため」の「高貴な日本型精神」が棄民策を覆い隠す。「放射線は健康被害をもたらす」と考えることが「非国民」とされる社会はまっぴらゴメンだ! 放射能から避難する権利をください。避難を希望する市民を支援してください。政府の責任で全ての子どもに保養をさせてください。
「戦争ができる国づくり」には反対する。
「主権を放棄した辺野古米軍基地の強権的建設」は阻止したいと思う。
「憲法の改悪」には反対だ。
「8時間労働制(人権)を破壊する労働法制」には反対だ。小泉以来労働者の年間平均給与は50万円減っている(410万円⇒360万円)。賃金も労働条件も明治期の女工哀史を上回る過酷さ。
社会に主人公として生きる人間を育てるのではなく「従属者を育てる道徳教育」には反対だ。
あらゆる人権抑圧に反対だ。
放射線は生命に異質な危険をもたらす。
核兵器は禁止すべきだ。核発電(原発)は禁止すべきだ。
すでに放射能分野では事態は深刻。原子力緊急事態宣言の下で総動員体制は大きく進んでいる。放射能版の「高貴な精神」は「放射線に健康影響は無い」とただ信じる精神に置き換えられ、被曝を防護しない国の「棄民」政策をありがたいといただく。放射能が関与する膨大な症状を有する「活性酸素症候群」は放射能に関係ない「奇病」とされ、福島県内在住の小児甲状腺がんはスクリーニング効果による過剰診断とされる。しかし、一見元気で遊ぶ子供の目の周りにはクマが現れていて、ハッとさせられる。これらは日々放射線被ばくが続いている証拠ではないか。
政府・原子力ムラのキャンペーンは、放射線に健康影響は無い」と信じることで「幸せ」になれると言う。放射能被害は無いと思う幸せを「食べて応援」で甘受しようと大合唱している。この幸せはなんなのだろう?戦前の「国家総動員」の幸せではないか? 政府の方針は「一人一人を大切にする」民主主義とは逆を向いている。
(2)人格を支えあう人々が社会を守る
チェルノブイリでは住民を保護する「チェルノブイリ法」ができ、いまだに生きている。日本では真逆な加害者の論理がまかり通る。なんと日本市民の人権は軽いのだろう! しかし人格を支えあう非常に多くの人々が健在する。「一人一人が大切にされる社会を作り上げましょう。」この声は虐げられつつある市民の声なき声だ。一人一人が大切にされることを社会の基本として、一人一人の人間たるところを示そうではありませんか。
(侵略戦争の「臣民」にはならないようにしよう)
安倍晋三首相の「健康に対する問題は、今までも、現在も、これからも全くないということははっきりと申し上げておきたいと思います。」という言明に協力することはやめましょう。事実の隠ぺいと棄民の宣言なのだから。
放射線被曝関連で命を失った全ての方に哀悼の意を表し、放射能をまき散らす核兵器も原発も世界から無くすことに力を注ぐことをお約束いたします。